ニューヨークのアンダーグラウンドカルチャーは、死にかけている?
2014年末に発行されたニューヨークタイムズのある記事が心に引っかかっていた。1970〜1980年代、「ニューヨーク文化黄金期」といわれる時代に、ここを拠点にインディーズから世界的知名度を手に入れたアーティストたちが、「あの頃の輝きはもうない」と吐き捨てる。地価高騰のため閉店に追い込まれたヴェニュー経営者たちも「ここはもう、クリエイティビティを開花させる場所ではない」と賛同する。
だが、「本当にニューヨークは終わったのか?」。そう問い直す。すると、聞こえてきたのは「it’s wrong(! 終わってなんかない!)」という、いまのニューヨークを生きるアーティストたちの声。D.I.Yより「D.I.T.」。カルチャーは、新たな思想で進化している。
アーティストの家?大家族の家?
Silent Barn(サイレント・バーン)は、一言でいうなら「アーティストのためのコミュニティ空間」だ。ブルックリンのブッシュウィック地区にある。一階にはライブステージとカフェ&バー、その裏には、レコーディングスペース、ギャラリー、スタジオ、シアター、また、バーバーショップなど、ポップアップショップを行えるスペースまで兼ね備える。さらに、上の階には住居も。2ベッドルームが四つ。単純計算をすると8部屋だが、中には自作の2段ベッドで一部屋を2人でシェアしている者もおり、常時12~15人が住んでいるという。
メンバーの多くは“上京組”。いわば、ここは彼等にとって「無縁」の街だ。だからこそ、家族のような繋がりを求めているのかもしれない。「鍵は開けっ放しで、みんな自由に出入りしているの」。住人のメーガンがそう話し出した矢先、別のフロアの住人が「ねぇ、今日ステファニーみた?」とやってくる。そんな会話は、メールで済ませるのが、90年代生まれの“常識”だと思っていた。
「部屋の写真を撮らせてもらってもいい?」と聞くと「Sure! Come on in!( おいで!)」と即快諾。年頃の女の子だ。「えっ、ちょっと片付けるから待ってて」と返されると予想していただけに拍子抜け。彼女だけではない。皆、「オッケー!」と、転がっている下着や、少々の散らかりなど気にも止めない。自信満々なのかというと、ちょっと違う。必要以上に自分を良く見せようと繕うことにエネルギーは使わないといったふう。そんなところが、家族的共同体を感じさせるのか。
過去の惨劇が育てた“D.I.T.”の精神
サイレント・バーンのようなアーティストのための多目的スペースは、ニューヨーク中探せばチラホラある。が、そのほとんどが必要ライセンス未取得。故に「バレない範囲」での運営に留まっている。ライセンス取得は、時間もお金もかかる骨の折れる作業だ。「安全のためなんかじゃなく、国が市民から金を搾取したいだけ」。その疑いから、やりたいことを勝手にやってしまいたい気持ちも分からんではない。
実際、D.I.Y.(Do It Yourself)文化はそういった矛盾だらけのメインストリームに対する反骨精神で育ったところも大きかっただろう。
だが、サイレント•バーンは反発しない。住居、イベントをやるための音響にまつわるものから、フード、アルコール、プロダクト販売権まで、必要なライセンスはすべて取得済み。「すべてにおいて合法的に存在しているのは、ここだけだと思う」
「合法」にこだわったのには、過去の惨劇が大きい。元々、創設は2004年。11年の夏のある日、夜間に何者かが窓を割って侵入。音響機材やパソコン、テレビなどの電化製品、貴重品、アート作品など根こそぎ盗まれた。金額にして総額400~500万円相当の損害。ただちに通報したが、「そもそも許可もなくイベントを開催して、おまけに住んでいるなんて、君たちがやっていること自体が違法だ」とあえなく強制退去。
このままコミュニティスペースの終焉も考えた。すると、それまでに関わったアーティストや住民たちが「サポートするから、継続して欲しい」と懇願。ならば、とキックスターターでのファンディングを開始し、結果753人もの人々にサポートされ、目標額(400万円)を達成。
「D.I.Y.よりD.I.T(. Do It Together)」という「恊働」の思想を重んじるようになったのはこの頃からだ。13年1月、多くの人々の支えを糧に今度は「合法的に」再スタートを切った。
脱ライブハウスの「チケットノルマ」
メンバーは、それぞれ担う役割がある。だが、「誰がマネージャーやリーダーかといった役職名はない」。それぞれが「私はこんなことができますよ!」とやってきて主体的に参加する。採用するか否か、また、そのスキルが使えるか否かをジャッジする過程はナシ。もちろん、昇進も降格もない。
あれ、若干「ゆとり」の臭いがする。そう思いかけたとき、2008年からのメンバー、ノーアがこう切り出した。「メンバーは、音楽やアートの制作に専念する『アーティスト』ばかりではない」。この「空間」は、ライセンスなど法律関連の専門、お金回りの専門など、様々なNPOの主体的なサポートがあるからこそ、存在し続けることができている、と話す。「NPOの主体的なサポート」、それが企業への「外注」と決定的に違うところは、人々の共感を巻き起こしながら参加を募る「市民参加型、自治型」の事業を推進できること。それがメンバーの主体性を育み、発揮の場にもなっているという。
「ライブスペース」と「アーティスト」は対等であるべきだ、というのも思想の一つ。これは、出演するアーティストにノルマを課し、アーティスト頼みの経営をする「ライブスペース」へのアンチテーゼでもある。
筆者も「ダンサー」を名乗っていた過去があり、クラブのショータイムに出演する度に「ノルマ」に苦しめられた経験がある。このノルマとは、「出演するのであれば、最低でも○人のお客さんを連れてきてくださいね」というもの。入場チケット一枚2,000円のイベントであれば、ノルマが5人の場合、1万円を負担させられる。5枚分のチケットが売れれば損はないが、売り切れなければ自己負担だ。
「アーティストを支援するためのスペース」を謳いながら、運営費をアーティストに頼るとはちょっとおかしな話だ。「そういったヴェニュー(スペース)は少なくない。家賃高騰が激化してからは特に」という。いまのニューヨークで、サイレント・バーンのように「誰でも無料で参加できるヴェニュー」を維持し続けるのは容易なことではない。それでも維持し続けるのは、アーティストたちから求められているからだ。2014年は「年間で400以上のイベントを開催した」という記録からも需要の高さがわかる。
近年、アーティストに無料でスペースを提供するカフェやバーも増えてきた。そんなところからも、対等にサポートし合う「D.I.T.」の精神が浸透していることが垣間見れる。
ネット時代にぶつける、生々しい熱
たとえば、音楽一つとっても在り方、それにまつわる環境・事物も日々、大きく変容していることはいうまでもない。路上で滔々と歌うよりも、サクッと音源をネットにアップロードする方が認知度を高めるにはいくらか効率的。それに、ライブに足を運ばずとも、高音質のヘッドフォンをつけてUstreamを観るのを好む人も多いだろう。つまるところ、「音楽はCDショップやライブ会場へ行かずともネットで済ませられる時代」。ミュージシャンを志す者には、なかなかに世知辛い現実だ。
それでも、音楽を求めて「ヴェニュー」(ライブスペース)に人は集まる。「今夜は人気のノイズイベントがあるの!」と、ワクワクを隠しきれないメーガン。平たくいうと、いろいろな機材で実験的に爆音を創り出すイベントだそうだ。
「床は震えっぱなしだし、天井からはよく分からない粉が落ちてくるんだから!こんな破天荒なイベントがいまでも存在してくれていること自体に感謝ね!」
結局のところ、こんな時代だからこそ、精巧に出来上がったモノよりも、鼻をつんと突くような、生々しく、心をえぐる濃厚な体験がしたいのだ。場所があるから人は来るし、新しい物語が生まれる。その物語を求め、また人が来るから、場所はあり続けることができるのだ。
ニューヨークが「チャンスは多いが競争も激しい街」であることは、いまも変わらない。だが、チャンスを掴めるのが一握りの人だけなのであれば、そんな不確かなものの為にギスギス戦うよりも、いっそ「皆で恊働して確実に自分たちのためになるチャンスを創ろうじゃないか」。これこそ、この時代を生き抜くサステイナブルなシステムだ。ニューヨークのアンダーグラウンドシーンは終わってなんかいない。
「D.I.T.」の精神で変容を遂げながら、新たな歴史を刻もうとしている。
silentbarn.org
Photographer: Kohei Kawashima
Writer: Chiyo Yamauchi