Aさんは、ドキュメンタリーやショートフィルムを手がける28歳のフリーランスのフィルムメイカー。Bくんは、2年前から友だちと一緒にモバイルアプリのスタートアップを経営する31歳。二人は近々結婚する、としよう。
新居への引っ越しは? 式はどうしようか?
バタバタの毎日を送る中、二人は入籍前に“あるもの”を交わした。一生添い遂げるという誓い? 結婚の祝杯? いえ、それはもっと現実的で実用的なもの。「婚前契約」だ。
「婚前契約」するミレニアルズ、増加中
「婚前契約」。それは、入籍前に結婚後の生活ルール、それから離婚時の条件など結婚や夫婦生活に関する取り決めを、あらかじめ「契約書」として残しておくこと。
「結婚前から離婚を念頭におくなんて…」とそれだけで萎える人も多いかもしれない。しかし近年、これをきちんと結んでから入籍に進むミレニアルズたちが、米国で急増中だ。
さて、具体的にはどんな内容か。よくあるものではざっとこんな感じ。
・結婚時の家事や育児の分担
・家計管理
・浮気をしたときの制裁
・離婚後の慰謝料
・別居や財産分与
・親権などの権利(ペットの引き取りまで)
取り決め内容はかなり自由だそうだ。まだまだ認知度が低い日本と比べ、海外では「プリナップ」(prenup:prenuptial agreement)と呼ばれ、比較的一般的な契約だったりもする。
米結婚弁護士アカデミー(American Academy of Matrimonial Lawyers)が1600人の弁護士を対象に行ったリサーチによると、弁護士の62パーセントが「ここ3年間で婚前契約を望む18歳から35歳のミレニアルズの数が増加した」と回答し、さらに過去20年間で婚前契約の数は5倍に増えたというリサーチ結果もある。
「スタートアップ」や「知的財産」が大きな要因か
婚前契約したがるミレニアルズ、一体なぜ?一つめのヒントは冒頭のBくんに隠されていた。それは、「スタートアップ」である。
ニューヨークで人気のフードアプリ「MAPLE(メープル)」やUBERのライバル配車アプリ「LYFT(リフト)」のCEOもミレニアルズ。能力や活力のある若手起業家が実力次第でスタートアップを立ち上げビジネスを成功させることは近年珍しくない。
つまり割と早い段階で、結婚するまでに「積み上げてきた金銭、将来成功するポテンシャルを秘めたスタートアップを経営している」など、家族から受け継いだ資産のほかに、大きな資産のポテンシャルを保持しているということだ。
州によっては「共有財産制」で、婚姻期間中に築いた所得と財産は離婚時も折半される。そのため、今後成長見込みのあるスタートアップはパートナーと共有せず、自身のみで所有しておきたい若い起業家がいるということか。
婚前契約の人気を裏づける二つめの鍵は、Aさんのクリエイティブな職種、“フィルムメーカー”。
自分が制作した映像や曲、脚本などの知的財産があるミレニアルズクリエイターや、開発したソフトウェア、アプリなどのテクノロジー財産があるテック系ミレニアルズには、給与や預金、不動産とは別に、守りたい“財産”がある。
将来、実行に移そうと温めているビジネスプロジェクトやアイデアにもプロテクションをかける場合もあるらしい。
“学生ローン”で現実的に考える「結婚」
“借金”を抱えた相手との結婚に、まったく不安がないとは言い切れない。でもまあギャンブルはしないし、クレジットカード返済地獄もない。借金なんてミレニアルズには無縁だろう、という気もするが、アメリカでは多くのミレニアルズが「学生ローン」という名の借金を負っている。現在、国内の学生ローン総額は日本円に換算しておよそ1兆3000億円にも及ぶなど、もはや社会問題となっているのだ。
となると結婚相手に学生ローンがあったら自分にも返済する義務があるのか…?と思うが、配偶者には婚姻前にパートナーが作った借金(ここでは学生ローン)の支払い責任はない。
とあるフィナンシャルカウンセリング団体の調べでは、54パーセントが配偶者のローン返済を助けたくない、44パーセントにいたっては相手の全額ローン支払いが完了するまで結婚を見合わせる、というシビアな結果も。
夫婦となれば金銭的に助け合っていかなければならない。でも正直、借金返済は別の話。そこで、「ローンは結婚しても離婚しても当事者が責任を負う」ということを、婚前契約でしっかり決めておきたい、というミレニアルズが増えているというわけだ。
また、未だ高い離婚率にくわえて、ミレニアルズは親の離婚を見てきた“離婚世代の子どもたち”でもある。そのため「結婚」に対してどこか冷めた部分があるのか、結婚が人生の目標と考えるミレニアルズは半数以下。結婚してもその隣り合わせに離婚があると、現実的な考えのもと行動しているようだ。
ドイツ・韓国は前向き。世界の婚前契約事情
アメリカと同じくらい婚前契約が市民権を得ているのが、アムールの国・フランス。夫婦の半数が離婚するといわれるほど離婚が日常茶飯のフランスでは、当然のことかもしれない。
ヨーロッパでも離婚制度が複雑な国ドイツでも、婚前契約は増加中。
どれだけ離婚が大変かというと、まず離婚には弁護士・裁判は必須。離婚原因関係なく、財産は分割、収入の多い方が少ない方に生活補助を支払う義務がある、と。婚前契約で離婚を見据えた取り決めをはっきりしておきたいカップルが増えている。
日本のお隣、韓国では、25〜39歳の未婚男女の半数が「婚前契約をするべき」と考えているらしい。
反対にすべての婚姻時に婚前契約があるのが、パキスタン。イマームと呼ばれるイスラム教指導者と立会人がニカナマという結婚証明書を発行、半ば形式的に執り行われる。
さて、“2分に1組の夫婦が離婚している”、と離婚率が高くなってきている日本では、婚前契約は増えてはいるものの、まだ浸透しているとは言い切れない。
婚前契約を「夫婦間の信頼がない証拠」ととるか、「よりよい結婚生活を送るための基盤」ととるかは夫婦次第。もっとも、双方の意見が割れ、結婚する前に婚前契約が理由で別れてしまっては元も子もないが。
少なくとも、無駄な出費を嫌い、結婚に対して“夢見心地なロマンチスト”では更々なく「より良い共同生活」と現実的に考えるミレニアルズの性質には、婚前契約はまったくもってアリなのだろう。
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Text by Risa Akita
Edit: HEAPS Magazine