取り残された“最悪級のスラム都市” 臨終間際の再生劇、開幕
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かつては自動車大国アメリカの“背骨”であった街、デトロイト。自動車産業で栄えたその街、現在は人口が半分以下まで減少。雇用が減り治安も悪化。暴力犯罪率は 全米第2位と、“最悪級のスラム都市”に転落した。路上にはホームレスの列、絶え間ない銃声。希望などチリもなさそうな誰も住みたがらない街。しかしその“臨終間際”、最底辺からの再生劇ははじまった。

蘇生の可能性なし?スラムと化した自動車の街

「モータウン」の異名を取るデトロイトは、モータータウン=自動車の街。フォード、GM、クライスラーの「ビッグ 3」が本丸を構え、1950年代の最盛期は人口180万人 超。その多くが自動車関係の会社に従事していた。
 20世紀初頭にヘンリー・フォードがこの街で築いた自動車産業は、高速道路網の発達とともにアメリカの生活と社会に不可欠な交通手段へ。
 いまでも年間1,750万台の自動車を消費するアメリカは世界最大の自動車王国だ。ところが、1980年代以 降、労賃の高騰のため各メーカーが生産拠点を海外に 移転。さらに日本車やドイツ車の台頭による競争激化でデトロイトは一気に衰退しはじめる。人口は現在までで70万人を割るにまで減少した。雇用が減ったおかげで治安も悪化。人口1,000人あたりの暴力犯罪発生率が21.4%と全米第2位、同じく殺人件数344という“最悪級のスラム都市”に転落してしまった。マイケル・ムーア監督の初期ドキュメンタリー『ロジャー&ミー』(1989年)を観るとそんな落ちぶれた自動車産業の実態が笑えるほどによくわかる。

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 基幹産業を失ったデトロイトに、蘇生の可能性はいまのところない。金融関係の企業は相変わらずニューヨークが中心だし、メーカーの花形IT産業は、カリフォルニアやテキサスを目指す。寒風吹きすさずデトロイトなんか誰も見向きやしない。市内中心部には廃屋と化したオフィスビルが林立。路上にはホームレスが列を成し、貧民街では銃声が絶える日はない。こんな街に誰が住みたい?
臨終目前の「自動車王国首都」デトロイトで、ここ数年勢いづいている業界がある。しかも、ふたたび「製造業」 だ。しかし今度は、「自転車」。カスタムメイドの高級自転車メーカーが続々誕生。いまでは「ビッグ3」ならぬ「7社」がしのぎを削っている。

仕事を失った車のデザイナー、 70万の“自転車”をつくる

 その中のひとつ「Detroit Bicycle Company(デトロイト・バイシクル・カンパニー)」を経営するSteven Bock(スティーブン・ボック)は、フォードの現役クレイモデラーだ。デザイナーが描いた自動車のイメージを粘土で具現化するカーデザインの根幹をなす仕事だが、年々作業量は減っている。

「解雇の不安におののくよりは」と空いた時間を利用して「自転車のカスタムメイド」=手作りをはじめたところこれが人気を呼び、変速ビアなしでフレームが銅製という“こだわり自転車”が一台4,000〜6,000ドル(約48〜73万円)で飛ぶように売れたのだ。そして2011年、クレイモデラーの傍ら同社を起業してしまった。
「やっぱり、あれなんじゃないですか?DNA。月並みですが、もの作りのDNAがデトロイトには脈々と流れているんですよ」とスティーブンは話す。

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Detroit Bicycle Company, images by Miparts

 デトロイト・バイシクル・カンパニーの成功が評判になって、ミシガン州の中堅自転車メーカー「SLINGSHOT(スリングショット)」もそれまで台湾にあった製造部門をデトロイト市内に移転。今年に入ってからも元消防士が「313 Bicycle Works(313バイシクル・ワーク)」を立ち上げたかと思えば、ファッション時計メーカー「Shinola(シノーラ)」もデトロイト市内のショップで「自転車の組み立て販売」をはじめている。四輪と二輪の違いはあるにせよ、製造業が街に帰ってきたのである。一人の男の「まあいっちょやってみるか」でだ。

 そして「手作り自転車」は大手の「Detroit Bikes(デトロイト・バイクス)」をも刺激。250万ドル(約3億円)を投じて5,000平米の本格的自転車工場を開設。GMの元工員を雇用し、1日平均10台の生産量を誇る。将来的には「年間製造5万台」を目指すというから、こうなると本格的な「工業」だ。

市民が見限った“市”、D.I.Y.蘇生

 絶望の街に降って湧いたような銀輪景気。その裏にはうなずける理由がある。かつて自動車王国の首都だったデトロイトには、胸のすくような幅広の大通りが放射状に走っていて市民の誇りだった。悲しいかな自動車台数が激減した現在、大通りを往来する車の量は情けないほど少なく、まるで街中がガラ空きの駐車場。あまりの寂寞感に耐え られなかったのだろう。デトロイト市では、大通りの一部を「自転車専用レーン」に指定。2006年に全長240キロに及ぶ、全米でで有数のバイクレーン網が完成した。
 おかげで自転車通勤者の数は、2007年から現在までに43%も増加。逆に、自動車通勤者は20%減少したというから、これはもう時代の転換と見るほかない。2013年には市の財政が完全に破綻し、自動車産業に見捨てられた街として、ほとんど全米から軽蔑の対象となっていたデトロイトを、市民の方から“過去の栄光”と見限ったのだ。
「もう自動車には頼らない。これからは自転車だ。倒産した市にも頼らない。自分の生活は自分で『漕ぐ』」とばかりに。

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Images by Liz Patek

「寝たきり」状態を救う二輪

 確かに、市民自らが漕がなければ倒れてしまう現実はある。だが、単にこれを「自転車操業」とジョークに付すに留まらないところにデトロイトの強靭さを感じる。“王様を失った黄昏の自動車王国”では、ビッグ3への依存がもはや許されない。市民は「自分で立ち上がるしかない」という自覚に目覚めた。こうしたメンタリティーの革命的転換が背景にあってのブームだというところに、この奇妙な現象の本質があるような気がする。

 自転車ブームの一環で、デトロイトではコミュニティ還元運動も盛んになってきた。「Back Alley Bikes(バ
ック・アレイ・バイクス)」という団体は、再生自転車の工房を持ち、市民に自転車を提供している。この街には、貧しくて車の買えない市民が大勢いる。かといって、街は車中心に都市計画されているので交通手段がなければ通勤もままならない。財政破綻で市の公共交通は、「寝たきり」状態だ。そうなればもう自転車に頼るほかない。“リア充の趣味”としてよりは「生活のための道具」として自転車が必需品になってきたのである。バック・アレイ・バイクスはそこに目をつけた。廃品中古自転車を寄付で集め、整備して手頃な値段で貧困層に提供。しかも10歳以下の子どもは「無料」ときた。放課後や週末には自転車整備の教室も開き10〜17歳の子どもたちに正しい乗り方や修理のノウハウを伝授している。

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Images By gregezzo

 日本でも再生自転車の有効利用運動は盛んに行われている(たとえば、「ムコーバ」など)が、開発途上国の僻地の医療機関などへの譲渡が中心だ。ニューヨークでも、昔から「自転車をアフリカに」という活動をダウンタウンで続けている人たちがいる。その発想が、先進国アメリカ国内の「問題都市」で展開している。

 アジアやアフリカでのエコな活動が、いま、辺倒だったアメリカ社会にまったく違う意味で一石を投じているところが面白い。これもやはり市民の「自分で漕ぐほかない」の自覚の現れだろう。
 デトロイトのような行政体も企業も破綻して頼りにならない街では、とにかく手作りするほかない。これは、本 誌でも頻繁に紹介している「美味しいもの、いいもの」が欲しいから手作りする、というクラフト思想とは一線を 画す。他がやってくれないから自分でやるしかない、という切迫感が根源にあるのだ。
「火事場の馬鹿力」みたいなものだろう。その意味で興味深い現象を最後にもう一つ紹介しよう。

記事、市営がだめなら“私”営だ!「臨終間際のデトロイト」の蘇生を後押ししたのは、“一人の男とバス”


Writer: Hideo Nakamura

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