“社会への反発メッセージ”を超えるグラフィティ文化を伝える、唯一の日本人アーティスト

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「コーヒーでよいですか」。律儀なもてなしに少々驚いた。「グラフィティのような画風で注目を集めるアーティスト」。その情報からのイメージとは随分違った。大山エンリコイサム(31)。彼を特別な存在にしているのは、独特なスタイルで描く作品はもっともながら、「描く」と「書く」の二つの武器を持ち合わせていることだ。ストリート・アートと現代美術との関連性、歴史やアカデミックな部分にフォーカスをあてて、きちんと言葉で伝えられる人は、今、彼しかいないだろう。

彼が発信する言葉は、熟語の多い文体ゆえにか、「頭脳派」と一言でくくられることも多い。だが大山は、そういった既に存在する定義や、誰かの発言をなぞっただけの「硬直する思考」を、とかく嫌う。とりわけ「ストリート・アート」に関しては、徹底的に。

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二足のわらじは「邪道なのか」

 ブルックリンに構えるスタジオで、彼は大きな脚立にのぼり、壁一面にかけられた作品を静かに見つめている。5メートル幅のキャンヴァスには、迷いのない白と黒の線が無数に走る。ところどころに見られる、滴が垂れているように描かれた技法「ドリップ」が、1970~80年代のニューヨークの地下鉄に描かれたグラフィティを彷彿させる。大山エンリコイサムは、グラフィティ文化に影響を受けたアーティストだ。

 近年、大山は活動の場を広げ、2011年秋のパリ・コレクションではCOMME des GARÇONS(コム デ ギャルソン)に、また今年はshu uemura(シュウ ウエムラ)にアートワークを提供するなど、活躍の幅をどんどん広げている。しかし大山は、制作活動のみで満足を得ない。つくる(描く)だけではなく、それを伝える(書く)ための執筆活動にも精力的だ。その彼の「描く」と「書く」の二刀流が、グラフィティ文化に対してはびこる「硬直した概念」を打ち壊そうとしている。こうした自身の見解を言語化し発信する姿勢が、業界で注目の的になっている。

untitled-5013 誕生から半世紀近く経つグラフィティ文化に対するありきたりの議論に、大山は声を尖らせる。「グラフィティに関するジャーナリズムは日本にも存在しますが、どれも結局、ヴァンダリズム(公共物破壊)として『軽犯罪法に接触か否か』、または『社会への反発メッセージが込められている』といった、“お決まり”の単純な解釈に終始し、広がりがないんです」

 そういっても、彼に奇をてらう意図はない。「逆に、これほど豊かな芸術性を持つジャンルが今まで批評的に手つかずだったことが驚きなんですけどね」。そんな想いを込めて、今年、大山はストリート・アートの芸術性についてアカデミックな視点を組み込んだ著書『アゲインスト・リテラシー グラフィティ文化論』(LIXIL出版)を出版した。これは、早くもストリート・アートの重要文献の一つと評されている。

 大山はSNSでも自身の見解を発信することを怠らない。たとえば、社会風刺画のストリート・アートで有名な英国の覆面アーティスト、バンクシーについてはこう評する。「情報社会におけるストリート・アーティストの人格のあり方を再定義している」と。通常、バンクシーの作品評論といえば、「どんな皮肉が込められているか」に注目が集まりがち。だが、大山は「情報社会における批評性」という新しい切り口を自分の言葉で提示する。その「視点」と「考察力」こそが大山の真骨頂だ。言及する分野はニッチだが、いとうせいこう氏や川勝正幸氏など、日本を代表するサブカルチャー界の牽引者たちからの注目が極めて高く、重宝されている。このSNSでの活動が、新聞社の目に止まり、今では連載や執筆の依頼が増えている。

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日本とイタリアの血が惚れたアメリカ

 1983年、東京生まれ。イタリア人の父と日本人の母を持つ大山は、両親の教育方針から「日本語だけ」で育てられ、日本の学校教育を受けて育った。

 大山が「描くこと」に目覚めたのは高校生のとき。当時の裏原文化や、進学した慶應義塾志木高等学校の同級生たちが、ブレイクダンスやスケートボード、DJなどに興じていた影響からストリートカルチャーに興味を持ったという。ただ、「その時点で、スケートボードもダンスも周りのレベルがすでに高かったんですよ。今からはじめても同じジャンルでは一番にはなれないと思って」と照れ笑いしながら当時を振り返る。まだ同級生の中で誰も手につけていなかった「グラフィティ」に目をつけた。

 いつの時代も、純粋で勢いのある若者が惹かれるのは、どこか反抗的で、権威にたてつき、自由を追求するものなのだろう。90年代後半、大山も一般書店ではなく、レコードショップにしか置いていないような、ニッチなカルチャー誌を読みあさり、海外のグラフィティアーティストたちのスタイルを必死に研究し、独学で理解を深めていった。ある時、大山はスプレー缶を持って一人で街に繰り出した。このことが彼の人生の大きな転機になった。「ストリートのルールや、見張りの付け方など、何のノウハウもなしに適当に選んだ壁なんかの公共物にスプレーを吹き付けていたわけですから。すぐに警察に見つかってしまいました」

迷惑行為か、アートか

 未成年の迷惑行為。「親に迷惑をかけてしまった」ことへの罪悪感もあり、自らの行為を考え直した。「公共物にタグすること(自分の名前を描くこと)に何の意味があるのか」

 70年代のニューヨークの荒廃地区で生まれたグラフィティ文化。住民の数少ない自己表現の場が壁などの公共物であり、表現手段として自身の名前や思いをスプレーで吹き付けていたものだった。「自分が盲目的にカッコイイと思ってやっていたことは、その真似ごとでしかない。現代の東京で何の不自由もなく育った自分が違法行為を犯してまで公共物に自分の名前を描いて自己表現をする必要性など、あるのだろうか」。それが、大山の抱いた疑問だった。

「ならば辞めるべきなのか」。そう自分に問うたとき、原点を振り返った。「タグ」という行為そのものに憧れたわけではない。グラフィティの「ヴィジュアル」が持つ力強さに、心を打たれたはずだ、と思い返した。大山は、「一日一作品」とドローイングを描写していた当時のノートを広げて見せた。「絵そのものに関心があることに気づいたんです。その関心が薄まる事は考えられなかった」。そのノートには、力強い線のドローイングがぎっしりと描かれていて、その筆圧から当時の大山の情熱がひしひしと感じられた。しかし、続けたい一方で、冷静な自分もいた。「描き続けるならば、自分独自の表現にしなければ」。その強い意識が、グラフィティ文化の「真似ごと」から、「独自のスタイルを構築すること」へシフトさせた。「独自のスタイルが築けないのであれば、表現の強度が得られない」。大山は「タギング=名前を描く行為」をやめ、文字は単純な線からなるものとして、その線のみを抽出する方法を編み出した。それが、現在の作品の最大の特徴である「クイック・ターン・ストラクチャー」の原点となった。

「描く」と「書く」の二刀流

 2013年、大山は活動拠点をニューヨークへと移した。「グラフィティ文化誕生の地ですからね」と、先ほどまでの淡々とした口調からは一変、口元をほころばせる。「観る人も、『君のスタイルのバックグラウンドにはグラフィティ文化があるね』と、僕の作品をすぐに理解してくれるんですよ」と、本場での手応えに喜びをにじませる。ただその分、「絶対的な印象を持ってもらうには、さらに深いところを突き詰めてスタイルを発展させていかないと」と、プレッシャーを感じていることも隠さない。そして思い出したかのように、「そう、だから今は執筆よりも、もっと絵を描くことに集中したい」と付け加えた。

 ならば執筆依頼など断ればよいのではないか。なぜ、そこまで自分の作品、しいては自分の考えまで言語化するのか。そんな疑問に答えるかのように、「いつまでも、『グラフィティ文化の魅力=ポップでおしゃれ、あるいは、反社会的でカッコイイ』と、単純な解釈に押さえ込まれているのを黙って見ていられません。アートとしての知的さや奥深さも誰かが日本語で発していかないと」。大山は今日も、「描く」と「書く」の両刀で、ストリート・アートの魅力を熱心に伝え続ける。「ゆくゆくは、日本でもグラフィティ文化に対する認知が高まり、その多角的な魅力がより伝わるといいのですけどね」とはにかみ、明るい未来に期待を寄せて。

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Photographer: Omi Tanaka
Writer: Chiyo Yamauchi

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