「絶対行ってはいけない」。元銀行マンが撮る、娼婦と薬物中毒者

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「アクセサリーはして来ないで」「バッグは持って来ないで」「通行人はほとんど、ドラッグ中毒か売人だから、視線を合わさないで」
Chris Arnade(クリス・アーネイド)が愛するニューヨークのストリートは、そういう危険なゾーンだ。彼と会ったのは、マンハッタンから北東10キロの郊外にあるハンツ・ポイント。一緒に歩き始めてすぐに、髪の毛をくしゃくしゃとシニュンに丸め、真っ赤なネイル、イエローのスパッツをはいた細い脚の影が横切った。

薬物中毒者とハンツ・ポイント

Screen Shot 2015-10-23 at 2.08.00 PM

「マイケル!」とクリス。「どこにいたんだ、心配したよ。え、今ここに住んでるの?入っていい?」

 彼は、クリスの写真に繰り返し表れる、お気に入りのaddict(アディクト、薬物中毒者)だ。雑貨屋の2階に上がる階段の途中で、クリスが一瞬振り返って短く「She」と言う。トランスセクシュアル(性同一性障害)という意味だろう。

 部屋に入ると、中にいた女性がドアを3重に施錠した。2ベッドルームをアディクト、ばかり10〜12人でシェアしている。窓際でタオルにくるまって寝ている男は、「売人だから、絶対に相手にしないで」とクリス。プタン(スペイン語のbitch=意地の悪い女)という名の猫が一匹。家具といえば、くしゃくしゃの衣類や毛布が重なったソファが三つ。奥に行くと、ガス台も調理台も流しもひっぱがされてがらんとしたキッチン。しかし、マイケルの4畳半ほどの部屋は、日が当たり、カラフルな衣類や化粧品が並び、小さなハンドバッグが壁に整然とかかっている。

「マイケルにとっては、今までで最高の住まいだ」とクリス。駐車場に捨てられたベッドに寝起きしたり、刑務所に入っていたマイケルを知っているからだ。やがて、マイケルがヘロインを始めた。収入は売春から。マイケルのようなトランスセクシュアルを買う客は限られている。得たお金はすべてドラッグにつぎ込む。

「クリスの写真は好き?」と聞くと、すでにハイで、かなり時間がかかってから、やっと答えた。

「誰かが気にしてくれるのがうれしいの」

Screen Shot 2015-10-23 at 2.06.31 PM

物語を考えさせる一枚の写真

「知っているかい?ハンツ・ポイントは、ニューヨーク、つまり世界一どん欲な胃袋を支えているんだ」とクリス。

 ニューヨーク市内で最大の魚市場、それに隣接して、ありとあらゆる高級レストラン、デリカテッセン、カフェの倉庫が並ぶ広大な倉庫街がある。クリスの被写体は、そこに来るトラック運転手が目当ての売春婦たちで、その多くがアディクト、だ。彼女たちの仕事は、倉庫街が大型トラックで大渋滞となる夜中過ぎから午前3時ごろ。職場はトラックの中。1回20ドル。しかし、ヘロインも一包10〜20ドル(約1,200〜2,400円)する。
「嫌なことは忘れたいから、ドラッグをやる。子ども時代に虐待され、あるいは見放され、時には親に売春を強制された彼女たちにとって、ドラッグは食事と一緒」

Screen Shot 2015-10-23 at 2.08.13 PM

 クリスは、フロリダ州生まれ。物理学を専攻し、シティバンクに入社した。その理系頭脳を売りに、さまざまな金融商品を開発した。それを銀行は、「訳が分かっていない日本人(=いいカモ)」に売りつけ、莫大な利ざや(売買による儲け)を稼ぎだす。クリスは、入社した1993年ですでに、自分の父親が得た最高の年収の3倍、プラス2万ドルのボーナスを得た。

 写真はずっと好きだった。休日は、カメラを抱えて、伝書鳩小屋を探してニューヨークの建物の屋上ばかり見ながら歩き回っていた。幼い頃、自分も飼っていた。ハンツ・ポイントに来たのは、「絶対に行ってはいけない」と言われたからだ。アディクト、や娼婦たちは、気軽に身の上話をする。写真を撮って、拡大プリントしては手渡し、信頼関係を築いていった。みな、目の色を変えて喜んだ。
「写真を撮ってもいいか聞いて、車に戻ると、身の上話をノートにメモするという繰り返し。でも、ハンツ・ポイントでの5分間は、他の場所にいる60時間分の感情のほとばしりがある。それほどにリアルだ」
 クリスが、娼婦が集まる場所に連れて行ってくれた。子どものプレイグラウンドと、キリスト教の修道院の前のT字路。夜は、両施設が閉じて駐車しやすくなるからだ。胸元や首筋までもが注射痕で覆われているが、笑顔がきれいなティファニーに会った。妊娠6ヶ月、営業中。

「写真を撮ろうかな」と、クリスが言うと、子どものようにはにかみ、うれしそうにポーズを撮る。クリスがカメラを下ろし、はにかんでいるのか、微笑んでいるのか分からない顔を向けると、ティファニーはすっと離れていった。その空気に絆が残る。
 ハンツ・ポイントに通い始めたのは5年前。その3年後の2012年末、銀行を辞めた。

Screen Shot 2015-10-23 at 5.11.54 PM

「トレーダーとして競争に勝つというチャレンジは好きだった。でも業界の“欲深さ”は最初から合わなかった」。今では、ハンツ・ポイントに週5日通う。娼婦とアディクト、の写真を載せたFlickrには、800万以上のページビューがあった。
「僕の写真は、ストーリーを語るんだ。いいか悪いかは問わない。写真でそのままをさらけ出して、人々に物語を考えさせる」
 赤裸々な写真もたくさんある。アディクト、の血走った怯えた目。注射針が肘からぶら下がったままで血を流すマイケル。アディクト、のアパートの中にあった子猫のミイラ。しかし、それらはなぜか暴力的に美しい。

Screen Shot 2015-10-23 at 5.11.21 PM


Chris Arnade(クリス・アーネイド)
フロリダ州生まれ。1992年、ジョンズ・ホプキンス大学にて物理学の博士号を取得。卒業後、20年間、ウォール街でトレーダーとして勤務。2011年に退職し、フォトグラファーへと転職。プロジェクト「Faces of Addiction」を通して、娼婦と薬物中毒者の姿を追う。

Photographer: Koki Sato
Writer : Keiko Tsuyama

<HEAPS Issue 13「フォトグラファー特集」(2013年4月発刊)より再掲載>

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