着飾らないを纏う Fashion Stylist / Sayuri Murakami
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「人に着せる仕事をしていると、 自分はどんどん着飾らなくなりました」

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ニューヨーカーは黒をよく着るが、彼女が纏うオーバーサイズの黒のドレスは、やわらかな曲線をふわりと描くフォルムで目を引く。あくまで裏方に徹するファッション・スタイリストの彼女が黒を愛するのは必然的なことかもしれない。村上早百合のスタイリングは、雑誌『VOGUE』や『Numéro』、『L’OFFICIEL』、『Harper’s BAZZAR』などのページを飾る。文化学園大学・現代文化学部国際ファッション文化学科を卒業後、ぱっとニューヨークに渡ったのは5年前のこと。若干27歳、すでにアシスタントを雇って勢力的に活動している。「まだまだ」と語るが、彼女には武器がある。撮影が終わる度に「反省会」をするほどの仕事に対する真摯な姿勢、そして何より服に対する誠実な思いだ。

美しい服を着せるだけならスタイリストはいらない デザイナーによる服だからこそ手腕が問われる

 村上の主な仕事は、ハイ・ファッションのスタイリングだ。モデルが日常ではありえない服を着ていてもいい。「かっこいいページをつくり、デザイナーがつくった服をより魅力的に表現する」のが、ハイ・ファッションのエディトリアルだ。

デザイナーの服はもともと美しいので、着るだけですでに絵になる。だからこそスタイリングは、より難しくなる。「単に着せて、カメラの前に立たせるだけなら、スタイリストはいりません。服をどう見せるのか、それはスタイリストの力量にかかっています。その難しさを感じる日々です」。自分の仕事を知れば知るほど、向き合うハードルは高くなる。それでも「知らない、ということほど怖いことはないから」と、雑誌と本を読みあさり“研究”に余念がない。

「自分のスタイリングとは違ったものでもなんでも見ます。どんなキャンペーンで、どんなモデルを器用し、どんな服を着せているのか、どんな表紙にしているのか。全部が勉強になります」。セレブリティだったりミュージックビデオであれば、着心地を考える。その人のコンプレックスを隠せているか、その人が新しい自分に出会えているか、歌であればそれを表現している服か。それを体現するためにスタイリングしている。それは自分の表現でもあり、「仕事でそれをしているから、自分が着るものはどんどんシンプルになったような気がします」と笑う。

「自分をどう表現していいか分からなかった」 ファッションが自分を守る鎧だった10代

 物心ついたころから、着ることに関しては「口うるさかった」という。自分が気に入らない服は着ることを徹底的に拒んだ。デザイン画を描いては母に頼んで生地を買いにいってワンピースをつくってもらったり、自分でリメイクしたりするような子だった。しかしそれを仕事にしようとは思いもしなかった。服は衣食住の一つで、単に「生きるために必要なもの」と理解していた。そしてそれは、自分を守るための「鎧」でもあった。制服のスカートも丈の短いものと長いもの両方つくり、気分に合わせて着こなした。髪の色も1ヶ月ごとに変えた。

「大阪にいたころが、一番派手な服を着ていましたね。無茶苦茶な格好をして粋がっていました」と笑う。だが、着飾る行為の裏側に何があったのか。「多分、コミュニケーションをとるのが下手だったんです」。自分をどう他人に見せるのかが分からなかった。武将が鎧兜にいろいろな装飾をつけるように、「わたしもきっと『今日はこれで攻めよう!』って、服装や髪型で虚勢を張っていたんだと思います」と振り返る。

 進学校に通っていたこともあり、人と違うことはあまりしないのが当然の校風。「そんな格好で学校に来るな」といわれることが苦しかった。ところが大学進学で東京に行くと、その固定概念から解放される。「学食に行くとゴスロリはいるしギャル風なファッションの子もいるし、もうみんながみんな、誰のことも気にしていないから、一気に楽になりました」。4年になるとファッションショーの企画長としてイベントの企画・運営・進行を管理。自分の中に眠る創造性をカタチにするには、マネージメントの必要性もあることを、村上は学生時代から意識していた。

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自分の“熱量”と向き合い闘う 楽になったことがブレイクスルーに

 スタイリストのアシスタントもしていたので、ずっと東京でやっていこうとも考えた。しかし、好きじゃないことを好きじゃないとはっきりいってしまえる娘の性格を見越した母親に、「日本社会は合わないのでは」と海外に行くことを勧められた。「母自身、イギリスへ留学した人だったので、背中を押されて出た感じです。海外に行く選択肢はありませんでしたが、すんなり『行ってみよう』と思えました」

 パリかアメリカのどこかと考え、「ファッションビジネスが盛んだから」という理由でニューヨークを選んだあたり、村上が常に「仕事」を意識してきたことを裏付けている。「好き」というよりも「続けられる」ことだからやる。もっというと「自分にはこれしかないから」と業界を意識する。その姿はどこか、職人を思わせる。もともと生真面目な性格。ニューヨークに着たころは、自分の熱量、情熱が空回りし、「なんで自分はこんなに頑張っているのにうまくいかないのか。分かってくれる人はいないのか」と悶々としていた。

しかし、ニューヨークでの生活は、いい意味で頑なな思いの空回りから解放させてくれた。なんでもありなニューヨーカー。気張ったところで誰も気に止めないものだ。「私は本当に自分の足で、ここで生きているのか」。その問いかけが、自分の熱量とうまく付き合うきっかけを与えてくれた。

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「空の色で服は決まる」 絵にしたい空間をスタイリング

 撮影現場でモデルを見つめる村上の視線は刺すようだ。数カットごとにフォトグラファーとスクリーンを覗き込み、意見交換し、イメージの擦り合わせをしている。「さゆりのスタイリングはシンプルかつエレガント」とチームメイトは評価する。スタイリストにとって撮影当日までの準備が肝心。「モデルの目・髪の色、どんな体型をしているのか。そして、どんな風に見せたいのかというエディトリアルの意向を反映できるよう、下準備は徹底的にやります」。大学で4年間、衣服を学んできた自負がある。そして衣服をまとう女性の丸みと曲線は美しく、衣服はその美しさをもっと生かせると信じている。だからこそ、モデルと服に徹底的に向き合う。その姿勢は現場の士気にもいい影響を与えているようだ。

 さらに村上のスタイリングの対象は、服だけではなく空間にまで広がっている。1ページという空間の主役である服を生かすために、プロップ(小道具)やスタジオアートの制作も する。「空の色で服は決まる」と話す村上には、「こう撮ろう」というイメージが常にある。しかし雑誌では、「いま感」が第一なので、トレンドと関係のない絵は求められないことも多く、そのイメージをカタチにすることは難しい。

 それでも「仕事」としてクライアントの意向をカタチにしてきたからこそ、村上には、すべてを任せてもらえる仕事もやってくる。その仕事こそ、プレッシャーはもちろんだがやりがいがあるもので、フォトグラファーとの信頼関係とイメージがうまく化学反応を起こしたときの興奮は忘れられない。「イメージががっちり合ったときなんか、もうフォトグラファーも本当に生き生きしているんです。私も私で、もう勝手にやっちゃって〜みたいな」と思い出し笑いを浮かべながら話す。

「ニューヨークでやる」というメンタリティを共有したチームを手に入れたことは、村上にとって大きい。「自分のレベルが低いときは、周りのレベルだって低い。でもいま、みんなで成長している感が大いにあります」。独りよがりと決別した村上は今後、写真だけではなく、動画でもそのイメージをカタチにしたいと考えている。

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つくったものが認められないと無意味 創造性とビジネスマインドの両立

 スタイリングで一番意識していることは、「見た人に不快な思いをさせない」こと。どんなに研究してカタチにしたところで、「キライ、といわれてしまえば無意味ですから」と冷静だ。ファッションのトレンドは、インスタグラムをはじめとしたSNSの台頭で、世界的にほぼ同時にメディアからの発信が届くようになった。「だけど、東京と大阪でファッションが違うように、土地ごとの違いがあると思います。日本人はファッションのトレンドに忠実ですが、ニューヨーカーは自分の好きな格好をしていてトレンドはあってないようなものだと思います」。トレンドについてそう考える村上だが、ハイ・ファッションについては、「2、3年後にトレンドになる感があります」。つまり、与えられたテーマで自分が描くカタチをクリエイトすることと、市場を読みながら2、3年後のトレンドを創り出すビジネス的な目を持つこと、その両方が問われるのがスタイリストだ。

 自分をどう見せればいいのか分からなかった少女が、ファッションを通して表現することの情熱に目覚め、一時的かつ普遍的なファッションを追求すべく、ニューヨークという業界の第一線で挑戦している。「スタイリストで衣装デザイナーの北村道子さんのような、自分の世界を普遍的に表現しているのに、同時に市場にも求められる作り手になりたい」といえば、「でももう憧れ過ぎていて会いたくないんです!」といいかぶす可愛さを持っている。コミュニケーションが苦手だったからこそ、その手段を手に入れた村上は強い。

 すでに昨年から母校で特別授業を依頼されるほどで、惜しみなくその経験を語っている。18歳から22歳の大学生が10歳も違わない村上から受ける刺激は大きく、村上を追ってニューヨークに来る後輩もいるほどだ。「ニューヨークの日本人の中で知られるのではなく、ニューヨークのスタイリストでこんな日本人がいるといわれるようになりたい」。ここにいる意味を、ここでやる意義を常に考える村上だからこそ、業界でもスタイリッシュに闘うのだろう。

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Photographer: Tokio Kuniyoshi
Writer: Kei Itaya

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