NYの巨大中国人コミュニティが支える,本場の激辛四川の味

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NYの巨大中国人コミュニティが支える 本場の激辛四川の味

 

 日本での中華料理のイメージは、「高級」「質の高い美味い料理」だが、ニューヨークのそれは「安かろう悪かろう」。米国人の口に合うように“改良”され、テイクアウト、ファストフードとして認識されてきた。また、香辛料をふんだんに使った四川料理は日陰的存在だった。しかし今、食通のニューヨーカーの間で四川料理が受け入れられはじめている。頑に本場の味を守り続けてきた四川料理人たちは異国での逆境を、どう乗り越えてきたのだろうか。尋ねて浮き彫りになったのは、中国人コミュニティの結束の強さだった。

繁盛の裏に増え続ける中国人の移民あり「今なお、客の80%は中国人」

「花椒(山椒)を省いたり、辛味を押さえれば、本物を知っているコアターゲットたちが黙っていない」。そう話すのは、マンハッタンのミッドタウンにある四川料理屋「グランド・シチュアン」のオーナーシェフ、盧自強(ルー・ジチャン)と王安通(ワン・アントン)だ。彼らがいうコアターゲットとは、同じ言語(マンダリン)を話す中国人たち。異国にいながらも、中国人だけを相手に外食ビジネスが成立する。つまり、そのくらいニューヨークには、中国系移民が住んでいるということだ。

 彼らの母国、中国では、より良い生活やチャンスを求めて他国へ移住することは決して珍しくはない。二人のように「同郷の友人の誘いで」来米し、雇われ、ついにはオーナーになる(もしくは独立する)のも、一つのアメリカンドリームだ。そんな希望を胸に海を渡る者は、毎年後を絶たない。ニューヨークでは「兄の嫁の従兄弟の店を手伝うために、家族みんなで移住した」など、遠い親戚を頼ってきたという移住ストーリーをよく聞く。

 朝から晩まで身を粉にしてよく働く移民の力は、現地の経済・政治に大きな影響力を持っていく。ニューヨーク市のチャイナタウンの勢力が活気づいているのもまさにこのパターンで、昨年のニューヨーク市の中国系移民はついに35万人を突破。近い将来、最大の少数民族になると言われている。

中国人の移民は「NO」

 アメリカン・チャイニーズ・フード 米国人に受けなくても、本場の味を貫く。それが結果的に功を奏したのは、同郷者を中心に、拡大する中国人コミュニティから熱い支持を得たからだ。ニューヨークの高級住宅地から貧困街まで、いたるところにある“チャイニーズ”のテイクアウト店。その様子からして、所得にかかわらず人気で需要の高さが伺えるが、面白いのは、中国人の移民たちの多くは、米国人の口に合うように改良されたその味を「マズい」と思っていることだ。

「やはり本場の味が一番」と、グランド・シチュアンには、ロイヤリティの高い中国人客が足繁く通う。そして、必然か偶然か、そのことが米国人を呼び込むきっかけになった。「日本食なら日本人客の多い店、四川料理なら中国人客の多い店が良い」と近年、食通のニューヨーカーは、より「本場の味(オーセンティックさ)」に価値を置くようになった。言い方をかえれば「感謝するようになった」のだ。少々口に合わなくても「これが本場の辛さ」と知れること、味わえることに、一種のステータスを感じる。そんな風潮は、食に金をかけられるグルメな人にほど顕著であり、それが同店がチャイナタウンではなく、ミッドタウンに位置しながらも成功をおさめた所以だ。

 同店はここ2、3年、年に1店舗のペースで支店を増やしており、「Shichuan(四川/シチュアン)といえば、グランド・シチュアン」と、ニューヨーカーの間で最も有名な四川料理店といっても過言ではないほどの急成長をみせている。「最近は、米国人客たちが青島ビールを片手に、汗を拭いながら四川料理を食べる姿もよくみるようになった」と頬を緩めるルーとワン。それは、「母国でさえ下火になりつつある辛い故郷の味が、他国の人に受入れられている」という事実が嬉しいからに他ならない。


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一皿にのる108本 四川料理といえば、麻婆豆腐や火鍋、担々麺が有名だが、ここニューヨークで人気なのは、“Chicken with chilies”、“Spicy diced chicken”などの名前で親しまれている、唐辛子と鶏肉のサイコロ炒め「辣子鶏(ラー・ツー・ジー)」だ。

 その一皿はまず、パッと見た感じ唐辛子だらけで、まるで唐辛子だけを炒めたようにしか見えない真っ赤な代物。「鶏肉は入っているんだろうか…?」と表面を箸でつついていくと、ようやくカリカリになった鶏肉がお目見えする。カリッと香ばしく焼き上がった鶏は、見た目程辛くない。

 一口目こそビックリさせられるが、決して食べられないような辛さではなく、「辛い!」と叫びながらもついつい箸が伸びてしまう逸品だ。「辣子鶏は酒のつまみ」とシェフもいうように、四川では、辛さでヒリつく喉を冷たいビールで潤すというのが、定番の食べ方。ちなみに唐辛子は除き、「基本的には、食べない」とのこと。

 欧米人客からは「だったらお皿に盛らないで!」と言われることもあるそうだが、唐辛子を取り出しているうちに、鶏肉が冷めてしまうとシェフ。温かいものが冷める=美味しさ半減、だから「温かいものは温かいうちに」というおもてなしの心は、アジア人としては納得できるが「欧米人には難しいみたいだね」と苦笑いの四川人。

「四川人は辛さを恐れず」離乳食卒業後は激辛料理  中国の俗諺に、「四川人不怕辣(四川人は辛さを恐れず)」というのがあるように、四川人の辛いもの好きは一般人のそれとは程度が違う。特徴は「麻辣(マーラー)」という、麻(花椒)のピリピリしびれるような辛さと、辣(唐辛子)のヒリヒリする辛さ。この絶妙なバランスこそが四川料理の極意なのだが、どんなに辛いもの好きでも、その刺激の強さには驚かされる。

 さらに、四川の一般家庭の子どもたちは「離乳食が終わると大人と同じ辛さのモノを食べはじめる」とも。ルーとワンも「歩きはじめたらもう食べさせていた」と口を揃え、子どものためにわざわざ辛くない料理を用意する習慣はないときっぱり。それ故に、辛さに対する免疫力は、世界一とも言われている。最も、本人たちにその自覚はないのだが。

決め手の花椒は不法の品「持ち込み禁止」の過去

 

 四川料理の決め手「麻辣(マーラー)」の“マー(花椒)”。それが正式に米国で輸入できるようになったのは、なんと2005年。実際、マンハッタンにも1980年代後半から四川料理店は存在はしていたが、05年までは、花椒抜きの“なんちゃって”だったということになる。とはいえ、禁止の理由は、花椒には、カンキツ系の植物の生態系を破壊する“カンキツ潰瘍病菌の潜伏可能性がある”という、いまいちピンとこないもの。そのため、公には販売されていないものの実際は緩やかに流通しており、中国人の中には知らずに持ち込んで使用していた人もいたようだ。

 同店シェフのルーとワンが来米したのは、花椒が合法になった直後。「ニューヨークで四川料理店をやっていた友人に誘われて」やってきた二人は、成都の料理学校を卒業した後、北京の四川料理店で働いていたという生粋の料理人。それだけに、まさに、本場の味で勝負するために来たといってもいいだろう。

「ニューヨークには本場の味がない」と聞いていたので、「きっとやればそこそこ上手くいくんじゃないか」という期待はあったという。しかし、市場に出回っている花椒は、香りの飛んでしまったものばかり。当初の味は「僕からしたら本場ではなかった」とこぼす。雇われている身分だったため、あれこれ言うことはできず、ひたすら我慢の日々。「海外に出た中国人の中でも、帰郷率の高いのが四川省出身者だと聞いてきたが、その理由は、絶対に故郷の食べ物が恋しいからだと確信した」

 同じ言語を話す中国人同士でも、地方によって慣れし親しんだ味付け方法は違い、シェフによって薄味になったり、辛さが足りなかったりとムラがでることにも不満はあった。ちょっと指摘をすれば、「お前が食べてるようなそんな辛いもの、普通の人が食べられるわけないだろう」と言われる始末。「儲からないからといって、故郷の味を見下されるのは腹持ちならなかった」と振り返る。

 そんな苦い経験もあり、自分に決定権が与えられてからは、キッチンには「同郷の者しか雇っていない」と話す。「辛いと感じる度合いも地方によって全く違うから。もう勝手に味を変えられないようにね」と、オーセンティックさへのこだわりと思いは強い。

来米10年、今思うこと「地道に本場の味を貫くだけ」

 他の中華料理店に比べると、その辛さゆえに万人受けせず儲かりにくいのが四川料理。それでも、この道にこだわってきたのは、「単純に自分が一番好きな味だから」。「もっと儲けたかったら、今頃、広東料理屋でディムサム(飲茶)でも作っていたんじゃないかな」と笑いとばす。昨年やっと同店のオーナー権を得たルーとワンも、もうすぐニューヨークへ来て10年になる。英語はほとんど話さない。おそらく、その必要がなかったからだろう。

 修業をしたことのない人でも「日本食とうたえば売れる」と、突然寿司屋やラーメン屋をはじめるケースも少なくない。その中で、中華料理の中でもさらにマイナーである“四川料理”で真っ正面から勝負してきたグランド・シチュアン。それだけにロイヤリティの高い常連客も多い。四川料理好きの中国人をターゲットに、地味に成長してきたニッチなビジネスにいま、スポットライトが当たろうとしている。

 それは、彼らが意図していたことではなく、ニューヨーカーがやっと本場のスタイルに忠実な料理店の価値を理解しはじめただけのこと。地道に本場の味を貫いてきた彼らにしてみれば、「棚から牡丹餅」ぐらいのことなのかもしれない。でもせっかくだから、それを有り難くいただこうではないか。今まで辛抱してきた、ご褒美として。

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掲載 Issue16

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