7月のテーマは引き続き「アイコンたちのパンチライン」。パンチラインとは英語では「ジョークのオチ」、ヒップホップ業界では「印象的な部分」を意味するが、ここでは「発言中で一番の聞きどころ」。人の脳天と心に響く、パンチのある力強い言葉。古今東西、みんなの記憶に残る世界のアイコンたちを編集部がピック、彼らが口にしたパンチラインを紹介する。
ハワイの英雄といえば、長年の戦いの末にハワイ諸島を初めて統治したカメハメハ大王や、ハワイ初のオリンピック選手として競泳で金メダルを獲得したサーファーのデューク・カハナモクがいるだろう。そしてもう一人忘れてはいけないのが、日系2世の政治家ダニエル・イノウエ氏だ。
日系アメリカ人初の下院議員を務め、大統領に一番近かった日系人と呼ばれているイノウエ氏。元軍人で、50年以上にわたって上院議員を務めていた長老議員。晩年は、大統領、副大統領の次に位の高い「大統領継承順位第3位」という上院仮議長にまで登りつめ、2012年に88歳で逝去するまで米国政界の重鎮として政治に貢献してきた。
祖父母、父母は日本人でありながら、自らのアイデンティティであるアメリカ人として戦った軍人時代。オバマ大統領に政治の道を進むきっかけをあたえたほどの豪腕政治家期。未だアジア系への差別や偏見があるといわれている米国において、アジア系アメリカ人としての最上位に鎮座した晩年。ホノルル国際空港を「ダニエル・K・イノウエ国際空港」と改名させるほど、人民に敬われたイノウエ氏の3つのパンチラインを紹介する。
1、「It’s a terrible thought.(ゾッとするような考えです)」
イノウエ氏は、1924年、日本人の両親のもと日系2世としてハワイのホノルルで誕生する。両親は八女郡横山村出身で、村で起こった大火で家が燃えてしまい、その借金を返済するためにハワイに出稼ぎに来たとの話だ。イノウエ氏の日本名は、井上建(いのうえ けん)。家を再び「建」てるとの想いだったのだろうか。
ホノルルで育ったイノウエ氏は、名門ハワイ大学マノア校に進学し、医学の道を目指していた。在学中の41年12月、太平洋戦争が勃発。日系人たちは「敵性国民」とみなされ、収容所送りになる者があとを絶たず。日系人たちが激しく差別されるなか、イノウエ氏はアメリカへの忠誠心を見せたいとアメリカ軍を志願し、陸軍として枢軸国と戦うことになった。その配属先が、過酷な戦いを強いられた「第442連隊戦闘団*」。
イタリアでドイツ国防軍との戦いに参加していたある日、大怪我を負う。手榴弾を投げようと右腕を上げたとき、ドイツ軍が投げた火器が右腕に命中し、右腕が切断されてしまったのだ。それでも戦うことをやめず、左腕だけで機関銃を携えドイツ軍に応戦したという伝説が残っている。
*442連隊とは、士官などを除く約4000人の隊員のほとんどは日系人だけで編成された、通称“日系部隊”。合言葉は「Go for Broke!(当たって砕けろ)」で、死傷率314パーセントという奮闘ぶり。“敵性国民たちを集めた捨て駒”という見方もあり、もっとも激しい戦いが繰り広げられていたヨーロッパの最前線へと送られた部隊でもある。
結果、差別を受けていた日系部隊は連合軍勝利に貢献し、アメリカ史上最強の陸軍として歴史にその名を刻むこととなった。イノウエ氏もその功績が認められ、2000年、クリントン大統領から軍人に贈られる最高位の「名誉章」を受賞。軍人として誇りを持って祖国アメリカのために戦ったイノウエ氏だが、一方でこのような言葉も残している。
「That’s one of the horrors of war, that you can train a person, train them to hate, train them to kill. It’s a terrible thought.(戦争の恐ろしい部分は、一人の人間を調教し、人を憎むように教え込み、人を殺すように仕込むこと。ゾッとするような考えです)」
ある講演会で、いまなお脳裏から離れない瞬間は、と問われた彼の答えは「ドイツ兵を射殺したとき」。「軍隊の仲間は褒めたたえ、自分もそのときは誇りに思ったが、真面目なキリスト教徒の自分がどうして人を殺せたのか」——これが、自身が語った“戦争の恐ろしい部分”なのだろうか。
2、「I will not be a rubber stamp for any president.(大統領の“イエスマン”にはなりません)」
終戦後、戦争で右腕を失ったイノウエ氏は、医者になる夢を諦め、政治学の学生として大学に復学した。54年、ハワイ議会の議員に当選してからは政治道まっしぐら。59年には民主党からハワイ州から下院に当選し、アメリカ初の日系人議員となり、62年には上院議員に当選。その後、亡くなるまで9期にわたって、半世紀ものあいだ上院議員を務めることとなった。
日系アメリカ人初の上院議員になった際、下院議長に「右手を挙げて宣誓の言葉を」と促され、「議長、右手はありません。若き米兵として戦場に置いてきました」と返したエピソードはあまりに有名だ。
軍人としてだけでなく政治家としての敏腕ぶりも発揮し、ウォーターゲート事件やイラン・コントラ事件といった米国政界のスキャンダルにおいても、特別委員会メンバーとして事件を追及するキーパーソンとして貢献。
一方で故郷ハワイへの思いも強く、砂糖やパイナップル産業の維持やインフラの整備、福祉制度の改善、ハワイ大学への支援、軍事産業の成長など、ハワイの産業・経済発展に尽力した。さらにアメリカ先住民問題委員会では委員長に就任し、ネイティブ・ハワイアンの自治や権利向上やハワイアン文化保全にも努め、第二次世界大戦中に強制収容された日系人への賠償問題にも力を入れてきたのだ。
2010年からは上院仮議長という、“大統領・副大統領の次に高い位”についたイノウエ氏だが、かつて、このように発言した。
「I am ready and prepared to work with the President, but I will not be a rubber stamp for any president.(大統領と共に働く準備はできています。ただ、彼らの“イエスマン”にはなりません)」
「rubber stamp(ラバースタンプ)」とは「承認のために押すゴム印」のことで、「提案や計画を十分に検討しないで、賛成したり、認可したりすること」を意味する。つまり、上の指示や考えにいつも首を縦に振る“イエスマン”。イノウエ氏は、米国政府への忠誠を誓いつつ、イエスマンには決してならない、と政治家としての強固な心構えを示した。
3、「Americanism is not a matter of skin or color(アメリカ人であることと、肌の色は関係ない)」
ここ最近になって米国では、カルチャーやエンタメ業界、スポーツ界でのアジア系の活躍が目覚ましい。アジア系でなくとも「マイノリティ」「ルーツ」「アイデンティティ」が時代のキーワードとなっている現代において、イノウエ氏が生涯をかけて大事にしてきたアイデンティティには、もう一度見つめ直してみる価値があるだろう。
幼少時代、ハワイ移民の祖父から「お前はサムライだ」と育てられてきたというイノウエ氏。生涯、自らの座右の銘として大切にしきた祖父からの言葉があるという。それが「ギム(義務)」と「メイヨ(名誉)」だった。2010年に日米関係の強化に対する功績がたたえられ桐花大綬章が叙勲されたのだが、その際こうスピーチをした。
「(ハワイ移民の)祖父から“ギム”と“メイヨ”というふたつの言葉を忘れるなと言われました。人生には果たすべき多くの義務がある。名誉をもってそれらをなし遂げなさい、と教えたかったのでしょう。私はいままでこれに従って生きてきました」
日本人としてのアイデンティティを持ちながらも、アメリカ軍として忠誠を誓った軍人時代。マイノリティであるアジア系議員として、地元ハワイの文化と経済の発展に貢献した政治家時代。日本にルーツを持つアメリカ人として、日米交流にも積極的で、東日本大震災直後には復興支援のため被災地を訪問していた晩年時代。日本とアメリカ両国にアイデンティティをもつイノウエ氏は、こんな言葉を遺している。
「Americanism is not a matter of skin or color(アメリカ人であることと、肌の色は関係ない)」
家族に看取られ、2012年88歳で永眠したイノウエ氏。最後の言葉は「Aloha(アロハ)」だったという。アロハは、「こんにちは」以外にも「さようなら」「ありがとう」「愛しています」という意味でも使われる。最後の言葉は、どの意味を含んでいたのだろう。
ちなみに一人息子のケニー・イノウエさんは80年代、ワシントンD.C.のハードコアパンクバンド「Marginal Man(マージナル・マン)」のギタリストとして活躍していたことでも知られていた。
英語コンテンツ新シリーズ「煌めいて★アジアのポップス」、スタート。
アジアの国から4国をピック、
各国の大衆音楽で歌われる、独特の“英語表現”を紹介する。
第1弾は、我が国・日本から、
いま海外で旋風を巻き起こしている“シティ・ポップ”をフィーチャー。
Youtubeで2600万回以上の再生回数を叩き出している、
竹内まりやの『Plastic Love(プラスティック・ラブ)』など。
おたのしみに!
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Eye Catch Illustration by Kana Motojima
Text by Risa Akita, Editorial Assistant: Kana Motojima
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine