前日まで住所も知りえない。NYのあんな所で、記憶から消えないバー体験をくれた〈密室3人だけの極小バー〉の話(後編)

ググっても情報はない。前日まで住所すら送られてこない。謎たっぷりのニューヨークの極小バー、記憶に残るバーって何だろう。(後編)
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スピークイージー(潜り酒場)と呼ばれる酒場が近年ずっと人気だが、本当に「潜り」でやっている店は、どのくらいあるのだろうか。このご時世、“違法”でやってなきゃスピークイージーとはいえないとまで言うつもりはないが、ネットで検索できず、レビューなどもちろんなく、ある日突然隠れ里につれて行かれるような酒場だ。

名スピークイージーには平日問わず列ができるニューヨークで、久しぶりに、小さくてフラリとは絶対に訪れられない、隠れたバーに行ってきた話をしよう。

前編はコチラ

合法なので、スピークイージーではありません

 会話を通してわかったのは、目の前のバーテンダー、通称「N.D」こと、ネイサン・デイビット・オースティン氏は、アラスカの大自然の中で生まれ育ったの30代半ばの男性だった。ニューヨークへやってきたのは約10年前。この街の多くの“異邦人” がそうであるように、彼もまた、ニューヨークにある「特別な何か」を求めてやってきた若者のひとりだったという。


ここを抜けると、またバーに一歩近づく。

 この街には、その「特別な何か」を、あたえられたもの、つまり誰かが作ったものの中に見出す人と、ゼロから作り出そうとする人の、大きくわけて2種類のタイプがいるが、彼は極端に後者だ。同じ価値観を持った仲間を見つけたかったら「自分があったらいいなと思うものを、自分で作るのが一番だ」と豪語する。また、後者の中でも、自分が作ったものやアイデアに執着するタイプとそうでないタイプがいるが、彼には「執着」というものがほとんどない。 

 作りたいから作る。「ただそれだけ」。それだけのために、法に触れるかもしれないリスクを負って、人が立ち入らない場所への「侵入」を繰り返し、上述の給水タンクの中の潜りバーしかり、過去約10年の間に国内外の建物や森の中に「約25軒のスピークイージーを作ってきた」という。いまは、どれも跡形もなく消えている。そんな中で今回の「3人ぽっきりバー」は、初めての「合法」のバーなのだそうだ。「リカーライセンスも取得したし、大家に場所代も払っています」。


彼のバーの、隣の隣のバーで。

 
 なので、「ここはスピークイージーではない」と言う。スピークイージーとはもぐり酒場であり、つまり、違法でやっているものを指す。「だから、これまでに作った25軒のバーは全部スピークイージーですが、ここは違う。あえていうなら、看板のない、小さくて緊密なバーです」。
 世間では、数多のバーが「スピークイージー(スタイル)」だとアピールし、そう呼ばれることに嬉々としている。それは未だに「スピークイージー」がバズワードとして機能するからこそだとは思う。トレンドからみたら彼のバーはどこよりもスピークイージーに近いが、彼にはあまり関係のないことのようだ。

「スマホを取り出して写真を撮ろうとした人は、いままで一人もいない」

 今回、あえて合法にしたのは、この空きスペースを見つけた際に「継続的に営業をしたいと思ったから」。その意図をもう少し噛み砕いてもらうと、かげろうのようにほんの短い間だけ存在した過去の幻のバーたちがアートや社会実験だとすると、この場所では「実験ではなく、ちゃんとしたビジネスをしたいと思ったから」だという。
 カクテル作りは独学で学び、バーテンダーは「かれこれ15年ほどやっている」そうだが「(他人の)バーに勤めたことはない」。当然、カクテル作りのコンテストなどに出場したこともなく、バーテンダーとしては無名に等しい。いってみれば、彼のカクテル作りの技術がどれだけ優れているかを証明するものが何もない。
  
 カクテル一杯が2,000円近くすることは決して珍しくないニューヨークだが、そういったバーは内装が豪華だったり、バーテンダーが何らかのアワードを受賞した何者かだったりするのが常。なので、一杯2,000円の価値を下支えしているのは、場所の雰囲気やバーテンダーの経歴だったりするように思う。しかし、こちらの「3人ぽっきり」には、わかりやすい豪華さもなければ(なんだったら狭いし手作り感も半端ない)、ゲストを納得させるバーテンダーとしての称号も何もない。にも関わらず、値段を1人100ドル以上に設定するというのは、率直に言って「だいぶ大きくでましたね」という印象だ。


 実際、2時間弱の間にサーブされたカクテルは5杯ほど。どれも極めて小さなリキュールグラスで提供され、量は少なかった。ただ、ジュースやソーダ、氷を混ぜないアルコール度数の高いもので、全部飲み干せばそれなりに気持ちよく酔える分量だとは思う。ビターズやアマーロを重ねた味わいは、個人的には興味深いと感じた。
 
 提供するカクテルは毎回異なるらしい。中には「この店には絶対に行かない方がいい」「100ドルの価値なし」と酷評していたメディアもある。彼自身も、「ここは、すべての人に好かれるバーではないでしょう」と言う。そんな発言にも「大きくでましたね」と感じるのだが、一体、彼は何を基準に「一人100ドル」という金額を設定したのだろうか。
 
 その質問に対し、彼はこう答える。「私がここで売るのは、記憶から消えないバー体験です」。
 
 言い換えれば、記憶から消えない良質なバー体験には「1人100ドルの価値がある」ということでもあるらしい。では、記憶から消えない体験とは何か。そうと問うと「心が動かされること。そして、唯一無二であることだと思います」と答える。
 
 そして、本当に心が動かされれば「写真など撮らなくても、記憶から消えない」と言う。もちろん、人が写真を撮るのは忘れないようにするためだけではない。スマホという便利なツールがあるゆえに「なんとなく撮ってみた」という人もいれば、「SNSに投稿するため」「人に伝えるため」という明確な動機を持って撮る人も少なくないだろう。人々の、いま、ここで、自分がどんな体験をしているのかを、そこにはいない(不特定多数の)人たちに伝えたいという心理は、日常のそこかしこで垣間見られる。だが、「ここではスマホを取り出して写真を撮ろうとした人はいままで一人もいません」。

 なぜか。「いまこの場所にいる私たち3人の気持ちがちゃんと“ここ”にあるからではないでしょうか」。なるほど。確かに、ここには雑音も3人以外の人の気配もない。気をとられる要素が一切ないのだ。たった1人のバーテンダーが、たった2人の自分たちだけのために、目と鼻の先にいて、カクテルを作り、楽しいひと時を演出してくれる。これは「逃げ場のない状況」といえばそうだが、逃げないからこそ、その時間が「唯一無二の」特別なものになる。

  

 時には、なかなか会話が盛り上がらない、ということもあるらしい。だが、それはそれでいいのだという。というのも「ここでは最初のぎこちなさを最後まで引きずって出て行った人を見たことがないから」。盛り上がらないその瞬間から逃げないからこそ得られる心の動きやアルコールの味わいがあり、結果的にその体験が唯一無二のバー体験になる、と彼は確信している。

 また、「気持ちがちゃんとここある」のには、事前情報が少ないこと、つまり「おいしい」「微妙」「これが良かった」「100ドルの価値あり、なし」といった、他人の意見があまり介在していないことも大きいと思う。すごく小さな空間だとは聞いていたが、その小ささは予想以上で逃げ場はなく、次にどんな飲み物が何が出てくるのかもわからない。そういった完全なる「想定圏外」に放り込まれることで、警戒心とも好奇心ともつかない集中を伴う高揚を覚えた。そして、その高揚感を他人の意見に重ねるのではなく、自分の価値観で咀嚼する—。長い余韻をたのしめる、唯一無二の体験だった。

 ふと思う。そういえばこの街で最後にワクワクしたのはいつだろう? バーに限ったことではないが、ニューヨークほど新陳代謝が激しく、これほど新しいエンタメが次々と生まれる街も珍しい。なのに、どこへ行っても既視感がある。素晴らしい体験をしたとしても、多くの場合は想定範囲内なのだ。それは単純に慣れからくるものなのかもしれない。だが、行く前に手に入ってしまう前体験のような情報が多すぎることも大きいと思う。私は、それに手を伸ばし過ぎていたのかもしれない。

Photos by Kohei Kawashima
Text by Chiyo Yamauchi
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine

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