「わたしたちが共有する話に興味を持ってくれたなら、それはとてもうれしいこと。でももし興味がないなら、それはそれでいいのです」
竹を割ったようなパーソナリティによるインターネットラジオがある。私たち、とは「難民」のこと。私たちの話とは、「難民自身が語る難民のストーリー」。
“どこか遠い国で起こる難民問題、自分には関係ない…”と思う人に「聞いてください!」と訴えかけはしない。
難民に関する日々の報道になにか疑問や違和感を感じた人、あるいは難民の日常について少しでも知りたいと思った人たちの自然なアプローチを待つ。難民である市民が、市民に向けて正直に情報を伝える市民ラジオ、リスナー120万人にまで成長している。
難民のことは“難民”が一番知っている
“難民の玄関口”として知られるシチリア小島のドキュメンタリー映画『海は燃えている』に、“毎号たったひとりの移民のみを特集する”ベルリン初のインディペンデントマガジン、デンマークの難民シェルターで働く女性が、ガーナの難民と恋に落ちるアカデミー賞ショート部門ノミネート作品。ここ1、2年で、難民問題や難民の人生をテーマにした作品が露出する機会が増えた。
「ボートから降り立った難民たちを、両腕を広げて一番最初に迎え入れる人。それがバルトロ医師でした」<アーカイブ記事>#難民 #FireAtSea #海は燃えている #映画https://t.co/l3NMqP7oKW
— HEAPS Magazine (@HEAPSMAG) 2018年1月25日
「現在では難民についての報道も幅広くなりました。しかし難民問題が深刻化した2015年、難民問題について知っているヨーロッパ人は多くはありませんでしたね」。回想するのは、“ラジオパーソナリティは全員難民”の「レフュジー・ラジオ・ネットワーク(Refugee Radio Network、以下RRN)」の創設者、ラリー・マコーレー。ナイジェリアからドイツに亡命してきた難民の一人で、ヨーロッパの人々があまりにも難民について無知だったことにショックを受けた一人でもある。
Larry Macauley(ラリー・マコーレー)。
Photo by Janto Rossner
「政治的権力の言いなりになっている国有メディアや、収益を気にするメインストリームメディアの難民報道に、人々が依存しすぎていると感じました」。難民のことを「かわいそうな人たちだ」「役立たずだ」と犠牲者・悪役に仕立て上げたり、歪曲報道をするメディアに取って代わるプラットフォームが必要だ。難民自体を取り上げるメディアが少なく、決まりきった目線での報道ばかりの時代。難民のことは難民が話せばいい、と言わんばかりに一人の難民によって生まれたRRNは市民メディアのパイオニア的な存在といえるだろう。
発足から3年、ドイツ・ハンブルグを拠点に、シリア、ソマリア、アフガニスタンからの難民が生活するコミュニティの取材や、難民が自身の過去をシェアする番組の放送をおこなう。フランスやイタリアなどヨーロッパの他国に住む難民も、RRNのチャンネルを独立して開設し自らがマイクをとってラジオづくりに参加している。
難民たちの結婚話に恋愛トークも
RRNのリスナーは毎週約9万人にものぼり、サウンドクラウド(ストリーミング配信サービス)を通してのリスナーは世界に約120万人いる。「病院のベッドから毎回楽しみにして聞いている米在住の女性もいます」
気になる内容だが「ネガティブな話題もポジティブなストーリーもある」とのこと。父親の前で警察に拘束された経験をシリアの青年が語る回や、移民先のドイツでアラビア語を話していただけで尋問にあった話など心苦しくなるストーリーがあれば、スペインの学校に通う難民のティーンからのメッセージや、コーヒーショップで難民と交わす何気ない会話に難民の結婚や恋愛話なんかもある。さらには、ラジオから飛び出し制作されるテレビでは、ドイツに住むナイジェリアの難民青年が近所のスーパーで母国の食材を買って自宅で調理するクッキングショーなども放映している。
「みんながみんな、難民(の過去や生活、人生)に興味を持っているかと言われればそうではありません。みんな各々の生活で忙しいし、目の前のことで手一杯。世界中のすべての人にリーチすることはできない。そこで私は『RRNは図書館のようだ』と考えています。誰しもが来館できて、好きな本を選ぶことができる場所」。日常生活で否応にも目に飛び込んでくる「難民危機、深刻化!」の新聞の見出しでもない。「難民はこんなに惨めな思いをしています…」のお涙ちょうだいのテレビ報道でもない。難民について知ってください、理解してください、助けてください、とメディアの一方的な押しつけではない。難民自身の「好きなときに、好きな番組を聞いてみてください」という構えが、リスナーを無理なく自然と引きつけているのだろう。
当事者だから言える「Are you afraid of me? (わたしのこと、怖いですか?)」
「Are you afraid of me? (わたしのこと、怖いと思いますか?)」。これは「人々は難民の“なに”に恐れているのか」をテーマにしたトークイベントで、ラリーがドイツ人ゲストに向かって投げかけた質問だ。「難民が自分たちの仕事を奪うのでは、と恐れている人々もいます。しかし現実はそうではなく、難民はその国の文化と共存しその国の役に立ち、利益を共有したいと思っているのです」。RRNはラジオやテレビ制作を飛び越え、メインストリームメディアやコミュニティメディア、ジャーナリスト、ブロガーを招いて「移民とメディアのあり方」についてシンポジウムを開催したほか、タイや香港など国外の学生を迎えてのワークショップ、人種差別反対を訴えるアーティストたちを招致してのミュージックフェスティバルも開いている。
ラリーが力を入れているのが、ヨーロッパ諸国をまわっておこなう難民へのラジオ制作ワークショップ。「ラジオ制作ワークショップでは、録音に関する機材の使い方などを教えています。というのも、難民申請はときに1年以上かかり、その間やることがありません。その時間にも、ラジオづくりなどを通して自分たちのストーリーを届けてほしいのです」
「Are you afraid of me?(わたしのこと怖いですか?)」。この答えがイエスでもいいし、ノーでもいい。メルケル首相の難民歓迎政策に賛成でも反対でもいい。難民の話だから聞かなくてはならない、難民について無関心でいてはならない、難民を理解しなければならないとプレッシャーに感じなくてもいい。日課で聞いているポッドキャストを再生するように難民ラジオのチャンネルに何気なく手をかけるのもまた個人の選択であり、それはRRNのパーソナリティたちのように難民たちが声をあげようとする権利とまったくもって同じなのだ。
Interview with Larry Macauley
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Photos via Refugee Radio Network
Text by Risa Akita
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine