世界を染める、新しい藍
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ブルックリンの藍師・染師たちの、伝統の先

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「今日はこれを染めてもいいかい?」。ひょこっとやってきた近所の住人が手に持っていたのはカラスの頭蓋骨。もちろん、と爪が青く染まった若者が受け取る。染めるのは“藍”だという。
ブルックリンに工房を構える藍師・染師の集団「BUAISOU」。江戸時代から続く藍を使用し、染色と制作は自らの手作業を徹底、と「伝統」の名に恥じない技術を引き継ぐ。が、彼らの藍染めは、伝統の名のもとに固くなっていた“殻”を壊しつつある。確実に、大胆に。

ニューヨークにのれんを構える藍師・染師

「BUAISOU」は渡邉健太、楮覚郎(かじかくお)、結城研、三浦佑也の4名による藍師・染師の集団だ。江戸時代から続く阿波藍の産地、徳島県板野郡の上板町を拠点に、藍の栽培から、染料となる蒅(すくも)造り、染色、製作までを自らの手で一貫して行っており、ブルックリンにもスタジオを構えている。
 彼らを知ったのは、マンハッタンのレストランでたまたま見かけた彼らの作品の色合いに惹かれ、そこのオーナーに作品について尋ねたからだった。「藍の魅力は色が生きていること。使えば使うほど青が冴えて、より鮮やかになってくるんです」。そう話すのは藍師・染師の渡邉。BUAISOUを立ち上たメンバーだ。

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「もともと経年劣化する、使われ方にストーリーがあるものに興味があったんです」。藍で染めた反物は、古くなると掛け布団に、その後はおしめ、と、ボロボロになるまで使い切って捨てる、というのが庶民の使い方だった。

 サラリーマン時代、藍染め教室での体験で、「使えば使うほど鮮やかになる、染めれば染めるほど生地が強くなる」藍染めに一目惚れし、そのいろはを学ぶ場所を探していた。しかし、当時の藍染産業は「どん底」の状態。素人の渡邉を受け入れてくれるところはなかった。
 最後に見つけたのが、地域産業を盛り上げるために行政が取り組む「地域おこし協力隊」。上板町の藍師・染師の工房が研修先だった。
 人生の転機によくある、会社を辞めることへの葛藤はなかった。渡邉は、徳島へ移住。2年の修業を経て、研修先で出会った楮と共に「自分たちの藍を使って、1からデニムを作りたい」という想いからBUAISOUを立ち上げた。BUAISOUは、日本で公の場にはじめてジーンズをはいて登場した、白洲次郎の邸宅「武相荘(ぶあいそう)」に由来しての名だ。

伝統に沿わないと、藍ではないのか

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 彼らが染めるものには制限がない。伝統的な藍染の反物と異なり白を多く残したものや、Tシャツやジャケットからはじまり、動物の骨からキングベッドサイズのものまで。ニューヨークではけん玉が好評を博したそうだ。ファッションブランドとのコラボレーションやオリジナルの藍染製品、インスタレーション作品の制作やワークショップを行い、海外へも活躍の場を広げようとしている。
 しかし当初は「それはもう叩かれました」と渡邉。「この色まで染めないと藍じゃない。白が残ってたら藍じゃない。柄を出すならこれ、とすべて決まっていた」。徳島・阿波の藍は「本藍」と呼ばれ、他の地方のものは「地藍」と区別されるほどの名産。その伝統産業の世界に飛び込んだ彼らの活動は「異端」だったのかもしれない。修業が辛くて逃げ出す若者を引き合いにも出された。しかし、その度に繰り返す。「好きだからやるんだ」

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 そんな“出過ぎた杭”の存在は次第に周囲を納得させていく。彼らの活動により、藍や町の認知度が高まり問い合わせも増える中、普通の染師はやらないようなことでも「あそこならやるんじゃないか?」と仕事が回ってくるようになった。ニューヨーク進出のきっかけとなった、ニューヨークでの初のワークショップも、天然藍のもつ管理の難しさから「そんなの無理だ」とどこも受けなかった話が彼らに辿り着いたからだった。
「認めてもらえるまでが大変だったかもしれません」と渡邉。「いまではおじいちゃんおばあちゃんたちが気にかけてくれて、朝夕、工房にお茶を飲みに来るんです。地方は鎖国的なところもあるけど、一度認めてもらえたらすごく優しい。出てきた杭も、突き抜ければ打ちつけようがないでしょ。だからとことんやってやろうと。そう思ってやってました」

超ド級のアナログ作業が創り出す、あいの化学反応

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C16H10N2。藍色を作り出す成分の化学式

 “新世代の藍染職人”といわれる彼らだが、その作業のほとんどは「畑仕事」だ。藍染の染料である蒅(すくも)は藍の葉から作られるのだが、「365日のうちのほとんどがすくも造りです」と渡邉が語るように、種蒔きから刈り取り、“藍の命”と言われるすくもの完成までは約1年を要する。「最終的には色うんぬんではなく、『土』の良し悪しに辿り着いた」と渡邉。「人間ができるのは、すくもが育つ環境を整えることだけ。天候にも左右されるし、自然が相手なので、常に未知で終わりも正解もない。何でこうなったんだ?が今でも山ほどあります。先輩方には『何十年やってもわからない』といわれますよ」

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Photo Courtesy of BUAISOU

 かつては約2,000軒もの藍師が存在した徳島県も、化学染料の登場で今や5軒のみ。その数少ない藍師が作り出すすくもが、日本の天然藍染を支えている。「染色だけならまだ日本各地でやっていますが、数少ない藍師からすくもを買うので、色自体は同じになってしまうんです。僕らは、自分たちの青を創りたい」。だから、染料の栽培という「ゼロからの作業」に強くこだわる。そして「これまで会心の色はない。逆にあるのかわからない」とも話す。「来年は絶対にもっとよくなる。そう思って続けています」。

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ものづくりに対して昔の日本人のような姿勢を感じる

 BUAISOUのワークショップには多くのニューヨーカーが足を運び、驚く。
「1年かけての栽培や、製法だったり、日本の藍の作りかたはかなり特殊なんですね。さらに“発酵文化”そのものが日本特有のもの。日本では普通なことでもこっちではとても新鮮なことで、“プロセス”を見に来てくれる。製品というよりもひとつの作品として見てくれる。だからリアクションが倍ほど違うんです」
 ある程度まで染めれば、化学染料と天然染料の違いというのは、すぐにわかるものではないという。が、その違いをわかる人が多いことに渡邉は驚いた。天然藍“Natural Indigo(ナチュラル・インディゴ)”だけが出せる「冴え感が伝わっている」のだという。
 アメリカは、化学藍のインディゴを使うジーンズの国。“違い”が浮きだつのかもしれない。

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 次はどれだけデカいものを染められるか、そんなことに挑戦したいという。「誰も染めたことのないものを染めたいんです。ニューヨークにはしばりがないし、枠に縛られない色の捉え方を知ることができた。海外に出て殻を壊すことができたのは、大きかったかもしれません。あ、何染めてもいいんだ、って」。彼らの出発点である「自分たちのデニム」の夢も、実現に向けて動き出している。

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 彼らの探究心には気負いがない。「世襲でやってるわけではないし、『なくすのはもったいない』くらいで、『俺らが藍を絶対に守る!』みたいなのものはそこまで強くないんです。本当に好きでやってるから、それ以外の何物でもないんです」と話す。「挫折とか、辛かったこととか、全然ないんです」。そんな渡邉のことばが腑に落ちた。

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染液を発酵させると浮き出てくる泡は「藍の華」と呼ばれ、染料の調子のバロメータになる。

「化学藍は青一色しかないが、天然藍の青は奥行きがあり動いて見える」と、渡邉がいうように、実際に染めてみると息を呑むような美しさだ。しかし、その美しい藍色を生み出す藍の染液は、実は藍色ではない。甕(かめ)の中で一度分解され、繊維に浸透する無色透明の液体となる。甕から上げられ、外の空気に触れて酸化することで、はじめて青く発色する。
 伝統を分解、発見し、そして海外へ出ることで藍色になろうとしている彼らは、長い時間を積み重ねてきた藍の世界ではまだ雛鳥で、歴史の切れ端に過ぎないのかもしれない。しかし「青は藍より出でて藍より青し」という諺がある。伝統を重んじ、そして打ち破り。新たに彼らが作り出す“あい”が、ただただ楽しみで仕方ない。

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BUAISOU. / buaisou-i.com

Photographer: Kohei Kawashima
Writer: Takuya Wada

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