ヒップホップ界に身を置いて15年、42歳のベテランラッパーJoseph LeMar(ジョセフ・レマー)。a.k.a「Deadlee(デッドリー)」。
タトゥーだらけのイカつい体に、髭面、バンダナがトレードマーク。只者じゃなさそうな雰囲気漂うLA産ギャングスタ・ラッパーの彼だが、マイク片手にまくしたてるのは、「ゲイ」について。ミュージックビデオで出てくるのはセクシーなお姉さんたちではなく、ゲイカップル。
デッドリーは、“ゲイ”のギャングスタ・ラッパーだ。
ホモフォビックなヒップホップ時代に現れた異端児、デッドリー
「エミネムのホモフォビックな歌詞を耳にしてさ。“俺がホモ嫌いだって?/ いや、お前らが異性嫌いだけなんだろ ”。こうやっていちラッパーが『ゲイ嫌い』をラップできるんだったら、ゲイのストーリーだってラップで伝えられると思ったんだ」
デッドリーがラッパーになった大きなきっかけ。それは「ホモフォビック(同性愛に偏見を持った)なラップの世界」だった。
いまでこそ、白人ラッパーのMacklemore(マックルモア)が同性愛について歌った曲がヒットしたり、新進気鋭のR&Bシンガー、Frank Ocean(フランク・オーシャン)がカミングアウトするなど、アンチ・ホモフォビックになりつつあるラップ業界だが、デッドリーがデビューしたのは2002年。ラッパーはストレートで男らしさがあってなんぼの時代だった。
ラティーノとブラックの血を継ぐデッドリー、ティーン期から自分はゲイだと自覚していた。
コロラド州デンバーに生まれ育ち、「何かアーティスティックなことをやりたい」という確信から19歳の時、ロサンゼルスへ。家を追い出されたゲイのホームレスキッズ施設で働いていたある日、一人のゲイ少年が聴いていたラップが耳に入ってきた。それがエミネムだった。
後からついてきた「ゲイラッパー」という肩書き
初めて足を踏み入れるラップの世界。音楽雑誌の裏表紙でたまたま見つけた某ヒップホップ・プロデューサーに電話し、「俺のためにビートを作ってくれないか」と直接交渉した。持参した歌詞を見せると、プロデューサーから単刀直入に告げられた。
「言葉から君の本音が聞こえてこないな。何か隠しているようだ。自分自身に嘘をつかず、歌詞を書き直してみてくれ」
後日、ゲイとしてのアイデンティティをさらけ出した歌詞を持っていくと、プロデューサーは気に入った。ラッパーなのにゲイであることに躊躇していた彼だが、「真のラッパーは自分を晒け出すことだ」というプロデューサーの言葉に背中を押され、2002年にファーストアルバム『7 Deadlee Sins(セブン・デッドリー・シンズ)』をリリース、ラッパーとしてのキャリアをスタートする。
「“Represent Who You Are(むき出しの俺をレペゼンする)”。それがヒップホップだから」
ゲイラッパーとして売り出すつもりはなかった。しかし自分を正直に投影したリリック、ドラァグクイーンのコーラスやゴーゴー・ダンサーたちをフィーチャーしたショーなど自分に嘘をつかなければつかないほど自然と、「デッドリー=LAのゲイラッパー」というラベルができあがったのだ。
ゲイとしてのアイデンティティ。セックスライフ。ギャングスタのような風貌から幾度となく警官から職務質問を受けたことへのフラストレーション。父親にカミングアウトした日のこと。初めてできたボーイフレンドとの淡い思い出。すべてリリックに詰め込んだ。
2006年に発表したセカンドアルバム『Assault with a Deadlee Weapon(アサルツ・ウィズ・ア・デッドリー・ウェポン)』では、ゲイであることをもっと全面に出した。ミュージックビデオにも施設で出会ったゲイキッズたちを出演させた。
ついてきてくれなかったコミュニティ。「ゲイの中でも人種差別があるんだ」
デッドリーがずっと持ち続けた悩みは意外なものだった。「一番応援してくれると思ったブラック、ラティーノ、ゲイコミュニティからの愛をもらうのには時間がかかったよ」
ひと昔前も、ゲイとヒップホップは無関係というわけではなかった。2000年初期には、「homopop(ホモポップ)」というゲイラップコミュニティがあり、デッドリーの同期には、ゲイラッパーのJohnny Dangerous(ジョニー・デンジャラス)や Tori Fixx(トリ・フィックス) 、レズビアンラッパーのJenro(ジェンロー)などLGBTヒップホップアーティストもいる。
2007年には彼らと15日間かけて全米ツアーを敢行、サンフランシスコのゲイプライドやニューヨーク、ワシントンでのゲイミュージックフェスティバルでもパフォーマンスしてきた。
しかし、やはりLGBTヒップホップ業界はアンダーグラウンドな存在。メインストリームのゲイコミュニティが好むのはディスコなどで、デッドリーは地元ロサンゼルス最大のゲイパレード「LAプライド」から、「(ギャングスタのようなルックスやラップスタイルが)ゲイにはハードコアすぎる」「ラップはストレートのための音楽だから」と、現在でも出演拒否されている。
「ゲイの中でも人種差別があるんだ」。メディアが描写するゲイは、フェミニンな白人オネエであって、マッチョでタトゥーだらけ、ギャングスタのような風貌のブラック、ラティーノはマイノリティになってしまうのだ。
「初期のファンはストレートのパンクロッカーだったぜ」、と笑う。“ゲイのラッパー”というクレイジーさがパンクロッカーたちにウケたのだ。
年配の白人ゲイファンも多く、「君の歌詞は心に刺さる。ヒップホップは好きじゃなかったけど、君の音楽には共感するよ」と絶賛。
最近になってようやく、近所のラティーノゲイ少年が長年のファンだと話しかけてくれたりと、自分と同じゲイのブラック、ラティーノたちの心を掴んできているな、と実感している。
ステージ降りれば、よき夫。指8本に刻まれた覚悟
デッドリーのオフステージの顔。それは、「よき夫」だ。およそ10年連れ添ったパートナーと、3年前に結婚した。
己の直情をぶつけたリリックをステージ上でぶちまける彼も、家に帰れば一人の夫。ヒップホップにはまったく興味なし、性格も正反対のパートナーとネットフリックスを観てくつろぐのが好き、とコワモテの顔をくしゃっとさせて照れ笑いする。
だがひとたびステージに戻れば、「いつも100パーセント以上の力を出し切るんだ」と。デッドリーはデビュー当時のある苦々しい出来事をあっけらかんと振り返った。
「あるショーで、俺の出番が来てステージに立つと、ラッパーやそのファンたちが自分に背を向けて会場を去っちまってさ。俺がゲイだということ知ってたみたいで。結局残った3人の観客のために歌い切った。でも、あの経験そんな悪いもんじゃなかったぜ。俺にはパワーがある、って実感したからね。だって、大勢の客をビビって帰らせたんだ」
「ありのままの自分を捲したてるのがヒップホップ」。この信念を掲げ、ゲイであることに誇りを持つ超ポジティブラッパーの両指には「FEARLESS(恐れ知らず)」のタトゥーが。この男を一番よく表している8文字だ。
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All images via Deadlee
Text by Risa Akita