ファミリー構成員には、なぜ“ボクサーあがり”が多くいる?〈ボクシング×ギャング〉の長丁場にジャブを打つ—Gの黒雑学

【連載】米国Gの黒雑学。縦横無尽の斬り口で、亜米利加ギャングの仮面をぺりぺり剥がし痛いところをつんつん突いていく、二十九話目。
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「友は近くに置け、敵はもっと近くに置け」
(映画『ゴッドファーザー』から)

「友情がすべて」のマフィオーソの道。しかし、
昨晩、盃を交わした友が敵になる。信頼の友の手で葬られる。
“友と敵の境界線は曖昧”でまかり通るワイズガイのしたたかな世界では、
敵を友より近くに置き、敵の弱みを握り、自分の利益にするのが賢い。

ジェットブラックのようにドス黒く、朱肉のように真っ赤なギャングスターの世界。
呂律のまわらないゴッドファーザーのドン・コルレオーネ、
マシンガンぶっ放つパチーノのトニー・モンタナ、
ギャング・オブ・ニューヨークのディカプリオ。
映画に登場する不埒な罪人たちに血を騒がせるのもいいが、
暗黒街を闊歩し殺し殺されたギャングたちの飯、身なり、女、表向きの仕事…
本物のギャングの雑学、知りたくないか?

重要参考人は、アメリカン・ギャングスター・ミュージアムの館長。
縦横無尽の斬り口で亜米利加ギャングの仮面をぺりぺり剥がす連載、二十九話目。

***

前回は「ギャングとジュークボックスビジネス」について、若者のナイトライフの中心にあったジュークボックスを操る犯罪組織の手の内を明かした。今回は「ギャングとボクシング」。ユダヤ系犯罪組織が勢力を伸ばしたコミュニティ出身のボクサーや、ボクサーあがりのギャングたち、ギャングが仕切っていたボクシングマッチなど、ボクサーとギャングのコネクションについてノックダウンしてみる。

▶︎1話目から読む

#029「ストリート育ちのファイトキッズ、凄腕プロモーター。ギャングとボクシングの強力タッグ」

ボクサーといったら、「OK牧場!」のガッツ石松の方が、「ちょっちゅね~」の具志堅用高より好き。というだけで格別ボクシングの熱心なファンではないが、近年ちょっと関心を寄せていたのが5階級制覇王者のフロイド・メイウェザー。ではなく、メイウェザーの対戦相手として注目を集めたアイルランド出身のコナー・マクレガー選手だ。2年前、2017年の夏、ラスベガスでおこなわれた史上空前のメガファイトで闘い、ベテラン選手メイウェザーに敗れたことでも有名(このときのマクレガー選手のファイトマネーは約114億円ともいわれている…)。リングの外でもストライプのスーツやおしゃれな時計などを身につけるなどボクシング界きっての伊達男で、メンズ誌『GQ』の表紙にも登場するほど。しかし今年3月、総合格闘技MMAからの引退を突然発表し、今後はビジネスへと注力していくらしい(すでに自分のウィスキーブランドを展開し、すでに大成功を収めているが)。

マクレガー選手は、数年前にダブリンのバーで地元ギャング構成員たちと大げんかになったことも報じられている。スポーツなどの興行には組織犯罪が絡んでいる印象があるが、「ギャングとボクシング」について、アメリカン・ギャングスター・ミュージアムの館長さんに尋ねるとこう返ってきた。「ボクシングに携わっていたギャング構成員、その数の多さには驚かないと思いますよ」。

 精神異常者を演じることで実刑を免れていた“オッド(奇妙な)・ファーザー”ことイタリア系マフィアのヴィンセント・ジガンテや、10代の頃にボクシングをはじめアイルランド系のリングネームをもらったシチリア出身のジャック・マクガーン、ボクサーを辞めた後、ニューヨークのストリートギャングとなったポール・ケリーなど、ボクサーあがりのイタリアンギャング勢。また、プロボクサーになるため東海岸に移住したロサンゼルスのユダヤ系ギャング、ミッキー・コーエンなどはボクサーあがりのギャングスターだ。

夢も希望もないような貧困にあえぐコミュニティから、ボクサーが生まれることが多いです。たとえば、第二次世界大戦前の禁酒法時代、(ニューヨークの)ロウアー・イーストサイドなどのガラの悪いユダヤ系コミュニティからは、たくさんの優秀なボクサーが輩出されました。その一人が、“バミー”・デイヴィスでしょう」。

 アル・“バミー”・デイヴィスは、1920年ブルックリンのブラウンズヴィルに生まれた。当時、このエリアはユダヤ人の貧民街として治安が悪いことで有名。バミーは血の気の荒い少年だったそうで、腕っぷしの強い悪ガキとして近所でも評判だった。ボクシングの道に進んでからは、プロモーターから「強そうな名前だから」という理由で“バミー”というあだ名をつけられメキメキと成長し、世界チャンピオンたちを相手に奮闘。ユダヤ教の戒律に準じて定められた食事・食品の規定「コーシャ(Kosher)」を文字って「コーシャ・K.O.・キング」として、市民にも親しまれた。

 彼の地元は、悪名高い犯罪組織「マーダー・インク(殺人株式会社)」の本拠地だったため、実際、バミーの2人の兄弟も同組織に関与していたといわれていた。しかしバミーは組織に関わることに断固拒否し、同組織のメンバーとも対等に闘おうとしたこともあったという。

 バミーのように、ギャングと関わらなかったボクサーもいるが、ボクサーあがりのギャングが多いように、ボクサーとギャングは太い繋がりがある。「それは、両者には同じような社会状況があるからじゃないでしょうかね」と館長さんは話す。ボクサーとギャング、どちらも「飢えや痛みを知って育ってきたファイト精神のある少年たち」。両者の育ってきた環境、社会状況が似ているという。「ストリートでの喧嘩は、彼らの成長過程に自然に組み込まれていたのでしょう。私が若い頃の80年代でさえも、かなり治安が悪かった。ラッキー・ルチアーノの時代(禁酒法時代)といったらそれ以上でしたから」。ちなみに館長さんも、その昔ロウアー・イーストサイドの通りで、うしろからいきなり瓶で殴られるという惨事にあったのだとか。

「お金を稼ぐためにボクサーになる貧しいアイルランド系移民などもいましたが、たんなる経済的な理由だけで彼らはボクサーを目指すだけではありません。何も得ることがない貧しい生活のなかで、自分の人生の主導権を握ろうとしたのではないでしょうか。だからか、中産階級出身のボクサーというのは聞いたことないです」

敏腕プロモーターにまで登りつめる元ギャングメンバーも

 “クッキングマフィア”として本誌でもお馴染みのトニー・ナップ・ナポリ。今年5月、84歳でこの世を去った(昨年秋のディナー・パーティーで会ったのが最後だった。ディナーの席でも知り合いに、日本の雑誌に載ったんだとうれしそうに話していたのをよく覚えている。天国でも、マフィア幹部だった父親譲りの料理の腕前で、キッチンに立っていることを祈ります)。

 そのトニーも、青年時代ボクサーだった。陸軍として日本に駐屯していた時代のボクサー写真を得意げに見せてくれたものだ。そして、彼の父で、ジェノベーゼー一家の幹部も務めたジミー・ナポリは、ボクシング試合の開催や選手のプロモートを司るファイトプロモーターだった。


トニー・ナップ・ナポリの若かりし頃のボクサー姿。

トニー・ナップの父、ジミー・ナポリ(FBI提供写真)。

 また1940年代、プロボクシングのプロモーターとして勢力を広げたフランキー・ガルボは、元イタリア系マフィア・ルッケーゼファミリーの構成員で、先述の犯罪組織マーダー・インクのヒットマンとしても活躍した男。さらにギャング構成員だったフランク・パレルモは、数々の有力選手を抱え「八百長試合(出来レース)」をする常習犯だったという。元ボクサーのギャング構成員が多いなか、ボクシングのプロモーターとなったギャングも一定数いるだろう。その理由には、現在でもボクシングの試合につきまとう“八百長問題”がある。八百長とは、試合の前から勝者が決まっている出来レースのことで、ギャングたちはその賭け金で悪儲けをしようと企てた。「ボクシングが組織犯罪と深く関わっているといわれる所以は、そこ(八百長試合においての賭け金)にあるのでしょう」

 次回は、「全米マフィアのカリスマ」「暗黒界の首相」と呼ばれたイタリア系ギャングのフランク・コステロにズームイン。弁護士から俳優まで人脈を広げた一面、そして「賭博の売上金タクシー置き忘れ事件」など、おっちょこちょいな一面もあるギャングのカリスマのベールを剥がす。

▶︎▶︎#030「FBI長官からコメディアン、猿まで。人脈と政治力を駆使したマフィアのカリスマ、コステロ」

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重要参考人
ローカン・オトウェイ/Lorcan Otway

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Photo by Shinjo Arai

1955年ニューヨーク生まれ。アイルランド系クエーカー教徒の家庭で育つ。劇作家で俳優だった父が購入した劇場とパブの経営を引き継ぎ、2010年に現アメリカン・ギャングスター・ミュージアム(Museum of the American Gangster)を開館。写真家でもあるほか、船の模型を自作したり、歴史を語り出すと止まらない(特に禁酒法時代の話)博学者でもある。いつもシャツにベストのダンディルックな男。


Eye Catch Image by Haruka Shibata
Text by Risa Akita
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine

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