友人目線でとらえた「クィアセックスワーカーの素顔」ある若者のフツウの日々『Documenting Thierry』

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日本に限らず、かつて“売春”が存在しなかった時代なんてあるのだろうか。答えはおそらく「ノー」だ。その売春は法律で禁じられ、あるいは法など関係なく疎まれ、それを生業とする「セックスワーカー」たちの基本的人権と労働権、社会保障はなきに等しい。

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 一方で近年は、「これが私の仕事です」と胸を張ってセックスワーカーがマーチするレッド・アンブレラ・プロジェクトや世界最大級の国際人権団体「アムネスティインターナショナル」が売買春の非違法化に賛成。徐々にセックスワーカーの権利の是非について公で議論されるようになってきた。そして、ここに無垢そうに映る青年もアクティビストでセックスワーカー。そして“クィア”だ。

 今年世に送りだされた一冊『Documenting Thierry (ドキュメンティング・ティエリー)』は、ロンドンのクィアセックスワーカー・ティエリーを主人公としたドキュメンタリーフォトジン。作者は、ティエリーと「クィアプロテスト*で出会い、2年後セックスワーカープロテストで偶然再会した」ドキメンタリーフォトグラファーのマーク・ヴァレ(Marc Vallée)だ。
“This Is What A Sex Woker Looks Like(セックスワーカーってこんな見た目なんだよ)”と書かれたTシャツを着た青年が目に止まって写真に収めた。それがティエリーだったんだ」。2度の出会いによってセックスワーカーの直面する問題や差別をフォトジンにしようと、制作に踏みきった。

*LGBTQの権利やクイア・コミュニティの認識向上のため、アクティビストたちが行う抗議運動。

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 2年間という月日をかけティエリーの自宅で人生や仕事、政治について語りながらカメラを向けたマーク。写真家というより友人のような立ち位置から切りとった一枚一枚には、乱雑な机に床に転がるコンドーム、無機質なベッドと散らかったクローゼット。上半身裸でみせる無防備な表情や他の若者となに一つ変わらない暮らしに、一瞬彼がセックスワーカーであると忘れる。そして文中に転がるティエリーの言葉は「えっと、ぼくはセックスワーカー。男娼でもなんでも好きに呼んでくれたらいい。それに、クィアでドラッグ常用者で移民でもある」。マイノリティ節炸裂だ。

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「セックスワーカーとして生きるのはこんなに大変なんです」「こんなに虐げられています」…といった感情論ではなく。コンビニのバイト、フリーランスのアーティストになるように“セックスワーカー”という道を選んだだけの若者が自然体で写実される。ティエリーとマークは、写真を撮る間に、フリーランスで働くセックスワーカーとフォトグラファーの共通点なんかの話で盛り上がった。切り取られた毒のない表情は、世間が当事者を置き去りにしてつくりあげたセックスワーカーを取り巻くネガティブを対照的に縁取る。

Documenting Thierry

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All images via Marc Vallée
Text by HEAPS, Editorial Assistant: Tomomi Inoue
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine

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