好きなだけ食べて、好きなだけ払う店〜HOPE IS DELICIOUS〜
「うちは誰もが気軽に楽しめるカジュアルレストランです」。そううたう店は多いが、本当の意味で「誰も」を受け入れているレストランなどあるだろうか?
「払えるお金はないが、食わせてくれ」。そう懇願する貧しい人がいたとしても、商売である以上、無銭飲食を許すわけにはいかない。この資本主義社会、結局、お金を払わなければ何も買えないのだ。
そう世知辛さを受け止めていたが…。「貧しさを解消するのは『善意』だ」といわんばかりに、本当に「誰も」を受け入れているレストランを見つけてしまった。「好きなだけ食べて、好きなだけ払ってください。払えなければ払わなくて結構です」。そんな人々の「善意」と「道徳観」だけで成りたつレストランの実態に迫る。
あれ、値段が書いていない…
その噂のレストラン「Jon Bon Jovi Soul Kitchen(以下、JBJ Soul Kitchen)」は、ニューヨーク州のお隣、ニュージャージー州のレッドバンクという小さな町にある。創業2011年、「ここは、コミュニティ・レストランです」というが、クリントン前大統領や数々のスターシェフも来店したと聞く。一体、普通のレストランと何が違うのか。
一番大きなポイントは、非営利であること。 Jon Bon Jovi SoulFoundationというNPO法人の管轄下にあり、来店客が支払ったお金は、店の利益や収益ではなく、すべてコミュニティへの「寄付金」となる。
さて、そのレストランだが、ダイナーのような大衆食堂をイメージしていた。しかし思いのほか、外観、内観、ともにモダンなルックスでデートにも利用できるレベル。席に案内され、メニューを手渡される。だが、そこには「値段」が表記されていない。「それじゃ、好きなだけ食べて、好きなだけ払えばいいってこと?」。そんな解釈もありだと聞いたが…。
「値段を見ないで注文する」というのは、意外と難しい。写真はなく、あるのは商品の名前と、どんな食材が使われていて、どんなソースがかかってくるのかという簡単な説明書きだけ。それだけを頼りに自分が「食べるべきもの」を選ぶには、イマジネーションをフル稼働させなければならない。もちろん、口コミサイトなんかで写真を検索するのも賢いが、自らの想像力にかけてみるチャレンジ精神が個人的には好きだ。メニュー上に散りばめられた的確なヒントを収拾する能力。それが楽しい食事を成功させるかどうかの重要なカギで、ヒントの一つが「価格」であるということはまぎれもない事実だろう。
と、分かったようなことを述べてみたが、結局、自力では選べなかった。ナマズのようにとぼけた顔でメニューを眺めること5分、親切なボランティアのサーバーのマーサに薦められるがままに、アペタイザーに「本日のスープ」、メインに「庭で採れたオーガニック野菜のサラダ」を注文した。
「働くから食わせてくれ!」
アペタイザー、メインにデザートのコースでいただいた食材のほとんどはオーガニック。店の前には小さなファームがあり、そこからの採れたて野菜を使っている。すべて新鮮で美味しく、量も申し分ない。おまけに食後にコーヒーまで出してくれた。ひとしきり満足しながら「一体いくらなんだろうね、チップを足したら割といきそうだよね」と話していると、一人のウェイターがテーブルへお会計票を。しかし、運ばれてきたのは「お会計」ではなく「メッセージカード」。開いてみると、そこにはこう書かれてた…。
「お支払いは方法は、キャッシュ、もしくは1時間のボランティアから選べます。お支払いいただいた金額はすべて寄付金となります。寄付の最低金額はお一人様あたり10ドル(約1,200円)から。それ以上払っていただいたぶんは、払えない人へのギフトチケットとして使用させていただきます」
たとえば、二人で食事をし、一人5ドル上乗せして、15ドルずつ合計30ドルを払ったとする。すると、そのエクストラぶんの10ドルで明日、もしくは近い将来に空腹で店に駆け込んできた一人分の胃袋を満たしてあげることができるのだ。
システムを理解したところで気になるのが、「タダ飯」(言い方は悪いが)を食べにくる人が、一体どのくらいいるのかということ。聞いてみると「本日のブランチには、5人来店しました」という返答。だが、払えない人たちは、他人の「善意」に甘えてタダ飯ばかり食べているかというと決してそうではないという。
「働くから食べさせて欲しいって、皿洗いや掃除など、自分がここでできる“何か”を申し出る人が多いのよ」。職なしホームレスだった人が、ここで皿洗いを継続的に続け、知り合ったボランティアメンバーの紹介でほかのレストランのパートタイムとして雇われたケースもあるそうだ。社会復帰への第一歩として、また、職業訓練の場としても機能している様子をうかがわせる。
青年からお年寄りまで、一致団結
主にレストランの現場を支えているのは、前述の親切なサーバー、マーサのようなボランティアメンバーだ。彼女の本業は「先生」。平日は近所の学校に勤務し、週末はここでボランティア。「かれこれ一年半になる」といい、サーバー担当の日もあれば、皿洗いや野菜を洗う係を任される日もあるそうだ。また、「ボランティアは近隣住民ばかりではないわ」という。中には片道3時間かけて、月に2回ここに奉仕をしに来る人もいるそうだ。
そのほか、ボランティアには学校の社会貢献活動の一貫として参加する学生や、料理学校への進学を目指し調理技術を習得しにくる人などがいる。一番下は16歳の高校生、上はリタイア組みの70代と、実に幅広い。だが、すべてが有志と善意でまかなわれているため「今日みたいにサーバーが6人いる日もあれば、1~2人しか集まらない日もある」とマネージャー。十分な数の労働奉仕者が集まらない日もあるが、それでも「オープン以来、ボランティアが一人もいなくて営業できなかった、という日はない」と誇らしげだ。
なるほど。みんな、個人レベルで社会貢献を行っているのだ。しかも、お金(寄付金)だけではなく、時間を提供するというやり方で。「一週間のうち、自分の時間の○%を社会のために使う」と決めて、その時間をボランティアにあてる。そんな無理のないやり方だからこそ継続もできる。企業がよく「利益の○%を寄付する」ということをやっているが、それと同じことだ。
貧しさは努力で解消できない
格差が広がるアメリカ。「貧しいのは努力が足りないからだ」という意見も少なくないが、そうだと決めつけて何もしないのは「いかがなものか?」という風潮は強くなっている。確かに、貧しい者を排他的に扱ったところで、国民の幸福値があがることはないのだから。
「アメリカ人の6人に一人が、空腹をかかえ、5家庭に1家庭が、水準以下の貧困にあえいでいる」と、レストラン創始者のジョン。彼は、こういった所得格差を解消するカギは「善意」にあると説く。失業や減給をくらうと、人々はまず食費から削ろうとする。すると、どうしても栄養価が高く、バランスの良い食事を取るのは難しくなる。「食べることは、生きることに直結する、生命の根幹だ」。善意で貧しい人々に労力や金銭を施すということは、人々に幸福を与える。人々が幸福になれば、そこから新しいインスピレーションが生まれる。これがイノベーションにつながる、と未来へのHope(希望)を描く。同店の掲げる「HOPE is Delicious(希望こそ、美味だ)」は、そんな考え方に所以する。
なにより、人々がこのレストランで食べた料理、過ごした時間にどれだけの価値を感じ、どれだけ店のビジョンに共感するか。来店する者たちの価値観を信用し、店の存続の運命を委ねる。そんなJBJ Soul Kitchenの心意気に、胸が熱くなった。
*1ドル120円で換算
Photographer: Kohei Kawashima
Writer: Chiyo Yamauchi