その男の目線は、常に“足元”にある。ニューヨークのシティが吐き出す雑踏の音に負けない音量で、早口に吐き捨てる。「おにいさん、ちょっと待ちな!」「そこの旦那! おいおい無視かよ」「少しは靴にかまってあげなよ」。正直、ちょっとうるさいくらいだ。
商売相手は通行人の靴。商売道具は靴磨きブラシ。マンハッタンの道を行き交う履物に、来る日も来る日も野次を飛ばしてはちゃんと客をつかまえる、その男の生業は「靴磨き」。
30年、数十万足を光らせてきた靴磨き商
タイムズスクエアから1ブロック入った道端にいる、靴磨き商ドン・ワード(52)。彼の靴磨き店は路肩、2席しかない自作の靴磨きスタンドに手描きの看板を掲げる。行き交うビジネスマンに観光客、革靴を履いている者ならみんなお客だ。集客スタイルは、待ちではなく呼びこみ。「そこの兄ちゃん、自分の靴見てみな」「どれだけ靴をないがしろにしたら気が済むんだ?」。軽くあしらわれたと思えば次はジョークがまあまあウケて、その次は、うわ、いまの人完全無視。めまぐるしいコミュニケーションが続いていく。が、適当に言葉をぶつけているわけではないらしい。
「人を“読む”のに3秒ありゃ十分だ。まずは靴、そこから上に目線を移して全身をみる。どんな呼びかけに気を引いてくれるのかササっと考えんのよ。俺は、この仕事に長けてるね」。オフィスと観光スポットがごたまぜのこの角に、流しの靴磨き屋を開店して17年。月曜から土曜、お天道が顔を出してから隠れるまで、ひたすらキャッチ、キャッチ、キャッチ、 靴磨きを繰り返す。「一番忙しいのは、正午から昼の3時。好きな時間帯? これが最後の客だとわかるとき。ガハハ」
カジュアルウェア時代にも需要あり
街ゆく人の靴を見てみると、スニーカー率が高い。いまの時期はブーツももちろん多いが、サラリーマンの履く革靴は意外と多くないことに気づく。オフィスウェアもカジュアル化し、靴磨き屋さえ目にしたことない(あるいは、存在すら知らない)人も多いだろう。靴磨きは、すっかりレトロなカルチャーとなってしまったのか。それでも靴先から整えるとはいつの時代も男の身だしなみ、「お客が20人以下だとバッドデイ(ダメな日)」というから案外需要はあるようだ。
ドンが靴磨き商になったのは、およそ30年前。まだ靴磨きが街にごろごろいた時代で、理由は「それが儲かると聞いて」。「当時はさ、靴磨き職人が一列にずらーっと並んでいて、お客がてきとうに席につくってわけ。俺は靴磨きの基本スキルを見よう見まねでたった2週間で習得した。そいで、客引きのため “目立つ方法”も身につけたんだ。キャッチでお客ザクザク、新参者の俺は客をとってばっかり。古株たちに嫌われて、ここの角っちょに来たってわけ」。いまは亡き80歳のベテラン靴磨き商と一緒に店を出し17年、手と爪のあいだを真っ黒にして靴と向き合う。「この仕事のいいところ? 口うるさい上司も同僚もいない。あれしちゃいけないこれしちゃいけないの規則もなし、とにかく自由なところだ。以上!」
「無視されてどんな気持ちになるかって? そんなん考えてるヒマなんてないさ」
客足ピークも過ぎた午後4時ごろから、ドンの隣に立ち靴磨き商の現場を観察してみる。するとドンの言っていた“人を読む”が、手に取るようにわかった。たとえば、ドンのキャッチにすまなそうな顔をして「ごめん、現金ないんだ」(「現金持ってないヤツなんてどこにいるんだ。じゃあカードの暗証番号、お頂戴」とドンは言いたい放題)。ドンのジョークに笑って切り返す人もいる。彼らはきっと人がいい。反対に、無言に仏頂面、聞こえないふり(または本当に聞こえていないのか)で足早に去る人、ギロっと一瞥して無視する人。これには「ボディランゲージでどんな人間かわかる。きっとエゴな男だろう」。「いまの彼は、外界をシャットダウンして自分の殻に閉じこもっている。今日はやなことあったんだな」
勢いよく放つ一押しキャッチが虚しく雑踏に消えるとなんだか居た堪れない気持ちになったが、ドンには感傷に浸ってる時間などない。「無視されてどんな気持ちになるかって? そんなん考えてるヒマなんてないさ。それに毎日のことだからね。客引きは “釣り”みたいなもの。餌は俺のジョーク。引っかからなかったら次の獲物に狙いを定めるだけ」
ドンにとっては、おじさんもおじいさんも「ヤングメン」。英語が通じない観光客に対しても「汚い靴はどの言語でも“汚い靴”。世界共通言語だろ?」たった5分の手さばきで、7年越しの汚れをつけている靴もガムテープでぐるぐる巻きの靴(これが歴代最低の靴だった)、サマードレスから生える美脚のカウボーイブーツ(こっちは歴代最高の靴)、いいとこのお嬢さんの数十万ブーツも磨いてきた。
ドン、おもむろに「現代人、ストレス溜まってんねぇ」。耳に入ってくる通行人の会話はほとんどがゴシップらしい。17年の歳月は靴事情とともに人間模様も変えたようだ。
靴磨きが知っている、人生の磨き方
黒人革命家マルコムXやファンクの帝王ジェームズ・ブラウン、メジャーリーグの伝説サミー・ソーサ、ブラジルやペルー元大統領。彼らも実はみんな「元靴磨き」だったと知っているだろうか。靴磨きとは、人間をどう磨くのだろう。
「まず靴磨きをやろうと思うヤツには、備えつけの“謙遜”がある。そして靴磨きをしていくうちにもっと慎ましやかで謙虚な精神を身につけるのさ」。たとえばな、と昔話を引っ張り出してきた。「ある知り合いのアルコール依存症者の弁護士は、更生するため靴磨き商を目指したんだ。“俺の靴を磨け”って立場から一転、“あなたの靴を磨いて差しあげましょう”。以来、彼は靴磨きの仕事以外やりたくなくなったとさ」
ストリートには「人間のデカくて図太いネットワークがあり、そこから人道を学べる」。ストリートでは、人の本当の側面が垣間見れる。いままでドンは、通行人から人種差別的なことも言われたし、仕事を侮辱されるようなことも言われてきた。人の振り見て我が振り直せではないが、通行人のやってはいけない態度や言動から、人としてやってはいけないこと・言ってはいけないことを改めて学べる。ドンの教訓其の一、「『人として“なってはいけない”姿』を学べ」。
街ゆく人を観察していると、 その人はこんな人だ、あの人はこんな性格だろうなと勘ぐる癖がでる。しかしそれは正しくないこともある。さっき俺を無視したやなヤツ、なにを思い直したのか踵を返して戻って来た。話してみるとなんだいい人じゃないか、とか。ドンの教訓其の二、「自分の“読み”は間違うこともある」。
「磨きたての靴って、おろしたてのワイシャツみたいだろ?」。“一足5セントで、彼はオンボロ革靴を新品みたいにしてくれる/彼の磨いた靴に足を通せば、途端に踊りたくなるんだ”。フランク・シナトラのシューシャインボーイ(靴磨き少年)の歌を思い出す。いや、ドンは一足5ドル〜だが。「そこらにいるような働き者(an average hardworking man)」を自称する靴磨き商に、人として“なるべき姿”を教えてもらう。
Interview with Don Ward
Photos by Shinjo Arai
Text by Risa Akita
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine