ギャングに“素顔”はあるのか?グッドフェローズの素顔、国民熱狂セレブ・マフィアの姿、24/7怖いヤツ

【連載】米国Gの黒雑学。縦横無尽の斬り口で、亜米利加ギャングの仮面をぺりぺり剥がし痛いところをつんつん突いていく、十四話目。


「友は近くに置け、敵はもっと近くに置け」
(映画『ゴッドファーザー』から)

「友情がすべて」のマフィオーソの道。しかし、
昨晩、盃を交わした友が敵になる。信頼の友の手で葬られる。
“友と敵の境界線は曖昧”でまかり通るワイズガイのしたたかな世界では、
敵を友より近くに置き、敵の弱みを握り、自分の利益にするのが賢い。

ジェットブラックのようにドス黒く、朱肉のように真っ赤なギャングスターの世界。
呂律のまわらないゴッドファーザーのドン・コルレオーネ、
マシンガンぶっ放つパチーノのトニー・モンタナ、
ギャング・オブ・ニューヨークのディカプリオ。
映画に登場する不埒な罪人たちに血を騒がせるのもいいが、
暗黒街を闊歩し殺し殺されたギャングたちの飯、身なり、女、表向きの仕事…
本物のギャングの雑学、知りたくないか?

重要参考人は、アメリカン・ギャングスター・ミュージアムの館長。
縦横無尽の斬り口で亜米利加ギャングの仮面をぺりぺり剥がす連載、十四話目。

***

前回はギャングボスの右腕「コンシリエーリ(相談役)」をテーマに、ボスに「NO」も言わなければならない彼らの任務や幹部より位が上であることなど、ファミリー内での特異なポジションを紹介した。今回は「ギャングの素顔」をお題として、アメリカンギャングスターミュージアムの館長さんに直撃。彼が実際に関わったことのあるギャングの素の姿を教えてもらおう。

▶︎1話目から読む

#014「素の顔もセレブそのもの。そして、24/7怖いギャング」

公に出るのが快感?セレブリティ化したギャング

 先日、とても見応えのあるテレビ映画を観た。『ゴッティ』(1996年)というマフィア映画で、“現代最後の“ハリウッド映画的なマフィア”と呼ばれたガンビーノ家のボス、ジョン・ゴッティの斜陽を描いた骨太の一本だった(蛇足だが、先月アメリカではジョン・トラボルタがゴッティを演じた新作『ゴッティ』が劇場公開された。こちらは未見)。

 数千ドルのオーダーメードスーツにシルクタイ、理髪店で整えたシルバーヘアで、部下にも粋な格好をするよう求めたというゴッティ。好んだ車は、リンカーンやメルセデス・ベンツ、“ダッパー・ドン(粋なボス)”というあだ名をもち、ノートリアスB.I.G.やドクター・ドレーなどのラッパー勢もゴッティ愛を示す。同映画でも描かれていたのだが、無罪放免になり裁判所をあとにするダッパー・ドンを、歓声をあげては出迎えたのは一般市民、テレビレポーターの一インタビューには「We love him(私たち市民は、彼のことが大好きよ)」。側近たちがメディアへの露出を避けるなか、ゴッティはかつてのアル・カポネのようにタイム誌の表紙を飾る。まあ、なにが言いたかったのかというと、ガンビーノ家のドンが見せた素(す)は「セレブリティの生活を楽しむ姿」であったということだ。

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 そしてアメリカンギャングスターミュージアムの館長さんが親しくしていたギャングにも一人、世間からの注目をたのしんでいた者がいる。映画『グッド・フェローズ』の主人公にもなった実在ギャング、ヘンリー・ヒルだ。彼は、イタリア系とアイルランド系の混血のため、正式なマフィア構成員にはなれなかった(純血のイタリア系しかなれないため)が、ルッケーゼ一家のポーリー・ヴァリオに気に入られてから、順当にマフィア道を突き進んだ。しかし、ポーリーが禁止していたにも関わらず麻薬の取引に手を出し破門され、やがて世紀のルフトハンザ事件*を共謀し逮捕。FBIとの司法取引を選んだヘンリーは証人保護プログラムに入り、名前を変え、複数のレストランを経営し、2012年に亡くなるまでカリフォルニアのリゾート地マリブに住んだ。

*1978年、ニューヨークのジョン・F・ケネディ空港にある独ルフトハンザ航空の貨物庫から、およそ600万ドル(約6億7,000万円)相当の現金や宝石などが奪われた強盗事件。

「証人保護プログラムで別の人生を歩む」「生前に自分の半生を描いた映画(『グッド・フェローズ』)が制作される」との話題性からお茶の間にも顔と名前が知れ渡り、セレブリティ・ギャングの仲間入りをしたヘンリー。グッド・フェローズ公開20周年記念にミュージアムで上映イベントを開催した縁でヘンリーと親交があった館長さんは、セレブリティギャングの素顔をこう語る。「晩年は組織犯罪からは見事離れた人生を送っていました。ヘンリーは“ヘンリー・ヒル”であることをとてもたのしんでいました」。館長さんが覚えている彼の素顔は「驚くべきほどにジェントルマンでおもしろく、ワイルドな男」だ。

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アメリカンギャングスターミュージアム所蔵の、ヘンリー・ヒルが描いた絵。

 この日、館長さんとはイーストビレッジにある老舗ダイナー「オデッサ」で密会していたのだが、ヘンリーもこのダイナーに来たという。「彼は一つひとつのテーブルをまわり、自己紹介しながら、サインに応じていたりしていましたよ」。またあるときは、「リトル・イタリーに行きたいと言って聞かず、ボディーガードを連れ立って通りを闊歩。街ゆく人にハグして挨拶をしながら自己紹介、セレブリティであることをたのしんでいました」。自ら自己紹介してしまうなんて、なんとも親しみやすいセレブリティではないか。「ヘンリーは、人々からの視線をたのしんでいました。また人々もヘンリーを好いていましたから」。
 また館長さん曰く、ヘンリーは注意欠陥・多動症(じっとしていられない、落ち着きがないなどの神経発達症)を患っていたらしい。犯罪行為やヘンリーが生涯苦しんだアルコール・ドラッグ中毒もこの疾患が原因ではないかということだ。もっと多くのギャングの素顔を聞こうと思ったのだが、終始、館長さんの大好きなヘンリーの話になってしまった。

館長さんも畏怖した、素顔もギャングなギャング

 頼まれずともハグやサインをしてしまうフレンドリーな素顔をみせるヘンリー・ヒルのようなギャングもいれば、常に怖いギャングもやはりいる。

 館長さんに「いままで会ったなかで一番圧倒された怖いギャングは誰でしたか」と聞くと、こう返ってきた。「その人はまだ亡くなっていないから、名前は言えないですねぇ(苦笑)」。館長さんの身の安全も考え、名前の追及はやめたが、そのギャングはニューヨーク・ローワーマンハッタンの港湾を仕切っていた。「私たちは、いつも彼には気をつけていました。恐るというよりは、丁寧な言動を心がけるという。みんな彼の言いなりになるしかなかったです」。ボートづくりもできる館長さんは、あるときその港湾で船の大工仕事をしていた。そこにこのギャングがやって来て、「『誰もタラップ(船と波止場を繋ぐ板)を見張っていないじゃないか』と言うんですね。私は大工仕事をしていますから他の人を、と言うと、『誰もいないと言っているじゃないか!』と怒鳴られて。私は大工仕事をやめて、その午後ずっと炎天下のなか、船乗り場に突っ立って、みな無事に船に出入りしたか見張っていなければなりませんでした」。哀れな館長さんだ。

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 ふたりの極端な素顔を見せたギャングの話をしたが、館長さんいわくつまるところ、「ギャングに素顔や偽りの顔というのはないかと思います。ギャングの“勤務時間内・外”というのは存在しないというか。ギャングになると入団したら最後、(素顔になれる)自分の家族・家庭というのは二の次です。常に組織の上にいる者たちのために働かなければなりませんから」

 次回は、ギャングが牛耳った禁酒法時代をもう一度。その頃に流行ったお酒や、お酒に見えない“お酒”の誕生、もぐり酒場で飛び交ったスラングなどを通して、1920、30年代に花咲いた禁断のカルチャーを振り返ってみる。

▶︎▶︎#015「禁酒法時代。もぐり酒場では、矛盾と賄賂が横行し、あらゆる人間が入り混じる」

Interview with Lorcan Otway

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重要参考人
ローカン・オトウェイ/Lorcan Otway

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1955年ニューヨーク生まれ。アイルランド系クエーカー教徒の家庭で育つ。劇作家で俳優だった父が購入した劇場とパブの経営を引き継ぎ、2010年に現アメリカン・ギャングスター・ミュージアム(Museum of the American Gangster)を開館。写真家でもあるほか、船の模型を自作したり、歴史を語り出すと止まらない(特に禁酒法時代の話)博学者でもある。いつもシャツにベストのダンディルックな男。

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Museum Photos by Shinjo Arai
Text by Risa Akita
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine

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