#MeToo時代に集まる男性たち。広まるもう一つのムーブメント、同性で語り合い繋がりを求める〈男たちの集会〉

「男らしさ」からの解放を求めて、彼らは集まる。
Share
Tweet

性別による「〇〇らしさ」の定義に「さようなら」と言いたいのは女性だけでない。男性も、である。セクハラや性暴力を糾弾する「#MeToo」全盛の時代。ムーブメントを受けて、女性の訴えに共感を示す男性は少なくない。ただ、共感はしたものの「どう行動したらいいかわからない」「自分の行動にどう責任を持てばいいのかわからない」と困惑や不安も生まれている。そんな男性たちの繋がりを求める「男たちの集会」があり、それがまた、ムーブメントとして広がりつつあることを知った。

男性の「権利」を主張するグループもいれば、「解放」を求めるグループも

「#MeToo」時代、多くの男性も葛藤している。「ウォール街の新ルールは『とにかく女性を避けよ』」という見出しで読者をざわつかせた米『ブルームバーグ』の記事しかり、時代の変化への対応に苦慮する男性は少なくない。 
 悩んだ末の答えが「女性を避けるのが最も安全な道だ」とは、だいぶふざけた話だなと感じたが、それを実行に移している人もいるのが現実…。

 セクハラや性暴力、そして、それらを生み出す病根である「性差別」の終焉を目指す21世紀の一大女性解放運動。上述のような極端な反応も生まれるということは、その影響力の大きさを物語っているともいえる。と同時に、異なる立場の者がお互いをわかり合うことの難しさもあらわにしている。

 女性が守られるべく「女性の権利」を主張すれば、「いやいや、男性こそが抑圧されている側だから」と声高に男性の権利を叫びだす人たちがいる一方で、女性の主張に深く共感したはいいが「こんな時代に男でいるのが辛くなる」人たちも。男という性別に依拠したくはないが、フェミニストを前にどのようなコミュニケーションをとればいいのか、と途方にくれている人も多く、反応は実に幅広い。  

 男性の権利を主張する集団は、ネット上だけでなく、オフラインでデモ活動をしたり、中には過激化したものも少なくない。実際、困惑やミソジニー(女性嫌悪・女性蔑視)をこじらせた男性による無差別殺人事件も複数おこっている。

 犯罪を擁護するつもりは毛頭ないが「男性の権利」を主張する理由の中には、フェイクではないデータもある。たとえば、男性の自殺者数の多さや、家庭内暴力の被害者は圧倒的に女性の方が多いが、男性の被害者も約10〜15パーセントは存在しており、その被害者への公共サービスが極めて少ないことなどがある。

「男性の3人に1人は慢性的な孤独を抱えていて、全米における自殺者の約75パーセントは男性」と、衝撃的な数字をウェブサイトに掲載するのは「エブリマン(Evryman)」。2017年、ワシントンD.C.をピンク色に染めたウィメンズマーチのあとに創業した、男性の集いを主宰する企業だ。



Evryman、実際の集会。©︎Evryman

 はたから見れば、先で述べた男性の権利を主張する集団も、エブリマンも、どちらとも「#MeToo」ムーブメントを受けて生まれた「男性の集い」だが、エブリマンの狙いは「女性の権利に対して、男性の権利を主張するもの(Men’s Right Movement)」ではない。目指すのは、既存の「男らしさ」からの解放(Men’s Liberation)だ。つまり、女性の解放運動と対立してはおらず、むしろ、性別による「〇〇らしさ」からの脱却を目指す点では重なり合う。
 
 エブリマンの共同創始者の一人、ダン氏はこう話す。「男性の自殺率は女性の3倍以上。そして、近年の銃乱射事件の犯人をみても男性ばかり。自分自身を傷つけ、他人を傷つける。心に傷を抱えた孤独な男性が、いかに多いことか…」。

 孤独を手放し、真のつながりを見つけたい男性は想像以上に多かった。男性からの支持があつい人気のポッドキャスト番組に出演したことを機にエブリマンは知られるようになり、創設から約1年半で、約500人が集いに参加しているという。



Evryman、実際の集会。自然のある場所で。©︎Evryman

 

#MeToo時代に求められる、「まずは自分の感情を揺さぶること」

 
 集いの内容は、週末を自然の中で過ごしながら自己と向き合い、他の参加者と自身の感情について話し合うというものだ。そこには、スマホもアルコールも、サイケデリックも持ち込まない。

 そもそも、男性を孤独にしているのが、社会にはびこる「男性らしさ」「男たるもの」といった固定概念。「男性もまた、男女をめぐる役割の固定観念や性の規範の犠牲になっている」と説く。人前で弱音をはかず、堂々と振る舞う。それでこそ男だ——、自分では思っていないつもりでも、呪縛に囚われているケースも少なくない。もちろん、すべての男性があてはまるわけではないが「不安や悲しみを他者に話せない男性は女性よりも多いのでは。特に、それについてを男性同士で語り合う機会は、少なくとも米国社会では少ないと思います」。
   
「仕事上のつき合いや遊ぶ友人はいても、その人たちに心の迷いや悩みを話せない男性や、もっとも自分との向き合い方がわからず苦しんでいる男性は、昔から少なくありません」。そう話すのは、非営利団体「マンカインド・プロジェクト(Mankind Project)」の広報責任者のボイセン氏。こちらも「男性の集い」を主宰する団体だが、誕生は約35年前。80年代半ばの米国だ。現在は米国内だけでなく、ヨーロッパやオーストラリアを中心に世界約15都市に大小さまざまなグループを持ち、最近はアジア圏内にも広がっている。英語中心ではあるが、数年前に日本にも支部が発足したそうだ。

 興味深いのは、同団体の会員数が過去最高を記録し、昨年18年の入会者は8パーセント増加したこと。団体全体をみれば20代から70代と幅広いが、ここ1、2年に増加した入会者は主にミレニアル世代だという。この世代でヨガや瞑想などのウェルネスが流行していることも関係あるのだろうか。
 
 現在48歳のボイセン氏はこう話す。「私の世代に比べると、自分と向き合う時間を生活に取り入れている人や、仕事以外のことにも目を向ける男性が増えていますし、それは大きいと思います。自分の行動に責任を持ちたいと考える人も多いですからね。あとは、若者というのはいつの時代も、固定概念を壊して新しい価値観を生み出す人たちですからね。いままでの『男らしさ』に息苦しさを感じて、私たちの活動に共感してくれたのもあるかもしれません」。
 また、「僕もそうでしたが、父になることで、子どもにとって理想的な社会とは何かを深く考えるきっかけを得た人もいます」とエブリマンのダン氏。



Mankind Project、実際の集会。©︎Mankind Project

 
 自分の中の湧き上がる感情に蓋をし、自身に共感せずにきた人たちは、他者に対する共感力も低くなりがちだ。それが自殺率や暴力犯罪率の高さ、そしてミソジニー(女性嫌悪)にも少なからず関係しているという。
 女性か男性か、と、どちらが正しいかを争う二項対立や、それぞれが「権利」を主張しあっているばかりでは前に進まない。より良い未来へと前に進むには、月並みな言葉ではあるが「理解し合う」ほかない。ただ、お互いが譲歩した折衷案を模索して終わりではないところに、真の意味での「理解し合う」プロセスの難しさがある。 

 まずはマスキュリニティ(男性性)の呪縛から自身を解放し、自分の感情に耳を傾ける。「他者を理解するには自分自身を理解すること、つまり、自身と偽りなく向かい合えるようになることが大切です」。自身の感情を他者にシェアできるようになったら一歩前進。「自分ときちんと繋がることのできた人が、他者と、そして社会と深く繋がることができる」。集会はそのためのものだという。
 
 グループの誰かが心のうちを吐露すれば、他の男性もそうしやすくなる。グループワークでは一緒に心を解きほぐし、泣き崩れる人には抱擁をあたえるなど、フィジカルなアクセプタンス(受容)も感じられる。そんな参加者にとっての「安全な空間」を保つべく、特定の人を攻撃する発言は原則禁止されている。  

自身の感情を他者に話し、他者の感情にも触れる。そういった経験を通して「男同士の心のサポートシステムを構築していく」のだという。こういうと「男同士のサポートシステム」なんて男性優遇の社会ではすでにあるではないかと思う人もいるかもしれない。だが、彼らが構築しようとしているのは、これからの新しい時代の、つまり性差のない、より平等な社会に向けたもの。

 いままで男というだけで、優遇という名の下駄を履いていた人たちが、いざそれを脱いだとき、また時代の変化とともに脱がざるを得なくなったときに、不安を、怒りや悲壮感に変えてしまう孤独な人間をこれ以上生み出さないための「語り場、集いの場」でもあるように思う。



Evryman、集まりで語り合う男性たち。©︎Evryman

カルトでもホモソでもない

 
 #MeToo時代の「男たちの集会」は、増加傾向にある。実際、マンカインド・プロジェクトやエブリマンなど、自然の中で心と向き合うリトリートに参加した人が、その効果に感動し、自分の会社や団体を立ち上げたケースも続々生まれているそうだ。こういってはなんだが、週末の2泊3日のプログラムの参加費はだいたい一人500ドル以上(約54,000円)。ウェルネス産業が拡大する中で、これをビジネスチャンスとみる人たちがいても不思議ではないだろう。ビジネスとなるとやはり、自身の感動体験をシェアせずにはいられないミレニアルズ世代が早い。特に、体調から服装、精神状態、潜在意識まで自己の最適化(self-optimization)に夢中のテック系の起業家たちが反応している。

「リトリートに参加して、これからのマスキュリニティ(男性性)について話し合う重要性や利点に気づいた人の中には、コミュニティ・リーダーを志す人もいます。自身の経験を活かして、10代の学生たちや、刑務所の囚人などに向けて、グループワークを提供しはじめた人たちもいますよ」とダン氏。もちろん、資本主義だからといって、すべての人が「人助けをしてひと儲け」を企んでいるわけではなく、ボランティアでやっている人もいる。

 こうした感情を揺さぶる「男性の集会」には批判もある。一つに、得体のしれない「男の美学」を助長する、ホモソーシャル(性愛を含まない同性間の強い結びつきや関係性を指す)なのではないかという懸念だ。確かに、性差や性の規範をなくすことを目指す集会なら性別を限定しない方がいいという指摘は的を射ている。だが、ここまで述べてきた通り「マンカインド・プロジェクト」や「エブリマン」は、決して男女混同すべての人を交えた集会を否定しているわけでない。男性同士の健全な支え合いの場が足りていないゆえに、存在しているところが大きい。



Evryman、集まりで語り合う男性たち。©︎Evryman

 また、参加者は異性愛者(ストレート)の男性だけではなく、「同性愛者やトランスジェンダーもいます」とボイセン氏。それは「他者への理解を深めるうえで、さまざまな立場の人たちの、さまざまな経験に触れることが、欠かせない要素だからに他ならない」という。よって、これらの「男性の集会」は、性別に関係なく人が集まった場所で、より建設的な話し合いができるようになるための基礎トレーニング場ともいえるだろう。  
  
 もう一つの懸念は「一種のカルトではないか」。これに対しては、どの団体も「特定の思想を広めたり、特定の人の教えを仰ぐ集団ではない」ゆえに、今回取材した2つの団体はカルトではないと回答する。
 
 各国に支部を持つマンカインド・プロジェクトは「米国ではじまったからといって、米国のやり方を押しつけることは絶対にしません」と話す。というもの「ジェンダーの問題は、その土地の歴史や文化の影響を色濃く受けていることが多い」からだ。大枠は似ていても、内情は千差万別。なにより、個々の経験や感情自体が千差万別だ。

 #MeTooの時代に広がる男性の解放運動から生まれた「男性の集会」。それは、性別による「〇〇らしさ」の定義にさようならを告げ、すべての人とともにこれからの新しい平等な社会を築いていくための、男性たちの覚悟の証、でもあるのかもしれない。


©︎Evryman

Interview with Dan Doty (Evryman) and Boysen Hodgson (ManKind Project)

Text by Chiyo Yamauchi
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine

Share
Tweet
default
 
 
 
 
 

Latest

All articles loaded
No more articles to load