学校で教えてくれないリスクの取り方

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$10: 学校で教えてくれないリスクの取り方 static1.squarespace-1  以前、ある日本の学生から卒業後の進路について相談を受けたことがある。その学生の希望や得意分野を聞いた上で私なりの答えを出し、その進路を勧めた。しかしその学生は、その進路に自信が無く乗り気ではないという。確かにその進路で成功するには相応の努力もリスクを取ることも要求される。しかし努力やリスクを避けていては、どのみち社会で成功することはないだろう。そうして説得していくうちに遂に、「上手く行かなかった時に責任を取ってくれるんですか」と言い出した。残念ながら彼との会話はそれで終わってしまった。
ニューヨークにはアメリカンドリームを体現している人がたくさんいる。そのような人に共通するのは、努力家であることはもちろん、何らかのリスクを取ってきた、ということである。日本では、努力をすることは学校でも教えてくれる。努力して勉強しなければ希望する学校に入れないし、学校に入っても努力しなければ卒業できない。体育会に所属していれば自ずから勝つことが要求され、そのためには日々の鍛錬が必要となる。しかしリスクを取ることの重要性についてはほとんど教えてくれない。責任を負いたくない気持ちがリスクを避ける感覚を定着させる 何故、日本の学校ではリスクを取ることの重要性を教えてくれないのだろうか?それは恐らく、冒頭の学生のように、リスクの取り方を教えたとしても、当然のことながら失敗することもあるわけで、その場合に教えた側に責任を負いたくない、という気持ちが働いてしまうからなのであろう。

社会というのはリスクだらけだが、学校で教えてもらっていないから、社会に出て直面する様々なリスクとどう向き合えばよいか分からない。その結果リスクは極力避けるもの、という感覚が定着してしまうのだろう。

「リスクを取らない=相対的にマイナス」 数年前、アメリカのある幼稚園に訪問する機会があった。教室の壁にはその幼稚園のモットー、「Be a risk taker」(リスクテイカーになれ)が掲げられていた。彼等はたとえば、授業中に(リスクを取って)挙手して間違ったり非難を浴びたりという経験を経て、次は失敗しないよう一層努力する習慣がつくと共に、リスクとの向き合い方を学んでいくだろう。成人する頃にはリスクテイクの達人として社会に出てくるはずだ。
こうした状況を見ているとしみじみ、「リスクを取らない=ゼロ」ではなく「リスクを取らない=相対的にマイナス」の時代に突入していると感じる。

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