みんな大好きブランチとフェスを、愛すべき理由がもう一つある。
大勢で参加すればするほどよい。
なぜならば…「あなたをスキャンダルから救える」からだ。
誰もが足を突っ込んでいる“スキャンダル”
不倫やら覚醒剤やらなんやらのニュースのお知らせが止まらないスマフォ。「ふん、スキャンダルなんて自分とは程遠い」と思っているなら、まさしくどころがどっこい。片足どころか両足を突っ込んでいる…としたら?
「これは、世界規模のスキャンダルですよ」
著者トリストラム・スチュアートという男のその文句と共に出版された、『WASTE :Uncovering Global Food Scandals(世界の食料ムダ捨て事情)』。
暴露したのは文字通り、いかに食料を無駄に捨てているか。先進国では全国民を養える量の3〜4倍が生産され、もちろん要らなかった分は迷わず「ゴミ箱行き」。
食料不足に喘いでいる人が多くいるというのに、先進諸国が「世界の3分の1の食料を捨てている」、さらに「アメリカ、イギリス、ヨーロッパで廃棄されている食品の4分の1以下の食品があれば、世界の約10億人の飢餓に苦しむ人々を栄養失調から救うことができる」という事実。
安売りしていれば買いすぎ、「あらら、賞味期限切れてる…」と躊躇なくゴミ箱に捨て、ちょっとだけ食べては残し。それが普通ならば日常的にスキャンダルに加担してまっせ!とは言い過ぎだろうか。
5,000人の「他人」とブランチ
すごいブランチこと「Feed the 5000」は、一言でいえば「超大規模ブランチ」。開催場所を通りがかった誰もが参加することができ、“無料”でブランチが食べられる(おかわりもOK)。料理は「すべてゴミ箱行きの食品」から作られている。
はじまりは2009年ロンドン、仕掛けるのは先程の本の著者であるスチュアートがファウンダーのFEEDBACKという組織。
最初のイベント、どうやって人を集めたのか。団体の一人にコンタクトを取り、聞いてみると「全員通りすがりでした」
Photo by LardButty
「最初は訝しげに遠巻きに見ていた人が多かったけれど、一人が参加すればまた一人…って」。結果、それだけで5,000人が集まった。
料理を提供する場にはボードを設置し「食品がどこから調達されているか」についてを明記。または、人々が列に並んでいる間に説明をする。
「この野菜やフルーツ、形が悪いとかキズがついてるだけで“売り物”にならなかったものなんです」「賞味期限が今日、もしくはたった1日だけ過ぎているという理由で、大量に廃棄される予定でした」
ブリュッセルでの同イベント
「東京での開催を待っている」 爆音ノリノリで野菜を刻むフェス
そのFeed the 5000をさらにお祭り騒ぎにしたのが「Disco Soup」。もともとはドイツで小規模に行われていた”Schnippel Disko”。爆音で音楽をかけながら、廃棄される予定の野菜やフルーツをふんだんにノリノリで刻み、スープにして皆で食べちゃおうというイベントを、FEEDBACKが他都市に拡大。ニューヨークで行われたものは、DJたちが用意した「野菜刻むようのオリジナル・トラック」を爆音で“超”がつく盛り上がりをみせた。
アムステルダムでの同イベント
気になる食料調達についてだが、「卸売りの食品マーケットにて廃棄予定の野菜たちを譲り受けたり、ローカル・ファームで収穫前に地面に落下し、売り物にならなくなった野菜や果物を中心に採集させてもらいました」。また、個人からの寄付ももちろん歓迎だそう。
ちなみに、扱う食材は基本的には野菜と果物のみ。「魚や肉は禁止にしています。それを入れてしまうと、食中毒などの問題も出てきますので…」とのこと。賞味期限切れのものをもちろん受けているが、製造年月日や消費期限はきちんとチェックしている。
ところで、それだけ大量に食品を集めたら余ることもあるのでは?と思い遠慮なく聞いてみると「あまったスープや食材は、お土産として持ち帰っていただいています」。うむ、余すところなく無駄はナシ、だ。
2009年のロンドンをはじめ、パリ、ブリュッセル、マンチェスター、シドニー、アムステルダムなど世界34都市で開催されてきた。
「少しずつ、大量の、まだまだ食べられる食料が無駄に捨てられているという認識が広まってきていると感じます。各都市から『自分たちも廃棄フード・イベントやりたい!』との声も多く、アドバイスを求めて頂くこともあります。何事も、まずは“問題”に気づいてもらうことからですよね」
それから、「東京からはまだ、やってみたいとのコンタクトはきていないの。近年、東京でもぜひ開催してみたい」とのことだ。
捨てるにはオイシイ…
筆者はというと、賞味期限が切れていても基本はその10日前後なら食べてしまう(夏の乳製品は警戒するが)。ちなみに同じ環境で育った兄は、1日でも過ぎたら食べない。美味しい不味いは人それぞれ、食べられる食べられないも人それぞれなのだ。
「それ捨てちゃうの?!だったら頂戴よ…」と、大量に流し捨てられていた(パイプから流れ出る茶色い水に見えてしまう程)某チェーン店のフライドチキンやポテトたちを、横目で見ていた貧乏大学生時代…。がめつく思われたくなくて、筆者は遂に一度も言葉にしたことはなかった。
しかし、こうした上記のようなイベントが広まりつつあるいま。赤信号、皆で渡れば怖くないじゃないが、「みんなで」しかも「楽しく」なら、捨てられるはずの食料を美味しく食べる、それができると思うのだ。
地球からゴミがなくならないのはそれを拾う人間がいないからだ、といった映画監督がいるが、食料も然り。「無駄な食料」がこの世から限りなく少なくなるのは、それを食べる人間が大勢になったときだ。
Photos via FEEDBACK
Text by Tetora Poe