ギリシャが財政破綻を首の皮一枚で逃れた2010年から数えて8年、いまその首都アテネは「DIYパラダイス」と形容されていると聞く。「時が経つにつれ、待てど暮らせど状況は一向によくならないことに気づいた人々が、待つことをやめて動きはじめたんだ」。
かつては西洋文明の源流といわれ、いまではがらんどうの落書きだらけの建物が点在する荒廃のアテネ。DIYという言葉がやや似つかわしくないその歴史都市で、どんな“自分でやってしまえ楽園”が生まれているのか?
Photos via Latraac
財政危機でクリエイティブシーンは停滞
崩壊の中から創造が生まれるというのは、いまにはじまったことではない。共産主義崩壊後、東ベルリンではテクノが生まれ、内戦でぼろぼろとなったベイルートでは“レバノンのバンクシー”がグラフィティの力で街を再建している。財政破綻を経験したデトロイトでもアーティストたちが着々と進める「コミュニティ・ビルディング」が話題になった。
碧く広がる地中海とエーゲ海に囲まれ、神話が息づく遺跡がそびえ立つギリシャ。4000年の歴史をもつ古代文明の国の崩壊は「財政危機」だった。「ギリシャが財政危機」というニュースが世界中を驚かせたのは2010年のこと。国際通貨基金とEUによる金銭支援で破綻は首の皮一枚で免れたものの、「金借りといて楽はできませんよ」と緊縮財政など厳しい条件が課せられ、景気は大きく落ち込んだ。アテネなどの都市では治安悪化や犯罪率増加が叫ばれ、街をあとにした者も少なくない。おのずと空き家や地価の値崩れも進んだ。
Photo via Latraac
「ギリシャ危機以前から都市部の空き家などに、クリエイティブシーンは芽生えていた。でも、財政危機で、街の創造力もクリエイティブな動きも押し殺されてしまった」。回想するのは、アテネ在住の建築家ザコス・ヴァーフィスだ。「時間が経過するにつれ、待てど暮らせど自分たちの暮らす都市の状況は一向によくならないことに気づいた人々が、待つことをやめて動きはじめたんだ」。
ザコスはまず2014年に、アテネの中心部にスケートボウルを協力者を集めてDIYで建設開始、15年に途中ながら仮オープンしてお披露目、若者がさらに集いはじめた。昨年には併設のカフェも整い、スケートボードボウル兼カフェ「LATRAAC(ラトラック)」を正式にオープン。アテネにいま起こるDIYシーンのたまり場をいち早く作った。
取材に応じてくれたアテネ在住建築家のザコス・ヴァーフィス。
Photo by Angelos Giotopoulos
「アテネにはつねに活気あるストリートライフがある。そこにシーンは生まれるから」
「アテネは良くも悪くも自由。絶望の最中にある自由という感じ。それに地中海特有の過ごしやすい気候にも自由を感じるでしょ?」
2015年、ギリシャの25歳以下の失業率は約50パーセントにまで落ち込んでいる。若者の半数が失業状態。いまでも、依然として失業率は19.5パーセントと、EU加盟国の中で一番高い。建物にはグラフィティやタギングが目立ち、通りには薬物中毒者や物乞いが横たわる。街が復活したとは遠く言い難く、この現状がザコスのいう“絶望”だろう。
しかし、「アテネにはつねに活気あるストリートライフがある。もしバーのビールが高すぎて買えないなら、売店で買ってバーの外で飲めばいいさ。そこでもシーンは生まれるから」。アクロポリスの丘などの古代遺跡から歩いてすぐのエリアに位置する先ほどの「ラトラック」は、19世紀から残る中庭を改築したDIYスポットだ。スケートボードのボウル兼カフェとして営業しているほか、十分なスペースを持つボウル内でDJイベントやパフォーマンスを開催したりと、アテネの若者たちの溜まり場となっている。「自分たちの居場所がないなら自分たちで作るしかないだろう? 少しの予算だけで都市部に大きいスケートランプを作るなんて、アメリカやヨーロッパの都市じゃできなかったかもね。許可の問題もあるし」。
スケートボードのボウル兼カフェ「ラトラック」。
Photo via Latraac
アテネのDIYシーンを後押しするのは、ニューヨークやロンドンなどとは比べ物にならない安い地価(参考に、都市部の1ベッドアパートは約4万円。ニューヨークならその4倍以上だ)。それにくわえて「アテネはヨーロッパでもあるけど中東のようでもあり、ある意味混沌としていて創造的。それはフラストレーションでもあるけど“解放”でもあるんだ」。なんでも新しくはじめられる、いい意味で無秩序な自由な雰囲気があるのだろう。
海外からの移住組もシーンに定着してきている。「いい天気に安い家賃などを理由に、すばらしい人たちがアテネに移住してきているよ」。ロンドンから移住してきたガレスは自転車ショップ「ヴィシャス・サイクルズ」をオープン。路地裏レースや店先でのストリートパーティー、パンクイベントを定期的に開催し、かつてはバイクレーンも置き場もなかったアテネにバイクシーンを持ち込んでいる。またパリから移住してきたマチューは放置されていたコンクリートむき出しの3階立て空きビルを、ほとんど手をくわえずに実験的スペース「カサンドラス」に置換。アーティストとのワークショップやエキシビション、イベントを開催し、都市部空間や建築のあり方について考える機会をつくっている。「海外からの移住組によって、多様な文化の層がシーンの中に少しづつ生まれていると思うんだ」
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「ネクスト・ベルリン」ではない?後ろ盾なしのシーン、ジェントリフィケーションも課題
壁崩壊後から2000年代初頭まで、べらぼうに家賃の安い“物件天国”として多くのアーティストを引き寄せていたベルリン。現在のアテネに、かつてのベルリンを投影せずにはいられない。事実、「アテネはネクスト・ベルリン」と呼ばれることもあるが、アテネの人々は口を揃えて「ネクスト・ベルリンなんて呼ばないで」。なんで?
「ベルリン(のクリエイティブシーン)が栄えた理由には、ドイツの経済と繋がっていたことがあると思う」。ベルリンでは行政とカルチャーシーンの結びつきが強い。クラブ関係者がクラブカルチャーの文化的・経済的価値を行政に訴えたり、行政もクラブカルチャーを観光資源として扱っていたりと、支援関係がきちんと築かれている。
しかし、「アテネにはクリエイティブシーンにつぎ込む資本金がない。だから、アテネのDIYは携わる個々にリスクがついてくる」。債務*を負うギリシャが文化振興に、十分な支援を提供する余裕はいまのところないのだろう。ザコスがDIYで建てたラトラックも「政府や民間からの支援金なんてなかったさ」。
*今年、ギリシャの救済融資の返済条件を緩和する債務軽減策にユーロ圏財務省が合意。返済期間は10年延長された。
Photo via Latraac
Photo by Pinelope Gerasimou
かつてのベルリンDIYシーンのようだ、とは簡単にいえないアテネのシーンだが、ベルリンに学ぶ部分もある。それは「今後アテネにも起こりうるジェントリフィケーション」についてだ。ジェントリフィケーションとは、低所得者層が住む地域が再開発や文化的活動などによって活性化し、地価が高騰。結果、元からいた低所得者層を追い出してしまう現象のこと。
今年、ベルリンのクロイツベルク地区ではジェントリフィケーション反対運動が起こるなど、かつての物件天国も抱える問題だ。「2015年、まだ建設中だったラトラックにベルリンの建築家コレクティブが訪ねに来たんだ。ベルリンにおけるジェントリフィケーションや、将来どうしたらジェントリフィケーションを防ぐことができるかについて話し合ったりもしたよ」。海外からの移住組が増え、将来ジェントリフィケーションが進んだときに、いかにして地元のビジネスや伝統を守るかを、アテネはいまから考えている。
現在のアテネのDIYシーンは、まだまだ序章といった感じだ。経済危機という絶望の淵からようやく精神的自由を見出した段階か。同じく経済がぼろぼろとなったデトロイトのように、機能不全となった市営バスを“私営”で復活させたり、市自らが自転車専用レーンを張り巡らせたり、という街全体を巻き込んだDIYプロジェクトはまだ生まれていない気配だ。
しかし、DIY復興の先駆的存在ともいえるベルリンは今日にいたるまで20年以上の歳月を要している。数千年をたどれば戦争で破壊されたパルテノン神殿を15年かけ再建したこともあるアテネ、その地中海特有の自由な気質とテンポで、アテネ流のDIY復興を進んでいくだろう。
Interview with Zachos Varfis
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Text by Shimpei Nakagawa, edited by HEAPS
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine