自分が「商品」になるということ/Daily World Press, Inc 副社長 鳥居真太郎
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今年、ニューヨーク設立20周年を迎えた日系出版社がある。Y’s Publishing(ワイズ・パブリッシング)だ。駐在員のためにニューヨークをはじめ全米17都市の生活情報をぎゅっと収めた「便利帳」シリーズで知られており、なかでも「ニューヨーク便利帳」は、ビル・デブラシオ同市市長から感謝状が贈られ、「有益な情報で溢れている」とお墨付きをもらったほど。アメリカに住む日本人なら誰でも頼りにするだろうこの“看板誌” に留まらず、隔日で無料新聞「Bi DAILY SUN(バイ・デイリーサン)」も発行。2007年には、帰国子女のための専門誌「帰国便利帳」を発刊。さらに4年前からは教育事業に乗り出すなど、「社会にとって意義のある会社をさらに増やしていく」とグループとして拡大してきた。酸いも甘いも知り尽くした代表取締役には、自身と同じ誕生日で年がほぼ20歳違う「右腕」がいる。20年の節目だった今年1月、彼はその若者を「Executive Vice President(副社長)」に任命した。お先真っ暗感の漂う2008年のリーマン・ショックに就職活動した彼はいう。「あれ(大不況)が自分にとっては普通だったんですよね」。気持ちのいい勝ち気な笑顔をするこの青年の名は、鳥居真太郎。

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MBAルーキーの一本釣り

 MBA(経営修士号)取得のためサザン・ニューハンプシャー大学の経営大学院に通っていた鳥居は、初めての就職活動で「一本釣り」されたクチだ。日英バイリンガルを対象にした就職イベント「ニューヨークキャリアフォーラム」で、Y’s Publishingの代表取締役の吉田に会ってしまった。

「ニューヨークにいて起業する気がないなら、いる意味がない」。彼のその一言に、ノックアウトされた。「大学院までいって、自分は一体、何をやるんだ?」。そんな風に考えていた矢先の出会いだった。ボストン会場も含め200社前後が参加する同フォーラムで就活ができたはずなのに、鳥居は吉田の会社のみに応募。引く手あまたの人材だったろうMBAのルーキーは、自分の直感を信じていた。

「実は恥ずかしい話、何をやりたいのか分かってなかったんです」と当時を振り返る。リーマン・ショックの年の就職活動。「ライバルがいなかったというのもあります」と謙遜するが、彼には目標ができた。自らを「ミーハー」だといい、「憧れがあるから追いつきたくて自分は伸びるタチ」だと知っていた。吉田のもとで働く。鳥居には、それしか見えなかった。

ライバルを探して外へ

 勉強好きで、なんでも仕切ってしまう性格。「あれやれ」「これやれ」な自分を見守ってくれていた友人らを思い出しながら、「恵まれていました」と感謝の気持ちを隠さない。しかし、同世代のライバルがいない「やりやすさ」は、鳥居にとって苦痛でもあった。彼にはいい意味での「ガツガツ感」があった。法政大学国際文化学部に入ったのは、留学が義務だったから。新しい世界・もっと広い世界を求めて外に出た感がある。英語は話せない。それでも不安よりも「なんとかなるだろう」という気持ちの方が勝った。

「偉そうなこといってるな」と意識されるのがうれしい。「嫌われたくない、でもぶっちぎりたい」。中途半端な出る杭は打たれるが、「ぶっちぎっちゃえば、『あいついかせとけ』っていってもらえるでしょう」と、あっぱれな持論。これも吉田からの教えだ。誰もが知るニューヨークの日系メディアの副社長になったとき、30歳。24歳で入社してから4ヶ国26都市を訪れ、生活情報媒体と教育事業の拡大に尽力してきた。

 営業マンとして数を稼いできた自信がある。リーマン・ショックの不況時が、ある意味で自分にとっての「普通」だった鳥居は、「上がるしかないでしょ」と、ただただ、前と上を見つめて走ってきた。過去5年単月比較の最高売上を上げて、チームで祝杯したのはこの春のこと。「営業部、編集部、デザイン部ともに最高のメンバー」と喜びを隠さない。ライバルを求めてニューヨークにたどり着いた鳥居は、「仲間」とも巡り会った。

 人に会うのが生き甲斐。「あの人すげえ!」と胸を踊らせては、メディアの特権をフル活用し会いにいく。「まだまだ上がいる」という事実が、鳥居の原動力だ。レベルに応じて、限りなくゴールが設定できる街がニューヨーク。「一番になりたい」彼にとって、「人よりも一歩先にいくこと」がすべてだ。

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「憧れ」になりたい

 社として教育事業を強化することに「怖さ」を感じることもあるという。「子どもの将来を思いっきり左右してしまうから」。しかし、「人に影響を与えたい」という真っ直ぐな思いを突き詰めると、「こんなやり方があるというギャップを楽しむことは、武器になる」と腑に落とした。

 分かりやすく知識を教える授業だけではない。オンラインライブ授業の個別学習塾「Y’s Academy(ワイズ・アカデミー)」の運営では、子どもの可能性を信じ、自分で選択するための情報も発信。「選ぶ力」を鍛えることは、教育の原点でもある。日米間の環境の違い、文化の違いで帰国子女の抱える問題が少しでもなくなるよう、さらには、国際化の波で光るであろう海外子女のポテンシャル(可能性)を最大限に引き出したいと意欲を語る。

 メディア業とは別にY’s Academy教務部代表として、個人にも社会にも多大な影響を与える教育というサービスを提供する立場にもある鳥居だが、彼はいたってシンプルな理念を持っている。それは「人の憧れになりたい」ということ。彼自身が誰かに憧れ、追いつこうと自分を高めてきたからこそ、自分も人にとってそんな存在になりたいと考えている。シンプルで真っ直ぐな思いを言葉にすることができるのは強い。人の心を揺さぶるからだ。「有言実行。自分にプレッシャーをかけているんですよ」と付け加えるあたり、お茶目な彼の性格が見える。

ゴールは「鳥居」に聞いとけ

「新聞や便利帳は、うちのメディアの一つで、これからの僕らはトータル・メディアを謳っていく」と明言する鳥居。そのためにも、自分を「商品」にしたいと考えている。「これから僕の仕事のメインにしていかなければならないのは、媒体はもちろん、コンサルタント事業、教育事業、イベント事業です。これをトータルして、本当の意味でメディアだと思うんです。だから僕は、それを体現する『商品』になりたい」

 鳥居にとって「社長の最もかっこいいところ」は、「自分で金をとってこい」という姿勢だという。デザイナーだから営業ができないなんてあるか。デザイナーはお客さんと制作物について一番接点がある、仕事を通してお客さんをもっと知れる。「じゃあ今度はパンフレットをつくりませんか」と一番近くで“営業”できるんじゃないか?という姿勢だ。スタッフ全員が、トータル・メディアとして動ける強み。いい意味で自分たちを看板商品にする。自分という商品が気に入られることは、この上なくうれしいことだ。そしてそれは、ビジネスにおいて武器でもある。

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 24歳の入社当時、飛び込み営業で叩いたベンジャミン・ステーキハウスのドア。安倍首相ら政界のVIPも訪れたことのあるこのステーキハウスのオーナーは、いまでもその日のことを覚えているという。「突然なんかきたと思ったが、そうだな、言葉はつたなくても熱心で、こいつと仕事をするのはいいなと感じたよ。大物になりそうなオーラがでていたね」。ベンジャミンと鳥居はいまや兄弟のような関係といってもいい。“人のつながり”こそがビジネスのつながりだ。ニューヨーク進出を日本企業が目指す際、「ああ、ニューヨークなら鳥居に聞けばいい」といってもらえるようになること。トータル・メディアとして自分が価値のある商品になること。鳥居の夢だ。

 さて、どこまでもいい意味で強気な人柄を見せてくれた鳥居。彼のガツガツが、意気がりというよりも覚悟のようで聞いていて気持ちがいい理由が分かった気がする。彼には、53歳で突然倒れた父がいる。大学院卒業間近のことだった。それからずっと彼の中には、ある思いが離れない。「人生半分生きた」。だから今日も鳥居は走る。

Photographer: Kohei Kawashima

Writer: Kei Itaya

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