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  • Jun 8, 2016
マンハッタンで最も小さな「軒下のジュエリーショップ The Silversmith」を守る、86歳の女性のお話
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マンハッタンで最も小さな軒下のジュエリーショップ「The Silversmith(ザ・シルバースミス) 」。その住所は、実にユニークだ。184番地の「3分の4」。文字の通り、番地の3/4の敷地という意味であるが、正確には、建物の間の細い「隙間」。人がやっとひとり通れる幅である。
ここには、なんと80年以上も昔から、ジュエリーショップがあるそうだ。聞けば、「その昔、若いホームレスの夫婦が、この場所で、ハンドメイドのジュエリーを売って生活をしていた」ことから歴史ははじまったとか…。

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Ruth in da house. 出会いは、突然に。
   
 ウェストビレッジの繁華街。「184 3/4」という嘘のような住所の標識が目印だ。その噂のジュエリーショップ、昼間は大抵シャッターが降りている。開店時間は「毎日午後5時頃」。だが、実際は「5時開店の予定で、30分遅れの5時半スタートって感じ」。そう教えてくれたのは、ズィーという名の20代の青年。週に2、3回ここで働いているそうだ。
  
「I like you earings(あなたのピアスいいわね)」。振り返ると、白髪のおばあちゃんが、私のピアスを見てニコニコしている。「あなた、自分で作ったの?もしよかったら、このビーズ、使ってちょうだい」と、エスニック調の壊れかけたビーズのブレスレットをくれた。出会って、1分足らずの出来事だ。彼女の名は、Ruth Kuzub(ルース・クズブ)。この店「The Silversmith(ザ・シルバースミス)」のオーナーである。

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その昔、軒下のボヘミアン夫婦の話。
     
「ここは『The Silversmith』という名前がつく、ずっとずっと前からジュエリーショップ。長い歴史があるのよ」と、ルースは言う。

 さかのぼること1930年。歴史の発端は、Francisco Rebajes(フランシスコ・レバハス)という名の若いアーティストが、この民家の間の狭い路地で、ハンドメイドのジュエリーを売りはじめたことだった。

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「当時の家主は、このアーティストを気に入ったみたいでね。彼のために、この路地に屋根をつけてあげたんだって」。1929年に起こった世界大恐慌の影響もあり、レバハスと彼の妻は、職なし、家なしの極貧だった。彼らは、この路地裏に新聞紙を敷いて眠り、近隣のカフェテリアで人の食べ残しを食べて暮らしていた、という記録が残っている。
 そんなホームレス生活が一転したのは40年代。きっかけは、ホイットニー美術館のディレクターに発掘されたことだった。脚光を浴びるチャンスを得たレバハス。その後、50年代にはマンハッタンの5番街に豪華な実店舗を構えるほどの売れっ子になったそうだ。

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「彼がこの場所から去った後、私の友人ジェンの姉妹が縁起を担いで、ここでジュエリーショップを開業したの」。それが、「The Silversmith」のはじまりまりだという。

「ただ彼女、都会生活に疲れたからしばらくニューヨークを出たいって、ジェンに店番を頼んでどっかに移住してしまったの。さらに、間もなくしてジェンも同じようにニューヨークを出てしまって。それで、私が店を手伝うことになったのね」。

 以来、ルースはこの場所でジュエリー販売を担い、「60年代後半くらいからだから、かれこれ約50年間くらいになるかしら」

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今年、86歳。続けているのは「ただ好きだから」

「続けなければ」という、特別な気負いはないという。「好きだからやっているだけよ」。
 今年でルースは86歳になる。「昔は私もジュエリーを作っていたのよ。店の商品のほとんどは、私のハンドメイドだったの。ただね、手首を痛めて以来、作れなくなってしまって」。
 いま、店にあるのは「大量生産の安モノと、旅先で購入したモノくらいかしら」

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 過去には強盗に襲われたこともあるという。「ナイフを突きつけられてね、金の高価ジュエリーは全て盗まれたわ」。以来、店先には、男性スタッフをつけるようになったそうだ。

「ってわけで、俺はルースのボディーガードも兼ねてるんだ」と、バイトのズィー。親しげな様子から、彼はルースのお孫さんか親戚かと思いきや、「ルースとはOccupy Wall Street(ウォール街を占拠せよ)の抗議活動で知り合ったんだ。当時、ニューヨークにきたばっかりだった俺に、ルースがこの仕事をくれたんだよね」という。
 雨や雪が降ったら大抵、お休み。閉店時間は「夜10時半とか。その日によってマチマチ」。営業は、無理なく臨機応変に続けているようだ。

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 この狭い路地スペースに吸い込まれるお客たちもまた面白い。「今夜のライブ用に」という、ミュージシャンやマジシャン、ダンサーが、2〜6ドル程のアクセサリーを気まぐれに購入していく。また、時折、店の前を通り過ぎる、白髪のご老人たちはだいたいルースの友人だ。

「ニューヨーク生活はどのくらいなの?」と聞くと、「25歳の時に来たから…。あら、もう60年」と答えるルース。感慨深い、というような、はたまた、あまりにも長い年月に我ながら呆れた、というような複雑な表情を浮かべるのであった。

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アートに恋した少女、時代の変遷を見つめて半世紀

 ルースの出身はオハイオ州。25歳のときに世界トップのショービジネス界を目指し、単身ニューヨークヘやってきた。「いつも何か新しいことがどこかにおきているという時代だった」と、振り返る。映像や写真を専門としていた彼女の周りには、前衛的でチャレンジ精神旺盛、時代のトレンドを牽引する個性的な人々が多かった。「あの頃は、ただ音楽やアートが面白かったということではなく、時代そのものが新しい空気を創っていたと思うの」。新しい芸術は新しい出会いとともにはじまることが多い。ルース自身もそういった偶発的なケミストリーを楽しんでいたひとりだった。
 だが、「30代になって、この店と出会ってね。ジュエリー作り没頭する楽しさや、人が自分の作品を手にとって喜ぶ姿を直に見る喜びを知ったの」。以来、それまで身を置いていたショービジネス界の喧騒から、少しずつ距離を置いていったそうだ。

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「ニューヨークは世界中からいろんな人が集まる街だから、ここでジュエリー作り売りしてきたことで、いろんな土地からきた人たちと出会えた。それが一番の醍醐味ね。いまもそうよ。こうやって、日本人のあなたに出会えたりできるのも、店があるからでしょ」。
 そう一気に話し終え一息つくと、「ところで、“HOW ARE YOU?”って日本語でなんていうの?」とルース。彼女の好奇心の旺盛さは、いまも健在だ。

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「タバコはやめた。身体に悪いから」

 ニューヨークの酸いも甘いも噛み分けてきたルース。70-80年代には、友人の多くをドラッグやエイズ、貧困で亡くした、とも。「人の運命なんて、紙一重」。誰の方が、スゴいもエラいもない。「私はただ、運が良かったの」。

「この店を引き継ぐ、と決めたことは、人生最良の選択だった」。そういいながら、くしゃっと笑った後、「でも、唯一の後悔ね」と続ける。「若いときに、もっと語学を勉強すればよかった。だって、いろんな国の人がくるのよ、ここには」。

 澄み渡る春の青空を仰ぎながら、彼女はいう。「よく、ニューヨークの人は無愛想、とか冷酷だ、とかいうでしょ。けれど、私はそうは思わない。こんなに気さくで、ユニークな人が多い街は珍しい。だから私はいまもこの街にいるの」。
 感度の合う街で、自分らしく生きる。その幸福を体現する彼女に学ぶ、人生の教訓だ。

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Photos by Shino Yanagawa
Text by Chiyo Yamauchi

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