ニューヨークには星の数ほどレストランがある。それこそ世界から一流シェフが集結し、食通たちを唸らせるために日々皿が生まれてゆく。が、あるレストランのキッチンを回しているのは意外な人たちだった。厨房に並ぶのは、シェフ経験なしの賑やかな「おばあちゃんたち」。
“世界各国・おばあちゃんの台所”へ
おばあちゃん料理店こと、「Enoteca Maria(エノテカ・マリア、以下エノテカ)」。
まさに「世界各国のおばあちゃん料理店」、一味も二味も他のレストランとは違う。10席ほどのこじんまりとした店内奥には、小さな厨房が見える。各国のおばあちゃんたちが、自慢の家庭の味をせっせと作る“おばあちゃんたちの台所”だ。シェフや元シェフは一人もいない。
提供されるのはもちろん多国籍料理だ。今日はルイザおばあちゃんのイタリア料理、明日はローザおばあちゃんのペルー料理、その次の日はヘレナおばあちゃんのチェコ料理…といった具合で日替わりのエスニック料理がメニューに並ぶ。
「エノテカは、国境なき世界のような場所だよ。多国籍の食を体験できるね」と迎えてくれたのはエノテカのオーナー、Jody Scaravella(ジョディ・スカラヴェラ)。「世界のおばあちゃん料理をレストランで」というコンセプトを生み出した張本人だ。
おばあちゃん子だったオーナーの“閃き”
ありそうでなかった「おばあちゃん料理店」。一体どのように生み出されたのだろうか。オーナー、ジョディの過去に触れたい。
ブルックリンのイタリア系家庭に生まれた彼は、仕事で忙しかった両親の代わりにおばあちゃんに育てられた”おばあちゃん子”。シチリア生まれの彼女、ジョディにラザニアやパスタなど本場のイタリア家庭料理を教えてくれたという。
時はうんと流れ、最愛のおばあちゃんも天国へ逝ったあと。ジョディはエノテカを開店した。10年前のことだ。「おばあちゃんの味が恋しくてたまらなくて」。料理人に雇ったのは、プロのシェフではなく、普通のイタリア系移民のおばあちゃんたちだった。
「台所におばあちゃんやお母さんが立っている光景って、どことなくドリーミーでノスタルジックでしょう。料理の匂いや音がふわっと漂ってくる感覚さえ思い出せるようで」
素人のおばあちゃんがシェフ、という斬新さと彼女たちが作る素朴なイタリアの味はお客さんたちに大好評。それならば、とジョディが思いついたのが、「イタリアの家庭の味が楽しまれているのなら、世界各国の家庭の味も紹介したい」。
今年7月から、世界の国々にルーツを持つニューヨークのおばあちゃんたちをエノテカの厨房に招き、自慢の一品をこしらえてもらうことに。
大切なのは、味でなく「体験」。おしゃべり好きなノンナたちに迎えられ
ジョディは、エノテカのおばあちゃんたちはシェフではないと言いきり、「Nonna(ノンナ)」と呼ぶ。ノンナ、はイタリア語で「おばあちゃん」の意。
レストランに在籍しているノンナたちは、およそ30人。アルゼンチン、ベネズエラ、コロンビア、アルジェリア、チェコ、イタリア、エクアドル、ギリシャ、ポーランド、トルコ、ドミニカ共和国などのノンナたちが、1ヶ月に1回、エノテカの厨房に立っている。
「レストランのシェフたちにとって料理は“仕事”だろうけど、ノンナたちにとっては違うのさ」とジョディが言う通り、彼女たちはお客さんに喜んで自国の食や文化を紹介する。
「ノンナのほとんどが家の外で働いたことはない。だから外に出て、自分の料理を家族以外の多くの人たち楽しんでもらうのが、とにかく嬉しいんだろうね」。専業主婦の人生を歩んできたノンナたちにとってエノテカは、日常から抜け出し活躍できる第二の台所なのかもしれない。
大切にしているのは、味ではなく体験。「おばあちゃんの家に行くような感覚」で訪ねてきたお客さんたちをノンナたちは、大きなハグと軽快なおしゃべりで迎えている。
イタリアのノンナ・マリアおばあちゃんに弟子入りしてみた
エノテカでは、最近ノンナの料理教室をはじめたというので、1日体験入学してみた。
この日の先生は、南イタリア出身のマリアおばあちゃん、82歳。ジョディ曰く、「エノテカは第二の家」が口癖の、笑顔が可愛らしい気さくなノンナだ。
マリアおばあちゃんがこの日のために選んだメインディッシュは、タラのトマトソース添え。ケッパー(ケッパーという植物のつぼみをピクルスにしたもの)とオリーブも脇をしめる。
厨房に立つと、トマトはこう潰すんだよ、オリーブは色が黒いのを選んでね、イタリア料理に欠かせないのは「チーズ・マカロニ・フレッシュトマト」。早速おばあちゃんの知恵袋だ。
料理の合間に、自身のことを教えてくれた。
南イタリア・アヴェッリーノ出身で、17歳の頃はカフェの看板娘だったこと。小さい時から、おばあちゃんやお母さんにお料理教わったこと。画家の夫とともに29歳でニューヨークへ移住したこと。毎日家族のためにご飯を作り、時にはみんなでバーベキューをすること。
息子にも料理教えたのよ、孫息子は建築家でね。自分の息子や孫の話をするときが一番嬉しそうだった。
朝10時に厨房入りしえんえんと立ちっぱでも「へっちゃらよ」。時折、これ美味しいの、とハムをスライス、チーズもナイフで大雑把切り。見た目にこだわったりや匠の技を披露するプロシェフのキッチンにはない、日常の台所風景だ。
「おばあちゃんの味」、実食
さて、お待ちかねの試食タイム。ありきたりなコメントだが、舌に広がったのは「素材の旨み」だった。味付けが最小限なのだ。レストランの味は一般的にもっと塩っ気があって濃い印象があるが、マリアおばあちゃんの味つけは、ガーリックと塩が程よい加減。トマトとタラ本来の甘みが生き生きとして、優しくて素朴な味わいだった。
なんだか世界ウルルン滞在記で「イタリアのおばあちゃん宅の食卓にお邪魔」したかのような気分。ジョディが「ノンナたちのイタリアンを食べるようになってから、他のイタリアンレストランに行かれなくなっちゃったよ」と言っていたのが、よくわかる。
あとでマリアおばあちゃんに、どうやったら料理がうまくなるの? と聞いてみた。「あらあ、そんなの簡単よ。毎日作ってみて、次の日に少しだけ上手くなるように頑張ってみるの」
いまは大人になった息子、娘が慣れ親しんだ確かなおいしさのご飯たち。隠し味に、台所でのおしゃべりと人生経験をちょっぴりと。
おばあちゃんの味とは、お袋の味を作り上げたルーツであり、自分たちを産んだ親たちを育ててきた味。そう思うと、胃袋がまたほんのり温かくなる。
Photos by Kanako Iwaki
Text by Risa Akita