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  • Apr 23, 2016
アウシュビッツ収容所を生き延びた少年、テーラー界 最高峰の名手へ。88歳現役が貫く「スーツ作りの流儀」
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1947年、家族を虐殺されたユダヤ人少年は、ひとり、海を渡ってアメリカへとやってきた。
ポケットにはたったの10ドル。言葉も通じない。やっと見つけた仕事は、縫製工場の床掃除だった。
その移民少年はいま、歴代の米国大統領からハリウッドスターまでを顧客に持つ、ビスポーク・テーラー界の名手として知られる。

彼の名は、Martin Greenfield(マーティン・グリーンフィールド)。
今年で88歳を迎えるいまなお、約70年前と同じ工場に週6日も出勤する。二人の息子と100人以上にもなる従業員とともに「機械ではなく、手作り」の一貫した姿勢を貫くために。
 
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孤独とアメリカンドリームと。

 顧客リストには、オバマ大統領や、クリントン大統領、またレオナルド・ディカプリオなどハリウッドスターたちの名が並ぶ。歴史と実績を兼ね備えるスーツ職人マーティン・グリーンフィールド(87)。彼に「クラフトマンシップ」とは何かを聞くのは、「人生とは何か」を聞くのに等しい。

 1928年、チェコスロバキア(現スロバキア)のユダヤ人家族の間に生まれたマーティン。彼は、ナチスのユダヤ人大量虐殺を生き延びた「ホロコースト生存者」の一人である。
 穏やかな暮らしに暗雲が垂れ込めたのは14歳のとき。強制収容所へ連行された。「強く生きろ。生き残れたら、必ずお前に会いにいくから」。それが父親と交わした最後の言葉となった。

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マーティン、クリントン大統領、オバマ大統領と。

 苦境を生き延びるも、一人ぼっち。「終戦後、必死に家族を探したけれど、結局、見つからなかった」。19歳で渡米。母親の姉妹がニューヨークにいると聞きつけ、シティを目指した。

「あの頃はね、英語を勉強して、医者になりたかったんだ。母国のユダヤ人を助けたくて」
 
 アメリカにたどり着いたとき、「ポケットには、たったの10ドルしかなかった」。渡航中の船で、ポーカーに負けてしまって、と笑う。 まもなくして、マーティンはブルックリンのブッシュウィック地区にある縫製工場「GGG Clothing」で「floor boy(床掃除人)」として雇われることに。「お金を貯めて学校へ行って、英語を勉強したかった」

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 まもなくして、真面目な働きっぷりが認められ、昇級のチャンスが与えられた。まずは、第一工程を終えた洋服の束を、第二工程へと「運ぶ係」を担うように。そして裁縫をイチから学び、仮縫い係から、ポケットや袖の取り付け係へと昇格。採寸から仕立てまでの全行程を覚えると、工場マネージャー、副社長にまで上り詰めた。

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 1977年、マーティンは働きはじめてから30年目の節目で「GGG Clothing」を買い取り、従業員たった6人でビスポーク・テーラー店「MARTIN GREENFIELD CLOTHIERS」を創業。マーティンと50年以上も一緒に働いてきたマネージャーでイタリア移民のマリオ(78歳)はこういう。「彼はとにかく真面目。俺と違って酒も女遊びもしない硬派一徹な男だよ」

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“I lost my family, but now I have this family.”(血の繋がった家族は失ったけれど、私には、ここに“従業員”という家族がいます)

 

片言の英語で、ねんごろな付き合い。

 創業から、さらに約40年が経ったいま、悠久を経た4階建ての工場には、100人近い従業員、いや、職人たちが勤務する。面白いのが、ほとんどが、メキシコ、エクアドル、ハイチ、プエルトリコ、ポーランドなど、英語を第一言語としない「移民」であること。そして、彼らの半数以上が30年以上も勤続している、ということだ。 
 また、彼らの使用するミシンは、足踏みや手回し式の人力ミシン。アイロンもストーブ式だ。

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「これらを使いこなすには、“本物の”技術が必要なんだ」とマーティン。遠まわしながらも、自分が雇った職人たちに、大きな信頼を置いていることをうかがわせる言葉だ。

 彼の揺るぎない信念、それを継承する職人たち。そこには強固な信頼関係がにじむ。勤続48年のペルロは「He is the boss. I love working here!(彼はいい上司だ。ここで働くのは楽しい)」というと、隣の若手も「Me too(僕もそう思う)」とうなずく。

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 12時になると、倉庫内にベル音が鳴り響き、従業員たちは、一斉に手を止めた。と同時に、さっきまで室内に響いていたミシンの音やモーター音、振動もピタリと止まる。「It’s Lunch Time!(昼食の時間だ)」。そう言いながら、運び係の若い青年は、頭上の電灯のヒモを引っ張って灯りを消した。薄暗い室内には、木漏れ日が斜めに差し込み、ほこりがキラキラと反射する。その光の麓で、持参の弁当を静かに広げる従業員たち。それは、タイムスリップをしたような不思議な光景だった。

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「そんなに働かなくても、もう大丈夫だよ」

 もうすぐ88歳、いまでもネクタイを締めて週に6日も出勤するマーティン。謹厳実直な父に、長男のジェイは「そんなに頑張らなくても、もう誰も撃たったりしないよ、って冗談も、もう何回言ったことか…」と頬を緩める。

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 マーティンの二人の息子が、会社を継ぐことを決めたのは「自らの意思で」だ。「父には、“同じ苦労をして欲しくないから”と反対されたのに」と明かす。もともとジェイは歯科医、トッドは起業家の道を進んでいた。しかし「結果的に、父の姿に魅せられて、ここにいる」と照れ笑う。
 いうまでもなく、ビジネスは成長してきた。だが、息子たちは「もはや成長することよりも、これからは、父の流儀を継続していくことに意味がある」と語る。

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マーティン、二人の息子と。

 近年、人々はブランド名よりも「どのようにして作られたものなのか」に価値をおき、手作りの良さは見直されてきた。海外で「メイド・イン・ブルックリン」がもてはやされているもの、ここ数年のことだ。その現象について「良いことだと思う。我々のビジネスにとっても、道徳的にもね」と彼らはいう。

 “父の流儀”とは、時間、手間、コストがかかっても、「機械ではなく、手作り」の価値観だ。マーティンはこういう。
「同じ人間が二人と存在しないように、本来は、洋服にも一点ずつ個性があるはずなんですよ」。
 手作業で生み出されたスーツの魅力に、名職人が気づいたのと同様に、作る人、着る人も気づかされる、というストーリーもまた素敵である。

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Photos by Shino Yanagawa
Text by Chiyo Yamauchi

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