「搬送されたギャングが目の前で撃たれた、なんてこともありますよ。
それで、病院のスタッフには『先生あぶないです!』なんて言われちゃったりして。でも、僕、好きなんですよ、この仕事」
大山えいさく。「日本では鍼灸師めざしてました!」と朗らかに笑う顔からその真意は見抜けない。
極悪人刑務所で、極悪人たちをカウンセリングしてのけるんだから…。
普段は街の精神科に勤務しているという。平日の月〜金だ。
大山せんせいは、わざわざ土日に好き好んで極悪人刑務所に当直し、
重犯罪者やマフィア・ギャング、治る見込みのない患者が日々送られてくる
“荒廃した精神の墓場”と呼ばれる精神病棟で働いている。
そんな謎だらけの大山せんせいに、長年書き溜めてきた日記をもとにいろいろとお話ししてもらおうと思う。
1話目から読む▶︎#001「自尊心より下半身で選択した、精神科医という道」
#006 後編「過去、ベッティと研修医だったせんせいの会話」
私が研修医のときだった。研修の一環で私は別の病院の司法精神科に出向していた。その時の教育目的で、私は患者を割り当てられて2週間で症例報告を出さないといけなかった。
その割り当てられた患者がベッティだった。彼女はひどい幻覚妄想状態にあり、自分は動物の胎児を妊娠しているという妄想をいだいていた。面接中に、私はその妄想を否定した。何度もやった妊娠検査の結果が陰性なことも話し、何とか彼女を説得しようとした。
すると、机を挟んで座っていた彼女は急に立ち上がり、私の方にゆっくりと近づいてきた。鎮静薬のせいで表情のなくなった顔を、ぬうっと私に近づけてきた。アフリカの土着宗教の祝祭用のマスクのような不気味な雰囲気にのまれて私は固まっていた。私は立ち上がれず椅子を引くにも背後の壁に阻まれて身動きが取れないでいるうちに、彼女は口を私の耳元まで近づけてきていた。そして、耳元で急につぶやくように、フォーン、と小さくうなった。彼女の顔がゆっくり下がり、彼女はまた椅子に腰かけた。
私は何だったのかまるで分からず呆気にとられらがらも、冷静さを取り戻して、どうしたの、と聞き返した。彼女は真剣に私を見て、私の中の象の胎児が泣いています、これで先生も分かったでしょう、と目を丸くしていった。私は一瞬の、殴られる、という恐怖から解放された気のゆるみから爆発的に笑い出し、ひーひーとむせびながら、笑いを止めようと思えば思うほど、突き抜けるように笑いがこみ上げてきた。しかしあっけに取られながらも私を寂しそうにじっと見ている彼女に頬を打たれた気持ちになり我に帰った。
そして私は彼女の目をしっかり見て一息飲んでからゆっくりと、あなたの声も赤ちゃんの声も私の心にしっかり届いてます、と言った。それから彼女は恥ずかしいような鎮静剤患者独特の鈍い微笑みをみせた。いま思えば象の胎児が何を意味するか分かる。
最近、グループセラピーの中で、なくしたものと同時に必ず得るものがある、無くすことは得ることだ、と彼女は言って他の患者を勇気づけているのを見た。彼女は本当に多くのものを失いそして何かを得たのだろう。実際のところそれが何なのか私にはわからない。それでいいのだ。彼女は、到底私なんかが生きることのできない彼女自身の人生を生きている。私たちが正気を失わず、この手の中にしっかり握り続けられるものはいつも限られているということだ。
Text by Eisaku Ooyama
Editor: Sako Hirano