• SERIES
  •      
  • May 2, 2016
【連載】僕がしあわせについて考えたのは、戦場だった。—鈴木雄介フォトエッセイ #001「戦場の家族のこと」
Pocket

28歳で、戦場カメラマンになった。
報酬がよいわけでもないうえ、死が常につきまとう。

シリアでは反政府軍と行動をともにし、撃たれないように祈りながら走った。
写真を撮って、毎回生きて帰って戦争を伝えてきた。

鈴木がシャッターを切ってきたその悲劇のなかに、
「しあわせ」の瞬間があった。
対極に思えるしあわせの意味を知ったのは、戦場でだった。

「しあわせってなんだろう」。
命がけの紛争地帯でおさめてきた光景から考える、
鈴木雄介の、戦場フォトエッセイ。

#001 「戦場の家族のこと」

An Afghan child sleeps in mother's arm.

アフガニスタンの首都カブール、旧市街地で赤ん坊を抱いて通りを歩く女性

「生まれ変わっても私は私になりたい」
 よく聞く手垢のついた言葉かもしれない。だが、これがスラム街のゴミ山で暮らす少女の言葉だとしたら。
 
 まだ写真家になる前、一眼レフカメラも持っていなかった21歳のときに、僕はあるきっかけでストリートチルドレンを支援するNGOの活動に参加した。当時、東京の音楽学校に通っていた僕は、夏休みの一ヶ月ほどを友達とフィリピンで過ごすことになったからだった。

 現地に行って目の前に映し出された現実に、強いショックを受けたのを鮮明に覚えている。小・中学生の歳の頃の子どもたちが、貧しさを理由に強盗や殺人を犯す。
 横になって寝ることができないほどに受刑者で溢れ返り、皮膚病が蔓延する鉄の檻の中、大人たちと一緒にスシ詰めにされていた。

 ある墓地を訪れれば、そこには空腹を忘れるために昼間からシンナーを吸い、寒さを凌ぐために遺体の衣服を剥ぎ取り、棺の中で眠るという、身寄りのない少年少女たちが集まっていた。数十メートルの高さにまで膨れ上がったゴミ山周辺のスラムでは、学校にも行けず一日中ゴミ山でゴミを漁り、一日1ドルほどの収入で暮らす子どもが走り回る。
 そんな姿を見て、当時の僕はどこかで彼らを「可哀想な子どもたち」と思っているところがあった。

pilippines 417

フィリピンの首都、マニラ郊外にそびえ立つゴミ山周辺のスラム街に住む子どもたち

 ある日、ゴミ山の麓(ふもと)に広がるスラム街で暮らす小さな女の子と話をしているとき。鼻で息を吸い込めばたちまち吐き気を催すようなその場所で、僕は、何の気なしに「もし生まれ変わったら何になりたい?」と彼女に聞いた。その時の僕は、テレビのドキュメンタリー番組で見たことがあるような答えを無意識に頭に思い浮かべていたのかもしれない。

「お医者さんになりたい」「先生になりたい」「歌手になりたい」 。
 そんなふうに、かわいい返答が来るものだと思っていた。

「生まれ変わっても私は私になりたい。だって大好きな家族や友達がいるから」。それが、返ってきた答えだった。
 ショックだった。自分の浅はかな思い込みを恥ずかしく思った。日本から来た人間が見れば、彼女の生活はどう見ても過酷だった。
 一点の曇りもなくそう言い切った小さな女の子のストレートな言葉。ジットリと蒸し暑くて寝れないフィリピンの雨季の夜、僕は何度も寝返りを打ちながら、毎晩自分自身に繰り返し聞いた。

「しあわせってなんだろう?」

しばらくして日本に帰り、まだフィリピンの余熱が冷め切らない頃、僕は東京のある街に立っていた。ドアマン付きのブランドショップが並び、ニューヨークの5番街にも引けを取らない華やかさで、東京の成功と繁栄を象徴しているかのようだ。
 男性はスーツをビシッと着こなし、女性は綺麗に化粧をきめている。それぞれが足早に、自分の目的地に向かって足並みをそろえて歩く。そこでふと、違和感を感じた。道行く人の顔はどれも曇っている。険しい表情で、怒っているか、疲れ果てているような。視線を上げて、にこやかに歩いている人はいない。

「なぜだろう?」。僕は素直に思った。世界一の都市に暮らす人たちが、なぜこんなにも暗く曇った顔をしているのか。ゴミ山のスラムに暮らす少女が、弾けるような笑顔で言った言葉を思い出し、僕は再び思った。

「本当のしあわせってなんだろう?」

 大人になって、僕は写真家になった。色んな国を訪ねて、「戦争」という人間が地球上に現れてから一度も終わらせることができないでいる、大きなテーマに強く惹かれていた。

 血で血を洗うような激しい戦いが続くシリアを訪れたときのこと。夜中の12時ごろまで続く砲撃と銃撃戦の音の中で、ロウソク一本の明かりを頼りに、僕はあるシリア人家族のもとで毎晩寝食を共にしていた。

people have a chat on the street.

シリア第二の都市アレッポで、通りで話し込む男性たちを、銃弾の跡が残るガラスから覗き込む

 政府軍のスナイパーが狙う通りを、撃たれないように祈りながらいくつも走り抜け、激しい市街戦が行われる前線から神経を擦り減らせてヘトヘトになって帰ると、僕たちの帰りを待っていた母親がいつもリビングに食事を持ってきてくれた。

 僕はその日見たことを話し、父親や年頃の兄弟姉妹たちと冗談を言い合って笑い合い、コーヒーを飲みながら夜が更けるまで時間を共にした。言葉もあまり通じない僕たちだったが、同じ人間同士、心は通うものだ。

家族_05

ギリシャのレスボス島に作られた難民キャンプで夜を過ごす家族

 いつも明るい彼らだったが、戦時下での家族の事情は複雑だった。美容師だった息子は、戦争がはじまると銃を手に取って反政府軍のメンバーに加わった。父親は政府系企業で働いていて、秘密警察に捕まるのを恐れて大統領の悪口も言えない。
 たまたま就職先として政府軍に入った兄弟の一人は、反政府軍との戦いで亡くなった。戦争の暗い影はそれぞれに重くのし掛かっていた。

 それでも、家族みんなで過ごす時間は、何も考えずに笑いあった。人種も言葉も、文化も宗教も違うけれど、不思議と心落ち着くもので、束の間ではあるが戦争のことを忘れられた。

家族_03

シリアにて、砲撃と銃撃戦の音を聞きながら、ロウソク一本の明かりを頼りに夜を過ごす家族

 貧しく厳しい暮らしをしていても、たとえ戦争の中に生きていても、自分を愛してくれる家族がそばにいる。それは大きな大きな心の拠り所で、生きる希望なのかもしれない。彼らは、身に刻むように、その大切さを知っている。
 ゴミ山の少女も、だからあの時あそこで、ああ言ったのだろう。

 このエッセイでは、少女の答えを聞いてからいまも考え続けている「しあわせとは何なのか?」「生きることと死ぬこと」「平和とは何なのか?」を、僕がいままで写真家として、そして戦場という場で見てきたことから、伝えていきたい。

家族_04

エーゲ海をゴムボートで渡ってきた後に、疲れ果てて着てきたライフジャケットを枕に寝るシリア人家族

———————-
鈴木雄介 / Yusuke Suzuki

03

1984年、千葉県生まれ。東京の音楽学校に通っていた時に東南アジアやアフガニスタンを訪れ写真に興味を持つ。アメリカ、ボストンのNew England School of Photographyにてドキュメンタリーとヴィジュアルジャーナリズムを専攻。在学中より様々な賞を受賞する。
同校卒業後、地元紙やロイター通信でフリーランスとして活動後、ニューヨークに拠点を移す。

uskphoto.com
instagram: @uskfoto

Edited by Satoko Hirano

Pocket

people have a chat on the street.
この記事が気にいったら
いいね!しよう
HEAPS Magazineの最新情報をお届けします

You may also like...