NYCのLGBTが歩んできた歴史

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想像してみてほしい。  あなたが自分自身でいようとするだけでののしられ、罰せられ、暴力をふるわれ、命を奪われる可能性がある。だからあなたは口を閉じ、偽りながら生きていく。本当の自分を隠し、公とプライベートで、Double Life(二重の生活)を送る。
偽るということは、自分自身だけではなく、家族や社会にも嘘をつくということだ。やがてあなたは良心の呵責にさいなまれ、振り出しに戻る。自分自身であるために、どうすべきなのか考える。そして、本当の自分をカミングアウトする。ののしられ、罰せられ、暴力をふるわれ、ときに命の危険があったとしても。
ここに記す歴史はニューヨークに住むLGBTが自分らしくあるために歩んできた歴史だ。 YESTERDAY’S STRUGGLE IS TODAY’S HERITAGE.
昨日の苦しみは今日の財産  ニューヨークのゲイパレード「NYC Pride」を主催する団体、Heritage of Prideが掲げるキャッチフレーズだ。ゲイ・レズビアン・バイセクシャル・トランスジェンダー(以下、LGBT)。パレードで見る彼らは、堂々としていて誇らし気。あなたの目には、悩みのない、生を謳歌している輝かしいアイコンとして映るだろう。しかし、このパレードが誕生した1970年当時、彼らは差別され、虐げられていた。彼らが初めて自らのセクシュアリティに対する偏見と差別に対し「NO」と声を上げ、自分らしくあるがままでいることに誇り(Pride)を掲げたのが、今日まで続くパレードだ。悲しみと苦しみを乗り越えてきたからこそ、彼らは生き生きとして美しい。毎年6月に行われるパレードは今年、45年周年を迎えた。パレードの誕生は、1969年6月28日未明に起きた暴動、The Stonewall Riot(ストーンウォールの反乱)がきっかけだった。この暴動は、グリニッジビレッジのゲイバー、Stonewall Innで起こった。警察による強行捜査を受け、「ゲイである」というだけで不当な捜査を受けた同性愛者らが、真っ向から対抗。権力からの迫害に対し、マイノリティで弱者であった同性愛者が初めて抵抗したとされ、アメリカのゲイ解放運動の象徴となった。

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OUT, LOUD AND PROUD!
声高らかに誇りを持って、外に出よう  大人しかったゲイたちが「NO」の声を高らかに「Gay Power」をうたう背景には、差別と弾圧の長い歴史があった。子孫を残さない性行為は、宗教的概念から「不自然」「異常」と見なされていた。旧約聖書に登場する、欲と腐敗の都市「ソドムとゴモラ」にちなんだ性道徳規定の基本「ソドミー」があり、西欧では同性同士の性行為を含む“逸脱した性行為”を罪とし、同性愛者は異端で忌むべき対象とされた。ひとりの人間がひとりの人間の心と体を愛するという、極めて自然な行為が、性別が同じというだけで人間扱いされなかった。その悲しみを共有する者は、強固な絆を水面下で築いていた。第二次世界大戦後、ヨーロッパを中心に広がったゲイ解放運動(gayliberation)の波を受け、ニューヨークでも1950年には「同性愛は社会風紀を乱す軽犯罪行為ではあるが、重罪ではない」と法律で明確にされた(ただし訴えられれば最高で6ヶ月服役)。それでも長年に及ぶ人々の拒否反応を払拭することは困難であると同時に、マイノリティゆえに嫌がらせをはじめとする、言葉や肉体的な暴力を受け、虐げられてきた。しかし、60年代から70年代にかけ、黒人の市民権運動やウーマンリブと呼ばれる女性解放運動などのマイノリティによる運動の機運に乗って、ゲイであることを恥じることなく、内輪ではなく外へ、「人間としての当たり前の権利」を声高く主張した。彼らの合い言葉は、「Out, loud and proud」(誇りを持って声を上げ、外に出る)だった。その土壌があったからこそ、69年にストーンウォールの反乱が起きた。彼らはもう、「もの言わぬ弱者」ではなかった。

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GAY IS GOOD.
ゲイでなにが悪い  ゲイ解放運動の活動家には、デモなどを行って声高く権利を主張する“過激派”と、政治家へのロビー活動を通して権利を獲得しようと動く“穏健派”がいた。お互いやり方は違えど、目指したのは「Gay is Good」(ゲイであることに問題はない)の証明。そして1973年、画期的な出来事が起こる。これまで「同性愛は精神障害」としていた米国精神医学会が、評議員の投票で、「精神障害の診断と統計マニュアル」から、同性愛と精神障害に関する言及を削除したのだ。「同性愛は精神病」という、いわれのないレッテルが剥がれた瞬間でもあった。  ストーンウォールの反乱以降、今日まで続く、ニューヨークのGay Pride Marchの記念すべき1回目が行われたのは、1970年。5,000人が参加したこのパレードを指揮したのは、Craig Rodwell(クレイグ・ロドウェル)だ。彼は、67年にグリニッジビレッジにオープンした、ゲイとレズビアンの作家による書籍を扱うOscar Wilde Bookshopのオーナーだった。もともとフィラデルフィアでゲイ解放運動のマーチングをしていたロドウェルは、プライドマーチの全米拡大に一躍買った人物としても知られている。本屋は惜しまれながら2009年に閉店してしまったが、彼が本屋にステッカーをはって伝えたメッセージ「Gay is Good」は生き続けており、「Gay is Still Good」(ゲイはまだまだイケてる)と、ロドウェルの言葉にかけたキャッチフレーズを使う者もいる。  ここでひとつ、面白い話がある。マイノリティとして権利を訴えた「ゲイ」とは、「ストレートではない人」であり、このころ、レズビアン、バイセクシャルも「ゲイ」とひとくくりにされていた。ところが、女性解放運動の活発化により「男ばっかりにやらせてらんない」というアマゾネスたちが立ち上がり、レズビアン・フェミニズム運動が台頭するようになったという。そうしてひとつだった彼らは「Gay/ゲイ」「Lesbian/レズビアン」「Bisexual/バイセクシャル」と分けて呼ばれることが多くなった。ちなみに、心と体の性の不一致「Transgender(トランスジェンダー)」という言葉が広く使われるようになったのは1980年代。男でも女でもないという性の概念は有史以来、インドのヒジュラーなど「第三の性」としてあったが、セクシュアル・マイノリティが表に出てくるにつれ、それを表す言葉が生まれ、区別されていった。

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HOPE WILL NEVER BE SILENT.
希望は決して黙らない 同性愛が市民権を得ていなかった1970年代のアメリカで、最も知られたゲイの権利活動家は、Harvey Milk(ハーヴィー・ミルク)だ。ニューヨーク州ウッドミア出身のミルクは、アメリカで初めて同性愛者であることを公表した上で公職に就いた政治家でもあった。ショーン・ペンがミルクを演じ、アカデミー賞を受賞した映画『ミルク』(ガス・ヴァン・サント監督)が記憶に残っているという人もいるかも知れない。ニューヨークで生涯のパートナーと巡り会ったミルクはサンフランシスコに渡り市議会議員になるも、わずか1年弱で銃弾に倒れた。つねづね自らの命の危険を感じていたというミルクが生前に語った言葉のひとつが「Hope will never be silent」(希望は決して黙らない)。ストーンウォールの反乱から10年、ミルクの暗殺から1年後の1979年。ゲイとレズビアンの、人としての権利を勝ち取る希望を胸に、初めて国家規模のプライドマーチを首都ワシントンD.C.で行った。ストーンウォール以前も以降も、数えきれないほどのマーチが行われてきたが、実質、このマーチが初めてアメリカ国内全土に知れわたり、国家規模で関心を呼んだ。希望の声がいま、ようやく届きつつあった。 SAFE SEX, STOP AIDS
エイズに感染しない、させない  しかし、1980年代に入ると、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)が免疫細胞を破壊し、様々な感染症を引き起こす、エイズ(後天性免疫不全症候群/Acquired Immune Deficiency Syndrome; AIDS)という致命的な病が大流行する。同性間の性交にによる感染経路が指摘され、感染者の7割がゲイという発表を受けても、当時ホワイトハウスの主だったロナルド・レーガン大統領は積極的なエイズ対策を講じなかった。「不道徳な性行為による自業自得」「同性愛という罪に対する神と自然の罰」という偏見や差別の中、多くのゲイが孤独を抱えたまま亡くなったり自殺者が出るなど、ゲイコミュニティはパニック状態に陥った。  一方で、感染原因の多くがアナルセックスであることを受け、「Safe Sex」(安全な性交)をスローガンとし、不特定多数とのセックスに注意を払うよう、またはコンドームを使用するように呼びかけるゲイや支援者も現れる。ボランティアによる患者の世話やホットラインの開設など、コミュニティに根ざした組織が誕生し、ニューヨークでは、著明なストリートアーティストであるキース・へリングが、AIDS撲滅活動に尽力。HIV感染者だったヘリングは、作品を通じて「STOP AIDS」のメッセージを発信した。  こうした動きの甲斐あってか、80年代後半になると、ゲイのHIV感染者およびエイズ患者の数に減少の兆しが見えるようになる。また、映画『ジャイアンツ』『武器よさらば』などで知られる俳優、ロック・ハドソンがエイズによって亡くなったことが一般市民やホワイトハウスを動かし、エイズ対策の予算増額にいたるように。88年になると、HIV感染に関する大統領諮問委員会が、エイズの教育や研究への連邦予算投入、HIV感染者の差別に対する法的措置、薬物中毒者の感染防止プログラムの策定などを求め報告書を提出し、エイズに関するアメリカ国民の関心と知識が向上した。

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DON’T ASK, DON’T TELL
聞かない、言わない  正面からエイズ問題に立ち向かい、国をあげて啓発活動を行って十数年。1990年代に入り、「LGBTの社会的権利は大いに認められてきた」とHeritage of Prideは振り返るものの、理解と拒絶のいたちごっごというだけで、改善すべき問題は数多く残っていた。LGBTの存在が公になるにつれ、理解が深まると同時に、深い拒絶反応も顕著に現れた。同性愛者に対し恐怖や嫌悪、拒絶感など否定的な価値観や感情を抱くホモフォビア(Homophobia)には、暴力や誹謗中傷というわかりやすいものだけではなく、無視など陰険なものもある。表面化すると問題が発生する現実を受け、その狭間の措置を多くとるようになり、それらは「BitterSweet Policy」(あめとムチの政策)と呼ばれた。その一つが、1993年に制定された軍隊内での同性愛を禁止する「Don’t Ask, Don’t Tell」(聞かない、言わない)。軍の規律が乱れることを懸念しての同法律は、2011年まで施行された。  一方、93年にはトム・ハンクスとデンゼル・ワシントン主演の映画『フィラデルフィア』が公開され、エイズとゲイにまつわる偏見について社会に一石を投じた。同作品でトム・ハンクスは第66回アカデミー賞で主演男優賞を受賞。ハリウッドによるエンターテインメントがLGBTに偏見を抱く人々の心を溶かしていった。

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WE ARE ONE
いまこそ、ひとつに  90年代後半になると、ゲイ・アイコンと呼ばれるLGBTに支持される著名人たちがこぞってLGBTの社会運動に積極的に賛同。中でも、歌手で女優のシェール(Cher)は97年、PFLAG(レズビアンとゲイの家族と友人の会)の国際会議で、娘のカミングアウトで経験したことをシェアし、ゲイ・アイコンに留まらず、LGBTの親のお手本のような存在にもなる。世界的には、デンマークが世界で初めての同性婚といえる「登録パートナーシップ法」を成立させ、世界にじわじわと波及する。アメリカでは2000年、バーモント州が「シビルユニオン法/登録パートナーシップ法」を可決。「結婚」は男女のパートナーに使用する言葉という考えのもと、LGBTのそれには「Civil Union」「Domestic Partnership」「Registered Partnership」などさまざまな言葉が生まれ、運動のためにバナーを作ろうという運動家たちが困っていたという逸話もあるほど。そして04年。マサチューセッツ州が米国で初めて同性婚を認め、LGBTコミュニティは歓喜に湧いた。ニューヨーク州は意外や意外、2011年で、現在、ワシントンD.C.ほか、19州が同性婚を認めている(詳細は下記の通り)。ちなみに、カリフォルニア州では2008年に一度同性婚が認められたが、すぐに結婚を男女間に限定し同性婚を禁ずる規定を盛り込んだ「Proposition 8」(プロポジション・エイト)を可決したため、再び同性婚が認められるまで時間を要した。
2004年:マサチューセッツ州
2008年:コネチカット州 2009年:アイオワ州、バーモント州、ニューハンプシャー州、ワシントンD.C. 2011年:ニューヨーク州
2012年:ワシントン州、メイン州、メリーランド州 2013年:ロードアイランド州、デラウェア州、ミネソタ州、カリフォルニア州、ニュージャージー州、イリノイ州、ニューメキシコ州、ハワイ州 2014年:オレゴン州、ペンシルベニア州

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NORMAL LIFE FOR EVERYBODY
普通を生きる
“I certainly didn’t want to be a ‘queer.’ Instead, I wanted to live a ‘normal’ life.” レズビアンになりたかったわけではない。ただただ、普通の生活をしたかっただけ。
– Edith Winsor/エディス・ウィンザー
2014年1月、タイム誌の「今年の人」に選ばれた、エディス・ウィンザー(84)の言葉だ。彼女がパートナーのテア・スパイアーと結ばれたのは46年前。二人はカミングアウトすることなく普通の生活を送ってきたレズビアンカップルだった。2009年にスパイアーが亡くなり、36万ドル(約3,600万円)の相続税が課せられた際、同性カップルの福祉を認めない連邦法「結婚保護法(DOMA)」があるため、税金を払わなければならなくなったため、レズビアンであることをカミングアウトして法廷で闘い、2013年に勝訴したスーパーウーマンだ。彼女のカミングアウトと二人のラブストーリー、「ゲイうんぬんではなく、普通の生活がしたかっただけ」というコメントは多くの人々の心を打った。ストレートもLGBTも、みんな普通の人間だ。 偏見、差別、拒絶を受けてきたLGBTはいま、政界と世論の両方から、あるがままでいいという、「YES」の声を受けるようになった。CBSの世論調査によると、60%のアメリカ人が同性婚を認めており、同性のカップルも、異性のカップル同様に福祉の恩恵を受けるべきとしている。しかし、いまなおアメリカでは、人種、民族、宗教、性的指向への偏見が引き金で起こるHate Crime(ヘイトクライム/憎悪犯罪)のニュースが後を断たない。ニューヨークでも昨年、ゲイの高校生がいじめを苦にして自殺するというショッキングな事件が起こった。ここで明記したいのは、この悲しい事件に対し、人々は以前のように「自業自得」とは思わずに、心を痛めたということだ。 誰かに恋をすること。愛し愛されること。ごく普通に生きること。ただただ自分自身でいるために、これからも歴史を刻んでいく。そしてその歴史は、LGBTとストレート、みんなでつくっていくのだ。

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Photos by Richard C. Wandel, Leonard Fink
Writer: Kei Itaya

掲載 Issue 17

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