ステージとフロアの上でぶち壊した「音楽と人種の壁」パンクとレゲエ、白と黒が混ざり合った音楽ムーブメント、あの5年間(2)

〈音楽を愛せよ、人種差別を憎めよ〉。隔たりを越えて、音楽と人種が入り混じった英国5年間を、写真とともにたどる(2)。
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前半、▶︎「Love Music, Hate Racism」ミュージシャンと市民、“音楽”の蜂起 

「10万人のパンクス、ドレッドヘア、ロッカーズ、若者たちが歌い踊り行進した」

 1978年4月は、RARにとって最も重要な月となった。「こんなに成功するなんて思わなかった」という、反ナチ同盟(ANL)*との共同開催カーニバル。「10万人のパンクス、ドレッドヘア、ロッカーズ、若者たちが、ロンドンを西から東へ縦断しながら、歌い踊り行進したんだ。英国において一番大きな反人種差別主義の祭典となったんだ」

 同カーニバルは、極右政党「国民戦線」の支援者が多くいたロンドン東部のヴィクトリア公園での野外コンサートを予定し、ラインナップには、パンクの詩人、パトリック・フィッツジェラルド、女性ボーカルのパンクバンド、X・レイ・スペックス、パンクムーブメントの最中に出てきたトム・ロビンソン・バンド、レゲエバンドのスティール・パルスが名を連ねていた。そして、「カーニバルの2、3週間前、ポスターとフライヤーがすべて出払ってしまったあと。当時国内で一番ホットなバンド、ザ・クラッシュから『俺たちも出演したい』と直々に電話があった」。ザ・クラッシュは、ロックに政治を持ち込んだ社会派バンドだ。『白い暴動』や『クランプダウン』『ロンドン・コーリング』『ブリクストンの銃』『ポリスとコソ泥』など、社会問題や政治問題に対する提起や嘆きを歌詞にし、パンクという力で若者の政治への関心を高めた。クラッシュ出演の噂は電光のように駆け抜け、トラファルガー広場から東ロンドンまでの7マイルを、パンクスにドレッドヘア、ロッカーズに若者たちを連ねた10万人の市民が、行進することとなったのだ。

*イギリス国民戦線が1977年8月におこなった行進に、地元民や左翼団体が抵抗して生まれた左派組織。RARのパートナーとなった。


©Syd Shelton

©Syd Shelton

 また同年9月、ロンドン・ブリクストン地区のブロックウェル公園でもRARはフェスティバルを主催し、エルヴィス・コステロやスティッフ・リトル・フィンガーズ、アスワドなどのバンドを観に、およそ15万人が集まった。ラインナップにはシャム69の名もあったが、人種差別主義者のファンから殺害予告があったため出演にストップがかかるという異例の事態。

「アスワドの演奏が終わり僕がバックステージでカメラに新しいフィルムを入れていると、勢いよくドアが開いた」。何事か?「シャム69のジミー・パーシーが怒号の勢いで僕の前を通り過ぎ、ステージ上のマイクまで一直線に歩み寄ったんだ。前日の晩、あるラジオ局の放送で誰かが『(殺害予告を受けたもんだから)シャム69は恐れをなして演奏できないだろう』と茶化したらしい。ジミーの頭にはそれがぐるぐると周り、『俺は(反対勢力には)屈しない』という意思に繋がったのだろう」。さまざまな人種が入り混じった15万人の観客を前に「反人種差別に対するすばらしいスピーチをしたんだ」。その瞬間をシェルトンは捉えた。


©Syd Shelton

「写真に彼の感情が浮かび上がっているだろう。額のうねりまで見えるだろう。僕はカルティエ=ブレッソンのような決定的瞬間を常に追い求めているような写真家ではないんだが、これは決定的瞬間の一つだったと思う」

 数十万人が目撃したストリートのデモ行進、ステージでのスピーチ、人種関係なく奏でられた音楽。翌年79年、RARは「ミリタント・エンターテインメント・ツアー」を開催。40のバンドが英国内の2000マイルの道中を巡業し、23のライブをおこなった。

“反逆的で過激な二つの音楽”が粉々にした、人種と音楽の壁

 RARの地道な5年間の活動は、市民の概念を揺さぶる。「シャロンという名の人種差別主義のスキンヘッドがいたんだが、RARが彼女を変えた。結果、彼女はRARの中心的存在になったんだ」。

 シェルトンはムーブメントをこう振り返る。「パンクとレゲエという、二つの反逆的で過激な音楽が化学反応を起こし、生み出したものがRARだったと思う」。人種に関わらず同じステージに演奏者、同じフロアに聴衆を集めた動きのおかげで「音楽シーンは少しずつ変わり、多人種のバンドが増え、それは一種の規範ともなった」。そして「“2トーン”がその継承者となったんだ」。


©Syd Shelton

©Syd Shelton

 80年代に差し掛かると、2トーンという音楽ジャンルが流行るようになる。パンクとスカ(ジャマイカ発祥の音楽)が融合したサウンドで、メンバー6人のうち2人がジャマイカ系移民で2トーンの草分け的存在であったザ・スペシャルズや、マッドネス、ザ・セレクターなどが代表格のバンドだ。同じステージだけでなく、同じバンドに異なる音楽ジャンル、異なる人種が一緒になる。パンクスはスカで踊り、ジャマイカンキッズがパンクに没頭する。出身や社会的、民族的背景関係なしに、好きな音楽、いい曲、共鳴するジャンルを聴き漁るようになった。もはや、パンク=白人の音楽なんて古い概念は、いまの音楽リスナーには通用しないナンセンスになったろう。

「RARが音楽における人種の融合に重要な役割をしたことはいうまでもない。が、人種差別は完璧に打ち負かされてはいない。闘いはまだ続くよ」とシェルトンは話す。しかし少なくとも、ステージ上のパフォーマーやフロアにいるオーディエンスなど、音楽を演る人、聴く人は多種になったのは確実で、もはや、その音や人の種類は3トーンにも4トーンにもなっているはずだ。ジョー・ストラマーが生きていたら、『ハマースミス宮殿の白人』の続編となる、アンサーソングを作っていたに違いない。

Interview with Syd Shelton


©Syd Shelton

Text by Risa Akita
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine

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