活字離れ、出版不況、デジタル書籍の台頭。
近年、紙媒体の書籍につきまとうニュースは暗いものばかりだった。
ここ米国でも2011年には大手書店チェーンの Borders(ボーダーズ)が倒産するなど、5年ほど前から紙出版物の売り上げが減少しているのは誰の目にも明らかだった。
だが、いま紙出版業界に明るい光が差し込んできているという。
昨年あたりから紙の売り上げは上昇。今年上半期の売り上げは、昨年に比べると6パーセント増しだ。
じりじりと這い上がりつつある紙媒体を率先するかのように売り上げを伸ばすジャンルがある。
それは、コミック・グラフィックノベル部門だ。
米国・カナダでの昨年の売り上げは約9億ドル(約900億円)にも昇り、これは前年比10パーセント増、さらにいえば過去5年、毎年10パーセントほど増加し続けている。デジタルフォーマットを含めれば1993年以来初の10億ドル超えも突破した。
紙媒体の再興に一役も二役も買っているコミック。なぜいま、米国で人気急上昇中なのか? ブルックリンにある老舗中古コミックブック・ショップの店主に聞いてみた。
キーマンたちは“新聞の漫画”世代
「常にある一定の(コミック)購買層がいるからじゃないかな」
近年コミック業界が急成長しているのはなぜだと思いますか? というこちらの直球な質問に、少し考えながらこう答えたのはJoseph Koch(ジョセフ・コッホ)。ブルックリン、サンセットパークの倉庫街で中古コミックブックショップ「Koch Comics Warehouse(コッホ・コミックス・ウェアハウス)」を25年以上経営する店主だ。
「1950年から70年代、コミックとともに育った世代はいまでも漫画を手放せないからね」
スヌーピーでおなじみ『Peanuts(ピーナッツ)』や動物たちがわんさかでてくる『Pogo(ポゴ)』、男の子とぬいぐるみのトラが主人公の『Calvin and Hobbes(カルビン・アンド・ホッブス)』など、コミック・ストリップ形式の新聞連載漫画が子どもたちの娯楽だった当時。
現在67歳の店主もどんぴしゃりの世代で、売店で新聞漫画を立ち読みし、週刊漫画の発売日だった毎週水曜日には本屋に駆け込む子ども時代だったという。
そんな子どもたちがティーンや学生になると夢中になったのが、いわゆる「アメコミ」と世間で呼ばれるコミック。スパイダーマンやキャプテン・アメリカ、アイアンマンを生み出した「Marvel Comics(マーベル・コミック)」やスーパーマンやバットマン、ワンダーウーマンの本家「DC Comics(DCコミック)」の2大アメコミ出版社がコミック業界を席巻した。
コミックとグラフィックノベルの違いって?
60年代から80年代、コミックの登場人物といったらスーパーヒーローだったのだが、「いまは“グラフィックノベル”のキャラクターもいろいろだよ」と店主。
ん? そもそも「コミック」と「グラフィックノベル」はどう違うのだろう。コミックというと子ども向けの漫画やアメコミのようだし、グラフィックノベルというとnovel(ノベル、小説)というからにはなんだか大人向けな聞こえがするのだが…。
「違い? ないね。用語が違うだけで中身は同じものだよ」
店主、一刀両断。詳しく聞くと、こう説明してくれた。
出版業界では、グラフィックノベルのことを専門用語でトレード・ペーパーバックという。これは数巻にわかれているコミックをまとめて一冊の完結編にしたもので、グラフィックノベルのことを指すのだそうだ。
わかりやすく言えば「テレビドラマから6話(コミック)を取ってきて、コマーシャルを抜き出し、編集し直したのが1本の映画(グラフィックノベル)」だと。
つまりは一冊のボリュームが違うだけで、ストーリーなど本質的な違いはないのだ。
コミックとグラフィックノベルに違いがないことがわかったところで、本題に。出版業界の“希望の星”コミック・グラフィックノベルが人気上昇中のワケはなんだろうか。
ヒーローものだけじゃないし、「主人公=白人男性」じゃなくなった
最近のコミックには実にさまざまなストーリーがあり、いろいろなタイプの主人公がいる。
例をあげると、作者自身の生い立ちや青年期の恋愛など色濃いライフストーリーで綴られるベストセラー自伝グラフィックノベル『Blanckets(ブランケッツ)』や、マーベルから出版されたパキスタン系アメリカ人女子がヒロインの『Ms. Marvel(ミス・マーベル)』、中国系アメリカ人の作者が中国系移民のアイデンティティをテーマに描いた『American Born Chinese(アメリカン・ボーン・チャイニーズ)』など。
「白人男性の作者が白人男性をターゲットに、白人男性を主人公にしたヒーローもの」という既存の価値観はなくなりつつある。
書(描)き手も読み手も登場人物もテーマも千差万別になったということは、それだけ作品のストーリーやキャラクターに共感できる層が増え、みんなが手にとりやすくなる。結果、読者層が幅広くなり、読者数も増える。これは一つの大きな要因だろう。
女性もグッズ購入に参入。マニアの娯楽から「大衆エンタメ」へ
店には、コミックやグラフィックノベルがぎっしりつまった1300もの箱が所狭しと置かれている。その棚の合間やダンボール箱にあふれかえるように入っているのが、コミックキャラのフィギュアや玩具、Tシャツ、ポスターや缶バッチなどコミック関連グッズたち。これが、現在コミックが人気を伸ばす理由は? に対するひとつの答えなのだ。
事実、コミック関連グッズの売り上げは飛ぶ鳥を落とす勢い。 スパイダーマンだけとっても世界でなんと約10億3000万ドル(1320億円)の売り上げだ。また、興味深いことに昨年から今年にかけての関連グッズオンライン購入者の約6割が女性というデータもある。
「20年前は、家にコミックがあれば100冊くらいある、なければ0冊。つまり、コアなファンかまったく興味のない人か、のどちらかだった。
でも、いまは熱心なコミックファンでなくても本棚には他の本に紛れて、『ダークナイト・リターンズ(Batman: The Dark Knight Returns)』のグラフックノベルなんかが立ててあるんじゃないかな」
ここまでコミックが一般受けするようになったのは、もともとグラフィックノベルだったものが映画やドラマで実写化された影響がある。
バットマンやスパイダーマンはもちろんのこと、コミックヒーローが一堂に会する『Avengers(アベンジャーズ)』や世界中でブレイクしたゾンビ・テレビドラマ『Walking Dead(ウォーキングデッド)』、つい最近でいうとヒーローコミックの悪役たちを主人公にした『Suicide Squad(スーサイド・スクワッド)』など。
映画やドラマから入った人たちがメインストリームカルチャーとしてコミックを消費する。新しいコミック読者層が、増えつつあるのだ。
図書館の棚にはスパイダーマンのグラフィックノベルが置かれ、ニューヨーク・タイムズではグラフィックノベルの書評があり、街ではスーパーヒーローのTシャツを着ている人を見かける。
一昔前までは、「ひとつのサブカルチャーとして熱烈なマニアがコアに探究していく」コミックだったものが、「そこまでのファンではなくても気軽に手にとり読める大衆エンターテーメント」としてのコミックになったということか。
コミック全盛期に若き時代を過ごした世代(日本でいうと購買力が高いとされる団塊やその前後)が、米国コミック・グラフィックノベル業界の土台を支え続けている。純粋で堅実なコミックファンとして。
そこに、映画やドラマなどのエンターテイメントやグッズからその存在を知った人々や、多様化するコミックに共感する一冊を見つける新規ファンが流入してゆく。
コミック・グラフィックノベル業界を押し上げるのは、昔からのニッチな購買層と新しくてマスな読者層の力。それは、低迷期を終え成長しはじめた紙書籍にもたらす、大きなパワーでもあるのだ。
Koch Comics Warehouse
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Photos by Miki Takashima
Text by Risa Akita