ジーンズの医者、Loren Cronk

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「ジーンズを洗わずに履くのが近年のトレンドだからね。洗わずに生地が硬いまま履くと破けやすいんだ」。40本以上の“患者”を前に流行病の理由をそう分析するのはLoren Cronk(ローレン・クロンク)。人は彼を「ジーンズの医者」と呼ぶ。手の施しようがないほどの傷だらけのジーンズに治療の失敗は許されない。しかし、ひとたび名医ローレンの手にかかれば傷は癒され、そのジーンズの深みは増す。このローレンの確かな技術とセンスを頼りにやってくる患者は途絶えない。都会の喧噪から離れたブルックリン地区グリーンポイントに佇む彼のジーンズ工房を訪ねた。

ジーンズの診療所へようこそ

 真っ白でシンプルな外観は、あたり一帯の旧工業地帯の雰囲気とは対照的な、洗練された趣を醸し出している。窓枠から店内を覗くと、背の高い男性が取材陣に気づきドアを開けてくれた。色褪せたダンガリーシャツに、頭にはニットキャップをちょこんと乗せたこの男性がオーナーのLoren Cronk(ローレン・クロンク)。「ようこそ。はじめまして」。取り立てて笑顔を作ろうとはしない。堅物の頑固者を感じさせる。挨拶をし、握手を交わすといそいそとヒーターの方に向った。どうやら私たちの手が冷えきっていたからか、温度を調節してくれているらしい。愛想はないけれど、無口でやさしい。職人気質がにじみ出ていた。

 彼はジーンズの修理を極めた職人である。客の注文はリサイズからリペアまで、一筋縄ではいかないようなものが彼の元へやってくる。「お父さんから譲り受けたデニムジャケットを自分の体格に合うように直してほしいといって持ってきた女の子もいた。それから、古い倉庫の床が抜け落ちる事故に遭って股の部分が思い切り裂けてしまったジーンズを持ってきた人もいる」。「それでも履き続けたい」という彼らの気持ちがローレンの心に火をつける。ジグザグ縫いや、ダメージ部分からわざと大きくはみ出したスティッチなど絶妙なバランスで、履きならされた一本に新たな魅力を添え命を吹き込む。リペアが終わって壁に並ぶジーンズは、治療が終わり退院を待つ患者のようだ。

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ファストファッションの逆をいく

「デニムの魅力の奥深さを知ったのはリーバイスで働いてから。5年10年と年月を重ねるほどに形も変わるし、違った色味になる。履いた分だけ肌触りは変化して、履き方によって独特の模様も生まれる。その変化を想像してつくったり、その過程を楽しんだり。そんなのジーンズの世界だけさ」
 リーバイスやラルフ・ローレンといった大手ファッションブランドでデニム・デザイナーとして活躍した経歴を持つローレン。しかし彼は、服飾の専門教育を受けたことがない。90年代初頭、ユタ州ソルトレイクでスノウボードウェアのブランドを立ち上げていた。「運が良かったのかな。その当時、学校に行ってファッションを専攻した人材より、自分のような独学で我が道を行くデザイナーを探していたリーバイスから声がかかったんだ。1999年のこと」と、記憶をたぐり寄せるかのように、少しハスキーな声でゆっくりとローレンは語りはじめた。

 その後、ラルフ・ローレンのデニムデザインチームの一員に抜擢されたことをきっかけにニューヨークへ。住み着いた先はブルックリンだった。デザインに留まらず、デニムのリペアに力を入れ始めたのは自然の流れだった。4年前に「Loren(ローレン)」を開店した。デザインからパターンメイキング、一部の商品の製造までをローレンと地元ブルックリン在住の4人の職人で行っている。取材中にも続々と訪れる客と、コミュニケーションを大切にするローレン。なじみの客から、口コミで評判を聞きつけた客まで一人一人の要望に耳を傾け、リペアに取りかかる前に、必ず試着をすすめ、どう手を加えるか話し合う。愛着ある一本をいとも簡単に彼に委ねさせてしまう理由は、顧客との信頼関係の一言に尽きるだろう。

傷を輝きに変える

「今までに失敗?ほとんどないね。はさみを入れるときに緊張するなんてこともない」誇らしげに少し目を細めて笑う。フレアデニムをストレートに作り替えたり、ウエストラインを上下させたりといったことも可能だが、一番多いのは穴の修繕だという。「傷や汚れもデニムをクールに見せる要素だからね。それを生かしたいという要望があれば逆にかっこよく目立たせるんだ」
 色が褪せ、形を変えても歴史を刻むデニムを、持ち主が履き続けたいと願う限り、ローレンは“延命”する。300本以上のジーンズを所有するローレン自身の思い出の一着について尋ねると、「特にない」とぶっきらぼうに答えるが、これまで手直しした一本一本を懐かしそうに眺める。昨今溢れるファストファッションと逆行するかのように、ゆっくりと時が流れるローレンのアトリエ。この場所で彼が“治して”いるのは、デニムにできた綻びだけではなく、せわしなく前ばかりを向くことに慣れきってしまったニューヨーカーの心にできた綻びなのかもしれない。

Store Location    

80 Nassau Ave. Brooklyn, NY 11222
Photographer: Omi Tanaka/ Writer: Haruka Ue

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