ジュークボックス全盛期。音楽が流れて人々が踊り、ギャングは億単位を動かす。ナイトライフの荒稼ぎ・アブナイ流通ビジネス—Gの黒雑学

【連載】米国Gの黒雑学。縦横無尽の斬り口で、亜米利加ギャングの仮面をぺりぺり剥がし痛いところをつんつん突いていく、二十八話目。
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「友は近くに置け、敵はもっと近くに置け」
(映画『ゴッドファーザー』から)

「友情がすべて」のマフィオーソの道。しかし、
昨晩、盃を交わした友が敵になる。信頼の友の手で葬られる。
“友と敵の境界線は曖昧”でまかり通るワイズガイのしたたかな世界では、
敵を友より近くに置き、敵の弱みを握り、自分の利益にするのが賢い。

ジェットブラックのようにドス黒く、朱肉のように真っ赤なギャングスターの世界。
呂律のまわらないゴッドファーザーのドン・コルレオーネ、
マシンガンぶっ放つパチーノのトニー・モンタナ、
ギャング・オブ・ニューヨークのディカプリオ。
映画に登場する不埒な罪人たちに血を騒がせるのもいいが、
暗黒街を闊歩し殺し殺されたギャングたちの飯、身なり、女、表向きの仕事…
本物のギャングの雑学、知りたくないか?

重要参考人は、アメリカン・ギャングスター・ミュージアムの館長。
縦横無尽の斬り口で亜米利加ギャングの仮面をぺりぺり剥がす連載、二十八話目。

***

前回は、「ギャングたちの奇行」について。逮捕されないように精神病者になりきったギャングや、薄毛に悩みに呪術に頼った二枚目ギャングなど、紙一重な行動を繰り広げたGたちを紹介してきた。今回の話のネタは、ギャングとジュークボックス・ビジネス。いまや重要文化財のようになってしまった自動音楽再生機「ジュークボックス」にまつわるギャングの商いについて耳をすませてみよう。

▶︎1話目から読む

#028「大物ユダヤ系ギャングも牛耳る。Gたちが群がる“金のなる装置、ジュークボックス”」

 50年ほど前、若者たちの集まる場所に必ずといっていいほどあったのが、ジュークボックスだ。コイン(通常5セント硬貨)を入れて、好きなレコードを品定め。番号を押すとその曲を流してくれる、ロボットDJのような自動音楽再生機である。
 ダンスフロアやバーに一台。ネオンの光をムーディーに放つジュークボックスにもたれかかるは、色男。流し目で、通りがかる女の子に声かけて…。ティーン映画のワンシーンにもよく登場するジュークボックスだが、実は、ギャングスターの収益源となる事業の一つでもあった。アメリカン・ギャングスター・ミュージアムの館長さんも「その昔、バーにあるすべてのジュークボックスは、組織犯罪によってコントロールされていましたね」と口添えする。

 たとえば、ニューヨークのユダヤ系大物、マイヤー・ランスキー。彼は、いっとき「ニューヨーク中の“ワーリッツァー”を一つ残らず支配していた男」といわれていた。ワーリッツァーとは、ジュークボックスメーカーの名前。AMI(エーエムアイ)、シーバーグ、ロッコーラと並ぶ、ジュークボックス四天王の一つだ。ワーリッツァーの特徴は、エレガントな旧式の見た目。木製のボディに、極彩色のネオンのバブル、回転するレコードを覗ける窓と、典型的な“ジュークボックス”といった造り。
 ランスキーは、1940年代、このジュークボックスの代表格ワーリッツァーの流通業に着手した。ランスキーの孫のマイヤー・ランスキー3世によると、「祖父は、ニューヨーク中の各エリアにワーリッツァーを流通させていました。おもにバーなどの施設に貸し出すんです」。ジュークボックスのレンタル料と、ジュークボックスにたまった硬貨で金を稼いでいたというわけ。
 ランスキーの他にも、オメルタ(マフィアたちが結ぶ血の掟)を破ったことで有名なイタリア系ギャングのジョセフ・バラキや、暗黒街の首相として敏腕な外交術がもてはやされたフランク・コステロ、ブルックリンのレッドフック地区を拠点にしていたジョーイ・ギャロなどもジュークボックス・ビジネスにはまったGたちだ。

 また、ジュークボックスのなかでも、1960年代のアメリカで流行ったのが「スコピトーン」というモデル。おもにカクテルラウンジやナイトクラブ、ホテル、モーテル、レストランに置かれていた(ホワイトハウスにも設置されていたという噂がある)。フランスで誕生したこのジュークボックスは、高さ180センチ、重さ220キロの大きな図体で、音楽再生機の上には映像モニターと、当時にしては最新テクノロジーの機械。1曲25セントで36曲のなかから選曲。26インチのモニターでは、16ミリフィルムを流すことができ、当初は流行りのフレンチポップのミュージックビデオなど、どこか異国情緒あふれるエキゾチックな映像でアメリカの若者たちを魅了していた。

 物珍しい型のジュークボックスが持つビジネスチャンスにギャング界隈は前のめり。マイヤー・ランスキーの友人でマイアミの弁護士をしていたアルヴィン・マルニックという男が、ニューヨーク5大マフィア・ジェノヴェーゼー一家とズブズブだったジュークボックス販売員のエイブ・グリーンらとともに、スコピトーンのアメリカでの版権を購入したいと動く。これまたジェノヴェーゼー一家とズブズブだったテレ・ア・サインという製造メーカーにもちかけ、アメリカ仕様にスコピトーンを再デザイン。アメリカのオーディエンス向けにアメリカ国内のアーティストのミュージックビデオを流しはじめた。

 スコピトーンは一台3500ドル(現在のレートで約320万円)で、映像を流したい場合は、その権利として720ドル(現在のレートで約65万円)の追加料金、週替わりの映像コンテンツは月額60ドル(約5万5000円)。すべてのサービスを含めたら初年は、1台で約450万円の収益。スコピトーンの生産スピードは毎月500台だったというから、数億円単位のお金がうごめくことになる。ジュークボックスは、ギャングのビジネス根性をくすぐっていたのだ。

あるジュークボックス・オペレーターの死

 ナイトライフを仕切るギャングたちが仕切りたがるジュークボックス・ビジネスに過度に立ち入ると、痛い目にあう。その象徴として語り継がれる未解決事件が「ジュークボックス・オペレーター殺害事件」だ。

 1963年。シカゴから車で1時間ほど北上したところにあるケノーシャという片田舎で、ジュークボックス会社を経営するアンソニー・バーナットという男が何者かによって誘拐され、撲殺された。ジュークボックスやスロットマシーンの修理工をしていたバーナットは、ジュークボックスの流通業を請け負う「レイクサイド・ミュージック」を創設。近隣地域のカクテルラウンジやボウリング場、そして海軍の訓練施設などに85のジュークボックスを販売していた。

 それを黙って見過ごせなかったのが、シカゴギャングだ。ケノーシャと周辺の郡のビジネスにも勢力を伸ばしたいと考えていた彼らは、ギャンブルや違法営業に明るい男を雇い、ジュークボックス・ビジネスをも支配しようと計画。バーナットに「業務提携しないか」と持ちかける。その昔、犯罪組織が所有するスロットマシーンを修理していたこともあり、ギャングの怖さはじゅうぶん承知だったバーナットだが、この持ちかけに対しては拒否の姿勢。ギャングたちの「俺たちと手を結ぶしか打つ手はないぞ」との脅しにも動じなかった。

 バーナットの態度に腹を立てたギャングは、バーナットを殺害することにした。首謀者は、ウィスコンシン州ミルウォーキーを拠点にするギャングのボス、フランク・バリストリエリ。3人のヒットマンを送りこみ、バーナットを誘拐するよう命令。荒廃した空き家の地下に連れていき、殴る蹴るなどの暴行をくわえ、最終的に息の根を止めたといわれている。FBIと警察は、バリストリエリの手下であるスティーブ・ディサルヴォとフランク・ステロがヒットマンだったのではないかと推測。誘拐する際に目撃者がいたり、証言があったにも関わらず、結局のところヒットマンも捕まえることができずにこの事件は迷宮入りした。

 次回は、ギャングとボクシングについて。ボクサーあがりのイタリア系ギャングや、地元の犯罪組織にいたユダヤ系ボクサーの苦悩、そしてボクシングのプロモーターだったマフィアなど、Gとボクシング界の蜜月に、ジャブを打つことにしよう。

▶︎▶︎#029「ストリート育ちのファイトキッズ、凄腕プロモーター。ギャングとボクシングの強力タッグ」

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重要参考人
ローカン・オトウェイ/Lorcan Otway

20171117019_02のコピー
Photo by Shinjo Arai

1955年ニューヨーク生まれ。アイルランド系クエーカー教徒の家庭で育つ。劇作家で俳優だった父が購入した劇場とパブの経営を引き継ぎ、2010年に現アメリカン・ギャングスター・ミュージアム(Museum of the American Gangster)を開館。写真家でもあるほか、船の模型を自作したり、歴史を語り出すと止まらない(特に禁酒法時代の話)博学者でもある。いつもシャツにベストのダンディルックな男。


Eye Catch Image by Kana Motojima
Text by Risa Akita
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine

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