「“カウンシルエステート”育ちのガキたちがでっかくなったバンド」オアシスに、「貧しいアイルランド系家庭に生まれ、兄弟3人とともに“カウンシルエステート”暮らしだった」セックス・ピストルズのジョン・ライドン、「13歳のとき人生初のバンドを“カウンシルエステート”で結成した」ザ・スミスのジョニー・マー。「“カウンシルエステート”のボブ・ディラン」との異名をとる労働者階級出の若き歌手ジェイク・バグもいる。
コモンピープルの寝床、ワーキングクラスの勲章。20世紀に生まれ21世紀に翻弄されるイギリスの公営住宅「カウンシルエステート」に、グレートブリテンのユートピアとディストピアを覗く。
©Rob Clayton
「カウンシルエステート出身」であること。戦後築かれた“ドリームハウス”の光と影
ロンドンの下町やマンチェスターの中心部からシェフィールドの郊外にまでイギリス全土に点在している建物、「カウンシルエステート(council estate)」。地方自治体(カウンシル)が管理している低所得者向けの公共住宅・公営団地のことで、カウンシルハウス、カウンシルフラットとも呼ばれる。20世紀前半に、住宅不足の解消や労働者階級の暮らしを向上するために建てられはじめ、第二次世界大戦後には、戦争で住居を破壊された国民に提供するため本格的に建設を推進。家賃が低額で、低所得者や失業者、シングルマザー、生活保護対象者などが優先的に入居できる仕組みとなっている。
「政府は、より良い生活と衛生を大衆へ届ける“ドリームハウス”、カウンシルエステートでユートピアを実現させようとしました」と話すのは、1990年、英中西部バーミンガムの公営住宅「ライオンファーム・エステート」の住民をドキュメントした写真家ロブ・クレイトン。「しかし、建物のメンテナンスに欠陥があったりと問題もあった。質の良いものもあれば粗悪な建物までピンキリでした」。さらに、転換期は80年代のサッチャー政権。政府がエステートの賃貸人に住んでいる物件を安価に買い取る権利をあたえたため、公的な建物が次々と私有化される。よって住宅戸数は減り、入居希望者の待ちリストは膨大な名前で埋め尽くされ、一刻も早く助けが必要なホームレス寸前の失業者やジャンキー、ドラッグ中毒のシングルマザーなどが優先的に入居。結果、公営団地には彼らとともに“問題”が持ち込まれ、ギャングや犯罪がはびこる治安の悪さが問題となっていく。
タワーブロックと呼ばれる高層ビル型や一軒家タイプ、さらに建築も煉瓦造りのトラディショナルもあればソ連時代のアパートのようなミニマルスタイルもある。
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だからイギリスにおいて「カウンシルエステート出身だ」と言うことは、たんに“公営団地で育った”以上の意味をもつ。「階級制度がまだ根強く残っているイギリスでは、“公営住宅出身=貧困”の烙印もあります。しかし、多くが公営住宅出身に誇りを持っているのも事実です」。実際、カウンシルエステート育ちの写真家は回想する。「庭つきのいい家に、通りを下ったところに商店が立ち並ぶ。ワーキングクラスの貧しい地区でしたが、カウンシルエステート出身だということに強い自尊も感じていました」
公営住宅の「これがぼくたち。まあなんとか生きている」
迫りくる勢いで無機質にそびえる9棟の高層アパート。これが、当時大学生だった写真家とライオンファーム・エステートの偶然なる邂逅だった。「9つのタワーブロックに無数の低層住宅。寒々しい空き家。圧巻でありながらも殺風景な雰囲気でした」
炭鉱で栄えた町オールドベリーに、60年代に建てられた同エステート。住人たちは、失業者にショップ店員や工事現場職員などの低賃金労働者、シングルマザー、年金暮らしのリタイア高齢者、キャリアアドバイザーなどプロフェッショナルな職業に就く者。「“ストリート”特有のフィーリングはありましたが、比較的安全なワーキングクラスの公営住宅でした」。敷地内にはパブ、学校、教会、コミュニティホール、商店など、生活に必要なものはすべて存在していた。
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19歳のころイーストロンドンでアナーキストたちと半年間スクウォット(不法居住)していたという写真家は、「ワーキングクラスの生活を見たことがないミドルクラスに『これがぼくたちだ。まあなんとか生きているよ(This is us and we are alright.)』と言いたかった。壮大なストーリーや非凡な素晴らしい話ではなく、何の変哲もない生活と人間味を伝えたかった」という。誰も知り合いのいないエステートに足を踏み入れ、出会った住民を撮り、そして彼らの部屋の中にも入った。「チラシをつくったんです。自分が何者か、なぜ写真を撮っているのか、そして『あなたの扉をノックして訪ねて行きます。あなたの部屋を写真に撮っていいか教えてください』と書きました」
労働者たちは日の昇りかけた早朝に団地から仕事場に向かい、日の暮れるころには団地へ帰ってくる。平日昼間の主婦たちは近所に買い物に出かけ、店の外で井戸端会議。子どもたちは廃棄された家具で遊び、老人たちはキッチンテーブルで白昼夢をみる。「ワーキングクラスカルチャー特有の綿密なネットワークがありました。互いが互いのことをよく知っていて、仕事に行く際にはお隣さんに子どもの面倒をみてもらう。経済的に余裕がないからこそのみんなで助け合う精神、ワーキングクラスコミュニティの一員だという仲間意識がありました」
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ディストピアンなルックスをした、丁度いいユートピア
ライオンファーム・エステートの写真を見ていて気づくのは、人があまり歩いていないこと。「撮影当時、6棟のタワーブロックの取り壊しが決定していました。理由は正確にはわからなかったのですが、おそらく行政上の都合だったのかと。住人は立ち退きを命じられ他の宿泊施設へと移されてしまったので、空室も多かった。なので誰も歩いていない吹きさらしの風景が、どこかディストピアな空気を醸し出していたのかもしれません」
立ち退きを免れた住人たちは、月曜から次の月曜までを淡々とこなす。「不安や問題も各々あったかと思いますが、それは誰もがもつ日常の悩みの種でした。ある人は一刻も早く団地生活から抜け出たいと思うし、またある人はそこでの生活は最高だと思うかもしれない。団地生活が好きとはいえないが、選択肢がないから仕方なく住んでいるなどいろいろだったと思います」。写真家は続ける。「屋上には住人が日光浴できるスペースや洗濯物を乾かすためのロープがありました。澄みきった空気に燦々と注ぐ太陽。みんなが気晴らしをし、家事を済ませられる共同財産ともいうべき空間でした」。最上階にあったユートピアは、物寂しい風態をした団地の「盲点ですね」。
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ドリームハウスの現在の姿
一昨年の映画『I, Daniel Blake(わたしは、ダニエル・ブレイク)』を思い出した。主人公ダニエルは病気で大工の仕事を退職せざるを得なくなった初老男性。ある貧窮するシングルマザーと出会い交流していくストーリーで、ダニエルの住処が英ニューキャッスルの公営住宅だった。隣人は、中国の工場から仕入れたスニーカーを違法で転売している黒人青年のチャイナ。パソコンとは無縁だったダニエル、失業保険を申し込もうとするも「オンライン申請のみ」というデジタル化社会の壁にぶち当たり、図書館のパソコンで何時間も格闘するも「入力エラー」。結局、デジタルネイティブのチャイナが申請を手伝ってくれるというシーンがある(ちなみに、チャイナたちは生ゴミを扉の前に放置するので、ダニエルによく注意されていた)。
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映画に描かれたような“ワーキングクラスのお隣どうしが助け合う”という公営住宅カルチャーだったが、最近はちょっと状況がおかしくなってきた。特に地価の大高騰が問題化するロンドンでは、80年代に買い取られ民営化された元公営住宅が200万ポンド(約3億円)で売りにだされたり、月3,000ポンド(約45万円)で貸し出されたりという事態になっている。その結果、金持ちの医者の隣に、生活保護受給者や難民が住んでいるという妙なことも現実になっているというのだ。さらに入居希望リストは膨れ上がるばかりで、入居はかなり困難を極めている。戦後、労働者階級のために建てられたカウンシルエステートから、“ユートピア”の面影が薄れていく昨今だ。
写真家は、今年に入ってライオンファーム・エステートを再訪した。取り壊しを免れた3棟のタワーブロックは未だにそびえるが、90年代からの住人は皆無に等しい。しかし、住民層にはたいして変化が見られなかったという。
Interview with Rob Clayton
©Rob Clayton
Text by Risa Akita
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine