“ベッドルームミュージシャン”という単語が音楽誌を駆け回ったのは数年前のことだったろうか。あえて荒削りの音で雑さを演出するローファイサウンドに、生活音が混じり込んでもあえてそのままにしておくスタイル。バンドを組んでデカいハコ目指して日夜レコーディングスタジオに篭るのではなく、ひとりヘッドフォンしてギアーをつま弾きながらベッドルームでしこしこ録音するDIYミュージシャンたちよ。ベックやペイヴメントなどローファイミュージシャンのフォロワー、そして昨今ぽこぽこ発生しているインディーズバンドたちよ。プリーズ、ドント・フォーゲット“元祖寝室音楽創作男”。
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半世紀で4000曲・400枚のアルバムをセルフプロデュース。元祖DIY音楽の祖
40年前から自宅の手づくりレコーディングスタジオで、およそアルバム400枚と4000曲を録音してきた“元祖ベッドルーム・ミュージシャン”がいる。いま沸騰状態のインディーズシーンを、1960年代から寝室でひとり静かに巻き起こしていたのがR・スティービー・ムーア(66)、略してRSMだ。RSムーアでもRSでもいい(だろう)。
彼の担当楽器は「全部」。ギターもドラムもベースもボーカルもひとりでこなし、ホームレコーディングをする。バンドを組むわけでもライブをするわけでもなく、1960年代からひたすら自宅で作曲しレコーダーに吹き込んできた。半世紀活動しているローリング・ストーンズで509曲、前衛ロッカーのフランク・ザッパでアルバム100枚を例にとれば、ワンマンミュージシャンが誇る“アルバム400枚&4000曲の狂気”がわかるだろう。
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「DIYミュージックの先駆者」「ホームレコーディングのゴッドファーザー」「ローファイ・レジェンド」「カルト・アウトサイダー」「20世紀で最も見過ごされている作曲家(涙)」など、RSムーアには雨のように肩書きが降り注ぐ。ジェイソン・フォークナーやアリエル・ピンク、MGMTやマック・デマルコ、ザ・ヴァクシーンズなど若手インディーミュージシャンたちも彼は“ホンモノ”だと崇める。今年終わりには、自身のベッドルーム音楽人生を追ったドキュメンタリーフィルム(キックスターターで資金集めしてつくるDIY映画)も公開予定だというRSムーアをスカイプで取材。なぜか彼の姿だけがモザイク&激ブレするなか(背景はくっきり映るのに)、RSムーアの故郷でカントリーミュージックの聖地・テネシー州ナッシュビルのベッドルームから異様に低音のお声と上半身裸(謎)で、これからのインディーミュージシャンたちにもタメになるベッドルーム音楽半生を話してくれた。
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HEAPS(以下H):ベッドルームにいろいろポスターが貼ってある。ビートルズにPIL(セックスピストルズ脱退後のジョン・ライドンが結成したポストパンクバンド)…。
R・スティービー・ムーア(以下RSM):ポーーースターーズ!!! 気持ちはいまでもティーン。決して大人になりきれない。ロッケンロール。ビートルズ、ビーチボーイズ、フランク・シナトラ、エルヴィス(・プレスリー)、PIL、カニエ(←!?)。
H:(PILが好きだということは)パンクロッカー?
RSM:俺はもうなんでもありです。何者にもなり得る(“I was everything”)。
H:次の質問、もう答えちゃった(笑)。というのも、RSには「アンダーグランドロッカー」「ホームレコーディングのゴッドファーザー」「ローファイ・DIY音楽のパイオニア」などの敬称がつくけど、自分自身ではどう捉えているのかと思って。
RSM:えぇと、上記すべてです。1968年…つまり16歳のころから自宅でレコーディングをしている。なんだかんだ長い道のりを辿ってきました。ホームレコーディングをはじめたきっかけなんて、正直よくワカリマセン。ただやってただけ。いまの時代、みんな説明を欲しがる、「なんでそんなことしたんですか?」「どうやってそんなことを可能にしたのですか?」と。でも俺は、たんなる“在宅アーティスト”。いつも家にいます。あまり外に遊びに行きません。家にいるのが好きな66歳です。
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H:また次の質問に答えちゃった。ミュージシャンって、楽器を買ったころは寝室でセコセコ練習するけど、やがて友人とバンドを組んだりして家の外に出ていくのがよくあるコース。でもRSは寝室引きこもりミュージシャンの道を選んだ。なぜかって聞こうとしたんだけど…。
RSM:ひとりで音楽をつくりたかったからです。若い頃はカバーバンドなんてのもやったけどひどいできだったし、俺は常に新しいオリジナル曲をつくりたかった。いまの時代は、DIYミュージシャンも多いけど、当時(60年代)は違った。レコーディングスタジオを借りてデモテープをつくってレコード会社に送るでしょう。レーベルと契約してスタジオアルバムつくってツアーするまでは、ミュージシャンとして誰も真剣に受け止めてくれなかった。
それに、俺の父ちゃんはベーシストで、エルヴィスやロイ・オービソン(映画『プリティウーマン』の主題歌の人)のスタジオミュージシャンだった。60年代の反抗キッズだった俺は、父ちゃんのプロフェッショナル音楽ライフに対抗したわけです。
H:で、16歳のときに自宅レコーディング開始。
RSM:イエス。寝室と地下室にて。家庭用のツートラックレコーダー(リール・トゥ・リール)を使って、楽器パート別に2トラックをステレオ録音してあとでミックス。マルチトラックレコーダー(2トラック以上の複数の録音トラックの録音再生レコーダー)を買うお金はなかったから。録音の質は悪いし、ディストーションもかかって、いわゆるローファイ(Lo-Fi)サウンドが生まれました。
H:それからは毎日レコーディング?
RSM:90年代まで毎日毎日レコーディング。悲しいことに、いまは前ほどレコーディングはしなくなりました。
H:え、もう新しい音楽つくってないんですか?
RSM:ミュージシャンとして食っていくのも大変大変。すでに蓄積してきた4000曲のアーカイブがあるから、新しい曲を書かなきゃという強迫観念もない。いまは、過去の曲を売って稼いでいます。カセットにレコード、CD、バンドキャンプとかでも。
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H:まあ、4000曲もありますから…。
RSM:まあ4000曲のなかには、曲というよりは俺がお話しているだけのトラックもありますが。
H:…日記みたいだ。即興でやっちゃったり?
RSM:インプロビゼーション(即興)は大好きです。「録音」ボタンを押して「はい、スタート」。時間をかけてゆっくり作曲してアレンジとは真逆、それがいい。
俺は音楽づくりに時間を“かけない”ことで悪名高かったのです。ミュージシャンのみんなは、何ヶ月もドラムサウンドに時間をかけたり、何千時間もスタジオで過ごす。俺は、曲を録音してまあよければ次の曲に取りかかる。最短レコーディング時間は、30秒。
H:早っ。アイデア源はどこから?
RSM:うーむ、日々のことなど。俺はいたってノーマルガイです。マリファナスモーカーで酒も飲むヒッピー。恋愛もそこそこにしてきた。インドア派だったから運動もしてこなく、いまあまり健康ではないですが。生涯ずっと家にいて、安いレコーディング機器を使って曲を録音してきた男です。
H:400枚のアルバムジャケットも手づくり?
RSM:グラフィックアーティストなのでアルバムアートワークも自作。コラボレーターと共作することもあるし、人の作品を許可を得て使用することもあります。
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H:単色刷りだったり、いかにも自分でコピーしましたみたいな感じ、いまのDIYシーンの原型ですね。1976年リリースしたアルバム『Phonography(フォノグラフィー)』は、ミュージシャンのなかでも伝説の名盤だと言われています。当時絶頂期を迎えていた、ニューヨークのパンクシーンでも回し聴きされていたとか。
RSM:ナッシュビルに生まれ育ちましたが、ニュージャージー(ニューヨークの隣の州)に住んでいた叔父に「ナッシュビルから出てこい」と言われ、1978年から2010年までの33年間、ニュージャージーの寝室で音楽をつくっていました。1978年といったら、折しもパンクロックムーブメント真っ盛り。トーキング・ヘッズなどのアーティスティックな実験的なロックバンド、ニューウェーブバンドもわんさか。
これが伝説の名盤『Phonography(フォノグラフィー)』。
H:RSの音楽は、トーキング・ヘッズのデヴィッド・バーンやB52も絶賛していた。彼らと交流したりしていたんですか?
RSM:家に引きこもっていたから、音楽シーンには実際に出入りしていませんでした。
H:(もったいなっ)
RSM:内向的な性格だし、あまり夜遊びするタイプじゃないですから。コネクションをつくる場があったとしても、さっさと早く家に帰りてえなぁと思う始末。だからコンサートにもあまり行かなかった。というか、ニューヨークの街にもあまり出ませんでした。
H:じゃあ、街で過激に盛り上がるパンクロックのDIY精神だけを引き継ぎながら自宅で音楽制作をしていたと。パンクの精神がホームレコーディングにも影響をあたえた?
RSM:それはそれは。俺は“ヒルビリーランド(田舎)からやって来たジョン・ライドン”。当時はツンツンのスパイキーヘアにしていました(笑)。70年代は、デヴィッド・ボウイやロキシーミュージック、スパークスみたいなメロディアスなグラムロック、パワーロックをつくっていたけど、パンクがはじまって、シリアスなポップをつくるのをやめた。やはり、PILが人生を変えたんです。パンクというよりエクスペリメンタルだった。あとは、ザ・フォール(英ロックバンド)のマーク・E・スミスからも大きな影響を受けて。彼はミュージシャン、シンガーというよりかは“ルールなんてくたばれ”と叫んでいた男だから。そして、REM(オルタナティブロックバンド)のマイケル・スタイプやピーター・ゴードン(前衛作曲家)とも知り合いになって…。
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H:家に篭っていたのに、どうやってこんな豪華ミュージシャン勢からも注目を浴びたんですか?
RSM:インターネットです。
H:でも、70、80年代はネットはなかったでしょう?
RSM:その時代は、口コミでした。あとはときどき雑誌で紹介してもらったり。雑誌の広告は高かったから無理でした。
あとは、インディペンデントラジオ局(WFMU)で、自分がホストを務める番組を持っていた。番組はフリーフォームだったから、セックスピストルズみたいなパンクも流せばシナトラも流すし、ヒルビリーだって流す。自宅のベッドルームでミックステープをつくって、ラジオ局に送ると流してくれる。だから、ある意味“ベッドルームラジオ”もやっていたことになるんです。
H:DIYラジオですね。自分の曲はどうやって売っていた?
RSM:「カセットクラブ」を通して。安っぽいペーパーカタログをつくって、注文を受けたら自分の曲を録音したカセットを郵送で送るというメールオーダーです。日本からも注文ありました。
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H:ベッドルーム、カセットテープと郵便封筒で散乱してそう…。あなたにとっての“快適なホームスタジオ”ってどんなのだろう?
RSM:デスクについてテープレコーダー回しているだけです。マイクはひとつ。アンプもひとつ。ガラス張りのコントロールルームがあるプロのレコーディングスタジオみたいなのは一度もつくったことない。レコーディングスタジオだとレンタル料があるから毎分毎分時計ばっかり気を取られてしまう。ホームレコーディングのいいところは、やっぱりお金が安く済むのと便利なところです。
H:およそ半世紀のホームレコーディング人生のなかで思い出はある?
RSM:あんまりないです。いつもヘッドフォンをしていることしか覚えていません。
H:毎日毎日レコーディングをしていた当時、実は「もう音楽つくるのめんどうだな。やめたいなぁ」なんて思ったこともあった?
RSM:それは、人間なので浮き沈みはあったでしょう。80年代後半にレコーディングするのに疲れた時期があって、そのころ新しいおもちゃを手に入れました。「ビデオカメラ」。4、5年のあいだ音楽創作をやめて、RSMホームビデオをつくっていた。MTVみたいな制作費1億のクソビデオではなく、ローファイビデオ。いまでいうスマホでビデオ。
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H:時代を先取っていましたRSMホームビデオ。最近はレコードやカセットが若者のあいだで再燃し、インディーバンドがクールといわれる時代になりました。このトレンドについてはどう思う?
RSM:すごくいいと思います。最近は、シンセサイザーやエレクトロニカ、アンビエント、ドローンみたいな電子音楽が多いですね。あれ、自分がなにを演奏しているかわからなくても、ボタンをピッて押せば、みんなから「う〜ん、君は音楽の天才だ」って褒めてもらえる。大好きです。
最近の俺はというと、地元の友人と一緒にトリオでバンドをやって少しずつステージに上がっている。実は2011年、知り合いから「ツアーに出ないか」と誘われてヨーロッパやロシア、メキシコ、アメリカ全土をバンで回りました。すごくいい経験でしたねー。でも20代のツアーメンバーと違って、もう歳なのでバンのなかでも眠れないし体力的にキツイので、もうツアーは終わりだ、となりました。
2017年のSXSWのステージで、ミュージシャンのジェイソン・フォークナーと。Photo by Todd V. Wolfson
H:で、引きこもり生活再開。
RSM:事実、家でも忙しいったら。俺の音楽を新しく知ったファンからの注文受付に、フェイスブックやインスタグラムでプロモーション活動。RSMのウェブサイトリンクを送りまくり。あとは、曲を再リリースしませんかってアプローチしてくるCDやレコード、カセットレーベルもある。ユニバーサルやソニーでなく、小さなインディーレーベルね。うれしい。こういうのでお金を稼ぐのは難しいけど、言ったって最近はスポティファイみたいなストリーミングのせいで大手レーベルと契約したアーティストでさえもお金を稼げない時代でしょう。
H:忙しすぎてベッドルームから当分のあいだ出てこれなさそうですね。今後のゴールというか目標はありますか?
RSM:ないです。もう夢は果たしちゃいました。「大きなシステム(メインストリーム)に吸い込まれないようにする」という。だから将来は、と聞かれても「I HAVE NO IDEA(ワカラナイ)」。俺はただただ、アンダーグラウンドに棲息していることを誇りに思っている、激しくインディペンデントな頑固音楽親父なのです。レコード会社が目の前にぶら下げてくる札束に誘惑されて契約書にサインしなくて、よかったよかったなのです。
Interview with R.Stevie Moore
Photo by Jackson Pollock Microphone
Text by Risa Akita
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine