クラスの人気者だったアイツ、今じゃニューヨークの人気者
ニューヨーカーが笑うとき、そこにはあのDJがいる 学生時代、クラスに一人はいたみんなを楽しませるお調子者。そのノリで、ニューヨークの地下鉄をクラブに変えてしまう男がいる。ターンテーブルは、使わない。変幻自在な独自の声とビートボクシングを重ねて曲を奏でるDJだ。名はVerbal Ase(バーバル・エース)、30歳。人は彼を“Vocal DJ(声のDJ)”と呼ぶ。パペットなどの小道具を用いたユーモア溢れるパフォーマンスに、地下鉄車両内での無認可パフォーマンスの取り締まりをしていた警察も思わず感心し見逃してくれたという逸話を持つ。商売道具の喉のケアには、自作のグリーンティーレモネード。大量の器材を携え、今日もニューヨークの地下のどこかで、行き交う人たちの間に一瞬で輪をつくる。さあ、まずはビデオをご覧あれ。
http://https://www.youtube.com/watch?v=rO54Zwo9d-g
インタビューの半分は効果音。
せっかく本人に会えたのだから教えてもらおうと、いわれた通りにするのだがどうも上手くいかない。
「喉が特別なんじゃないの?」と聞けば、「子どもの頃に手術でスピーカーを入れたのさ」と笑わせる。
“Laughter is the cheapest remedy”
(笑いこそ、お金のかからない一番の特効薬)
それがモットー。「僕は、笑いで人を治す医者なのさ」という。すべてのはじまりは子ども時代。両親が見ていた映画『ポリス・アカデミー』で、俳優がやっていた声を使った効果音に魅了され、夢中になって真似て遊んでいた。水滴の落ちる音、携帯のバイブレーション音、ジャスティン・ティンバーレイク。数えればきりがないバリエーションは、どれも本物と寸分違わない。高校時代は、休み時間にはあれやってこれやってとクラスメイトからせがまれる人気者。教師までもが、「お前すごいな」と地元ラスベガスのメディアを連れてくる始末。この時、エースはビートボクシングという言葉すら知らなかった。 「ランチタイムを削ってパフォーマンスしてるんだからお金払ってよ」と試しにクラスメイトにいってみると、思いのほかみんな快く払ってくれた。さらには、地元のラジオ局主催のタレントショーへの参加料までも友人たちがカンパしてくれ、ビートボクサーになれよと応援してくれた。Something crazy(どっかイカれてる)をテーマに、アフロに金ぴかのトレンチコートとガーデニング手袋というキテレツな出で立ちで躍り出た初めてのコンテストで見事入賞。それ以来、数々のタレントショーを経て、行き着いた先はニューヨークだった。
ある日、交通費を浮かせようと、友人に誘われ軽い気持ちで地下鉄の車両でパフォーマンスしてみたところ、たった2時間で稼いだ額はなんと100ドル(約1万2,000円)。ニューヨークに来てから、ビートボクサーとしての収入だけで生計が立てられているという。「でも、お金が一番大切じゃないんだ」。2012年秋、巨大ハリケーンがニューヨークを襲った直後のこと。いつものようにパフォーマンスをしていたら、一人の女性が目に涙をためて彼に20ドル札を手渡そうとしながらこういった。「本当にひどい一日だったの。あなたが今日初めて笑わせてくれた」 。ニューヨークにごまんといるビートボクサーの中でエースのパフォーマンスを際立たせるのは、テクニックのみならず、集まったオーディエンスを一つにするインタラクティブなパフォーマンス。「声のDJだけができること、何か知ってる?いつでも曲にありがとうをはさめるんだよ」
圧倒的な支持のもと、ニューヨーク市地下鉄の公式アーティストにも選出された。地下鉄のアナウンスとそっくりな声で「次の電車は10日後に到着します」とマイクを片手に呼びかければ、通行人は足を止め、どっと笑い出す。そしてそこにすぐ黒山の人だかり。すかさずパペットを取り出し、誰もが知るライオンキングのテーマ曲を歌いながら同時にビートを重ね合わせると、子どもからお年寄りまで、体でリズムを刻みながらノリノリだ。見知らぬ者同士が輪になって踊りだす。エースが何層にも重ねる声に呼応して、人間関係が希薄になる現代の大都会に、重なりあう温度と繋がりがあった。