“蝶のように舞い、蜂のように刺す”スタイルでモハメド・アリ、それからアリのライバル、ジョー・フレージャーが君臨した1960、70年代。対戦相手の耳を噛みちぎった荒くれ者、マイク・タイソンが暴れた80年代。大衆を狂熱へ誘うアメリカンカルチャーであり、日本でもゴジラや鉄腕アトムと並びお茶の間の電波を独占していた昭和の娯楽、ボクシング。
時は流れ、2000年以降。そのほとぼりは冷め、アメリカでは試合番組は専ら有料ケーブル枠に押しやられ、ボクシングは低迷期に突入してしまったとも囁かれている。が、あるボクシングジムのアマチュアボクサーたちは、まだそのグローブを置く気配もない。
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モハメド・アリも通った伝説のボクシングジム
過去にはモハメド・アリ(まだ当時は本名のカシアス・クレイだった)やマイク・タイソンもトレーニングしていた。1937年にブロンクスで創業、ボクシングの黄金期も低迷期も目撃してきた名門ボクシングジム「Gleason’s(グリーソンズ)」だ。
昨年末にブルックリンに移転したあとも、約1,100人のジム会員を擁する大規模さは変わらず、プロボクサーからプロになりたいアマチュアボクサーがおよそ4割を占め、残りの会員もエクササイズ目的の地元民(特にその半分以上は女性)。さらにリングの外にはボクサーに混じって弁護士やビジネスマン、さらにドラッグディーラーまでもがうろうろと出入りし、リングの中ではプロの隣でアマチュアボクサーが拳をかまえる。
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「10秒間しかなかったんだ。彼らの1分しかない休憩時間の、10分の1を捉えた」と話すのは、ニューヨークを拠点に活動するフォトグラファー、ソーステン・ロス(Thorsten Roth)。2005年から2年間、自身もボクシングトレーニングに汗水垂らしながら、グリーソンズのファイターたちのポートレートもカメラに収めた。
「確かにボクシング人気は下降しているといえるよ。ボクシングはアメリカにとってのクラシックカルチャーで、60・70年代はプロテストムーブメント*でもあった。でもいま人気なのは、お金になるショー仕立ての総合格闘技だね」
*ときはベトナム戦争真っ只中。モハメド・アリは反戦を掲げ入隊拒否をしたことを理由にヘヴィ級タイトルを剝奪、3年半の間、事実上ボクシング界から追放される。その制裁にも屈しなかったアリの姿は反戦・人種差別反対運動を後押しした。
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ボクシングの黄金期は過ぎ去ってしまった。しかし、グリーソンズに足を踏み入れればいまでも「ものすごい熱気だ」。アマチュアが「プロと同じリングでプロの隣でシャドーボクシングしていることも当たり前な、民主的な空間」だという。
「たとえば、プロバスケ選手の隣でアマチュア選手がトレーニングすることなんてそうないだろう。でもボクシングではその光景は普通にあるんだ。そういう意味で、プロとアマの線引きはあいまいだといえるし、ボクシングはとっつきやすいスポーツだともいえるね」
「(アマチュアにとって)ボクシングは、“宗教”だ」
ポートレートの被写体には、プロファイターもいればアマチュアファイターもいる。「被写体の選び方にしてもアプローチの仕方にしても、プロとアマチュアでは区別なんてない。両者は、同じ“ファイター”であることには変わりないから」
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プロでもアマでも“ファイター”であることに違いはない。しかし、プロモーターやスポンサーの支援を得てボクシング一本で生計を立てているプロに比べ、当然アマチュアには「お金」という壁がある。アマチュアボクサーであることは、本業との二足わらじで時間も精神もすり減るのだ。
お金さえあればトレーニングに100パーセントの力を注ぐことができる。しかし現実は、「朝もトレーニング、10時間働いて夜にまたトレーニング」。フォトグラファーが捉えたアマチュアボクサーのなかには、メディカルスクールの学生や不動産業に携わる者。あるいは、C型肝炎を患い、ボクサーライセンスを取得できない者。身体的、金銭的、精神的な苦悩はさまざまだ。
健康管理は完全徹底、アルコールを自制し、食事を摂るようにシャワーを浴びるように歯を磨くように、トレーニングを日課とする。時間とお金の制限に耐えるアマチュアボクサーにとって、「ボクシングは一種の“宗教”だ」
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アマチュアは「もっと自分自身と戦える」
戦わなくてもいいところに、戦いを生み出す。「努力と野心で自分自身のリミットに挑戦するポジティブな面。それに対して、どんなにいいファイターでも負けるし、リングに立てば痛めつけられる。どこかマゾヒストのような面も孕むパラドクスだ」
対戦相手は、ボクサーが自分自身と向き合うための機会を与えている。どうやって勝ちと向き合うか。どうやって負けを受け入れるか。
自身もアマチュアボクサーのライセンスを持ち、アマのトレーニング姿を見続けてきたフォトグラファーは、「ボクシングはメディテーション」と話す。リングに足を踏みいれたら殴られる。攻撃されたら、怒りをコントロール。怒りは、「心身のバランスを崩す過剰反応」だから。目の前に立ちはだかる対戦相手、すなわち“いま対処しなければならない唯一の問題”に集中することで、雑念や悩みはリングにいる時間だけは頭から消える。「その瞬間が、ボクシングの美学だと思う」
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「目指すはプロ」であるアマチュアボクサーたちだが、彼らには彼らにしか得られない“得”もある。
「プロボクサーには、さまざまな責任が発生する。彼らは自分のために戦うだけじゃだめだ。スポンサーのためにも勝たなければならないし、トレーナーの給料でさえも、自分の勝ち負けにかかっている。でもアマチュアにはそれがない。もっと、自分自身と戦うことができるんだ」
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Interview with Thorsten Roth
Thorsten Roth/ Fighters
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ソーステン・ロス/Thorsten Roth
Photo by Risa Akita
ドイツ出身のフォトグラファー、ビデオグラファー。フォトジャーナリズムや広告写真のキャリアを積んだのち、仏コンデナストでフォト・アシスタントを務める。パリのジャズミュージシャンのポートレート集も作成。2002年からニューヨーク在住。ファッションフォトグラファーとして主に仕事をしながら、ニューヨークのアートスクールSVA(スクール・オブ・ヴィジュアル・アーツ)で教鞭もとる。
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All photos by Thorsten Roth
Text by Risa Akita
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine