現代に〈木を植える〉でコミュニティ経済を生む “マオリの村”。北島、1000年ビジョンの切実な村おこしを追う

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ニュージーランドの先住民、マオリ族にいまだに存在する「カイチアキ」を探していた僕がひょんなことから出会った部族は、100人ほどの村で経済システムを生もうとしていた。その方法は〈木を植える〉こと。

見据えるのは1000年先、という目がくらむほどの長期的なビジョンだ。この10年間、地道に木を植えてビジネスを生み、それは利益を生みはじめ、着実に村のコミュニティを自立させる目処を立てている、という。実際に足を運び、その村の取り組みを追った。

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カイチアキを探して出会う謎の「村おこし」

 2016年、僕は北島(ニュージーランド)にあるホークスベイという地域を車で走っていた。アールデコ調の建物やカフェが並ぶ瀟洒(しょうしゃ)な街をこえ、海沿いを2時間。簡素な平屋が散らばる広大な牧草地を、褐色の肌をした子どもが半ズボン姿で駆けまわっている姿が見えはじめる。さらに走ると、忽然と現れるコバルトブルーの海。鮮やかに浮かびあがるこの国の色には、西洋とマオリの文化が脈打っている。

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*本記事内の写真は筆者がニュージーランドで撮影したものだが、今回のマオリの村とは関係のないものです。

 ニュージーランドにおけるマオリ族の歴史は長い。マオリ族は14世紀ごろに南方の島々からニュージーランドに移り住んだポリネシア系の先住民(相撲の小錦や曙も、ポリネシア系)。樹木や岩、水などの自然には霊的な源や力が宿っていると信じ、森羅万象を敬い、農耕や採集をしながら暮らす民族だった。彼らの土地は、ニュージランドに進出していたイギリスとの軋轢を機に、一度奪われている。長期交渉のすえ、2008年にニュージーランド政府がようやく土地の大部分をマオリ族に返すが、「75パーセントを占めていた原生林が20パーセントまで激減した状態」での返還だった。

 僕は「カイチアキ」を探すために、あるマオリ族の村に向かっていた。カイチアキは大地の番人、あるいは保護人、と訳される各部族に存在する役職のようなもので、古来から伝わる方法で自然をケアし、資源をどう使うかを決める権利を持つのだという。その原始的な響きに魅力を感じ、「本当に現代にそんな人たちがいるのか?」と疑いながら、彼らを探した。部族の集会にもぐりこんだり、マオリ家族の家に居候したりとあの手この手を尽くしたが、なかなか見つからない。

 そんなとき、居候していた家の父からある村の話を聞いた。どうやらそこでは部族の長老を中心に、独特な方法で村おこしをおこなっているという。どうやって? と聞くと「大地に尊厳を取り戻す努力をしている」と、よくわからない答えが返ってきた。なんとなく「その長老はカイチアキかも」と思ったし、その謎の村おこしも気になったので訪れてみることにした。

長老に連れられ、人口100人ほどの小さな村へ

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 広大な牧草地の間にひっそりと存在する小さな集落で僕を待っていたのは、小太りで体躯のしっかりした70歳くらいの老人だった。ヨレヨレの肌色のシャツと半ズボンをゆるりと纏っていて、目鼻のつくりが大きい。ポリネシア系特有の鷹揚(おうよう)とした雰囲気が漂っている。

 KiAORA(コンニチワ)!と、僕を温かく迎えてくれ、ホンギという鼻と鼻を合わせる挨拶を交わす。「私たちの土地へようこそ。君の話は聞いているよ。知識をシェアしようじゃないか」と、長老は顔をしわくちゃにして笑い、朗らかに言う。

 まずは僕の一番気になっていたこと、「あなたはカイチアキか?」と単刀直入に聞いてみた。長老は、キョトンとした。「日本人がカイチアキという言葉を知っているのに、驚いた。残念ながら私は自分がカイチアキだと意識したことはない。確かにカイチアキと名乗り、その役職をまっとうしている友人もいるが」。ああ、また空振りか。だが、この長老も只者ではなさそうだ。

 見たところ、ここは人口100人ほどの小さな村だ。コンクリートの壁に緑や青のペンキが塗られたシンプルな家々が並び、村の中心にはどの部族の村にも必ずあるマラエという集会所がある。隣接する建物から湯気が漂っていて、中からは女性の声や、食器を洗う音が聞こえるので、食事を準備しているのだろう。木が密集して起立するエリアの向こう側に穏やかな海が見える。美しい村だ。

「でも、昔はもっと深い森があったし、豊かな生態系があった。海にも森にも、鳥の声が響いていたんだ。10年前までこの土地は政府に奪われていて、私たちの手に戻ったときには森が消えていた。鳥たちの声は聞こえず、土地がやせ細っていた」と長老は言う。マオリにとって、papatunuku(パパトゥアヌク、大地)や森は神様であり、母親であるという。部族内で共有し、大切にケアしながら共存していたが、18世紀に入植した西洋人の価値観は違った。彼らは、土地を“人間の所有物”だと考え、輸出と牧畜のために木を伐採し芝を植えたのだ。土地に対するこの対極の価値観ゆえ、後に戦争にまで発展した。

「ただの土地だろ、と思う人もいるかもしれないが、土地は私たちのアイデンティティだ。背骨を抜かれたように私たちの民族は弱体化した。農耕や狩猟もできなくなったから、生きるために白人社会に馴染み、彼らと同じような仕事をしなければならなかったけれど、難しかった。差別もあったし、貧困から劣悪な生活環境に置かれたマオリ族の人口は激減したよ。そんな状況でも私たちは、諦めずに土地の返還を主張し続けた」と、少し興奮した口調で続ける。いっときはニュージーランド全人口の5パーセントを切り、絶滅寸前だとされていたマオリ族。だが、1960年代に世界中に広がっていたブラックパワーやマイノリティの権利獲得運動と連動するように、マオリ復興運動は盛り上がりを見せ、念願が叶ったのがつい10年前だ。

土地が帰って来たことで、やっと私たちはスタートラインに立った。何度もマラエに集まり、これからどうするか相談した。目標は、私たち本来の暮らしを取り戻し、ここに仕事を生み、部族として自立することだ

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経済的自立を目指し木を植える。ビジネスを生み、黒字も?

 都市から離れた場所に住むマオリ族は、経済面が厳しい。地域に仕事がないので、生活費は季節労働者として遠くの農園で働いたり、政府からの生活保護に頼っている。子どもたちは大人になると、都会に出て職を探し生活することが当たり前になっているが、マオリの失業率は高い。また、土地への愛着が薄れた若者は、故郷に戻り生活することも少なく、拠り所がないことも一因となり、アルコール中毒や自殺、犯罪率の高さが長年の問題としてある。コミュニティを維持するためにも、マオリを取り巻く環境を改善するためにも、この状況をどうにかしなければならなかった。切実に、村おこしが必要となった。

 そのために彼らが選んだ方法は、〈木を植える〉こと。「西洋人たちは、利益を得るために大地を使う。でもマオリは、大地をケアしたその先に利益が生まれる、と考えている」。長老は、村にある小高い丘に僕を連れていってくれた。眼下には、数人の女性が土をいじる姿が見える。

「あれが農園だ。原生林の森の木からもらってきた、カウリなどの種子を2年ほどプランターで育てる。成長したら、部族みんなで協力して、大地に植えつけるんだ」。大人から子どもまで手伝える人が集まり、スコップで30センチほどの穴を掘り、育てた苗を大切に植えてゆく。近くに住む白人やアジア人たちがボランティアで参加することもあるという。
 興味深いのは、以前は関係が悪かったニュージーランド政府と協力していることだ。西洋的感覚で自然と対峙してきた環境省と協力し、管理や植林を手伝ってもらっている。「プロジェクトを主導するのはこちらで、彼らには補助をしてもらっている。意見が合わないこともあるが、彼らの科学的な知識もとても役立っている。私たちの伝統的な自然を保護する方法と融合させながら、このプロジェクトを進めていっているよ」と長老。

 マオリの伝統的な方法とは何か? と聞くと「カイチアキタンガと呼ばれる、世代を超えて伝わる自然のケア方法だ」という。「たとえば、一日に、木の実や小動物を収穫できる量や数は決められている。それは、私たちの先祖が蓄積してきたデータから割り出した、生態系を崩さない数だ。文字を持たないマオリはその情報を口伝で伝えていき、守ってきた。環境省の職員たちにも同様に伝えている」

 また、マオリは土地に魂が宿っているかを重要視する。Rahui(ラフイ)と呼ばれる慣習があり、生態系に少しでも変化が起きたりバランスが崩れたと感じれば、資源の使用を一時的に止め、回復するまで待つこともある。土地に生気がなくなるのは、マウリ(魂)の力が薄れているということだとされていて、力を呼び戻すための儀式を行うのだ。

「海が汚れれば、土地を休ませることもある。非科学的なことかもしれないが、言葉や数字では説明できないことがマオリの土地には生きているし、それをやると本当に土地が息を吹き返す」と長老は言う。

 昨今、少数民族の伝統的な知識の重要性が見直され、研究が進んでいる。ニュージーランンドの環境省も、実際に彼らの知識を聞き、取り入れようとする意識が強い。「私たちのやり方は、昔は原始的で野蛮なものだと馬鹿にされていたけどな。でもいまは、やつらが教えて欲しいとやってくる。そりゃあそうだ、私たちは土地を奪われる前は、森を500年以上ケアしてきたんだ」

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 かつてはそれが原因で戦争にまで発展した、かけ離れた「土地の利用」における価値観はいま、同じ方向に向かっている。その結果、10年間で5万本を植えることに成功し、この地に再び固有種の森が生まれた。ゆっくりとだが、現在進行形でその森は拡大し、独自の生態系が少しずつ帰ってきている。カウリになった実を食べに、固有の鳥達が戻ってきたのだ。その鳥のフンは大地の養分となり、新しい命を芽生えさせる。その繰り返しが、大地に力を取り戻させていくのだ。

 土が豊かになることで、具体的な利益が生まれはじめている。長老は、丘の上から木が密集しているエリアをゆっくり指差した。「あそこは、ビジネスのために植えた松などの外来種の森。成長が早いんだ。種から農園で育てた苗木を、土壌に植えて数年待ち、伐採して売り、また同じエリアに苗を植える。もちろん、土地に負荷をかけないように数は守っている。固有種の木は、生態系を守るためにビジネスのための伐採はしない

 ニュージーランドで、林業は第3の輸出産業。外来種の森は安定した利益をこの地にもたらすはずだ。ここでも、作業はすべて村のファミリーたちと協力しながら取り組んでいる。仕事内容に応じて給料を支払うが、黒字が出れば部族で共有する。植林は、男女関係なく参加し、同時に将来につなげるために子どもたちに方法を教える。男性は森に入り害獣を鉄砲などで狩ることもあり、マラエで集会を開くときは女性たちが料理を振る舞う。

 労働の代価はお金だけではない。生態系が戻りつつあることで、マオリが重宝してきた、鞄の原材料などとなるフラックスという植物もよく育つようになったのだが、それを欲しい人が植林を手伝いにくる。どれだけ働くかは彼ら次第。まったく働かずにフラックスをもらって帰っていく人もいるが、長老は「それはそれでしょうがない」と気にするそぶりを見せない。資源が育つことで人を呼び、人が手伝って植林が広がる。村を越えた人々を加えながら、マオリの仕事を拡大させているようだ。

 土地が再生したことで、観光産業にも力を入れるようになった。豊かな森を歩き 鳥の声を聞き、マオリの文化を伝えるツアーだ。また、部族の仲間がビジネスに参加できるように必要な訓練もおこなっている。

「ナヘレ(森)」は魂の宿る場所であり、「カイ(食べ物)」と「ロンゴア(薬)」を授かる場所であるという観念がマオリ族にはある。ケアをすることで物質としての利益を人間にあたえてくれた大地は、いまではお金という利益を生んでくれる。マオリと自然の、新たな共存の形が生まれているのだ。安定した土地とコミュニティは、都会に出たマオリがうまくやれずとも帰ってくる拠り所となる。自殺や犯罪が減少する可能性もあるのだ。

「1000年かかってもいい。少しずつ自分たちの土地を取り戻していく」

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 長老は、僕を固有種の森の中につれていってくれた。そこでは木々が生命力を爆発させながら、自然の摂理のまま生きている。倒れた木には苔がむし、土に還ろうとしている姿は神々しかった。ひんやりとした澄明な風が吹き鳥肌がたったとき、森の魂とはこういうことか、と理解した。

 長老はこうも言った。「もう一つの目標は、太古の森を完全に取り返すこと。それは、100年、200年、1000年と、長い間をかけていく必要があるだろう。だから、私の思いを、子どもたちに引き継いで行くことが重要だ。私も幼い頃からマラエに集められて、部族のストーリーテラーに、土地とマオリとの関係性や、先祖との繋がり、部族のあり方について教えられてきたから」。

 僕はいま、その気の遠くなるような長い道の途上で、時間と知識を共有している。穏やかに揺れる深緑に見とれつつ、100年後の森の色を想像してみると、日本中で亡霊のように佇む、安易な地域おこしのために建てられ、すぐに役目を終えた建築物や、置き去りにされた街の風景が急に頭に浮かんだ。この村のやり方は遠まわりではあるが、確実にゆっくりと進み、経済発展の被害者が生まれることはないだろう。急進的な変化の陰で文化や風習が消えることもない。

「そういえば、君ははじめに、私のことをカイチアキだと言った。確かにそうかもしれないが、ここでは、先祖も、生まれてくる子どもたちも含めたすべての人がカイチアキなんだ。私たちは、受け継いだ土地への責任とともに生きている」。僕はこの時、カイチアキの意味をより深く理解したような気がした(そして僕のカイチアキ探しは、さらに熱を帯びていくのだった)。

 その後、長老に連れられマラエに行くと、部族の子どもたち10人ほどがハカというダンスの練習で集まっていた。僕に気づいた彼らは、僕だけのために踊ってくれた。目をギョロつかせ、舌を出し、威嚇にも見えるが歓迎の意味も持つダンス。大地の尊厳を取り戻した彼らは、村のあり方に自信を持っているように見える。

 夕暮れになった。長老にまた会おうと約束して帰路に着いた。帰り道、相変わらずこの国の純粋な空気をたどる光が、鮮やかに世界を照らしている。彼らが少しずつ木を植える理由は、未来への想像力をなくしてしまった現代社会への穏やかな抵抗でもあるのかもしれない、と思いながら僕は車を走らせた。

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Photos by Daizo Okauchi
Text by Daizo Okauchi
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine

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