ブックデザイン界の鬼才チップ・キッド。インスピレーション源は「昭和アニメと神保町」

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米国のブックデザインの歴史は二つの時代に分けられるという。Chip Kidd(チップ・キッド)の登場とそれ以前、だ。
29年の間、世界の有名作家の作品の装丁を手掛けてきた。日本でいえば村上春樹、手塚治虫。

「本をデザインするということは、ストーリーに“顔”をあたえること」。自身の哲学をそう表現する。その彼に生来影響を与え続けてきたのは、アメリカのヒーロー『バットマン』。2歳の頃から夢中だ。そしてもう一つ、幼少期のローカルテレビ局の「17チャンネル」。小さなブラウン管のテレビ画面に映っていたのは、『鉄腕アトム』『マグマ大使』『エイトマン』。日本の昭和のアニメーションだった。

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装丁の概念を変えたロックスター

カリズマという言葉がよく似合う。ブックデザイナーであるチップをロックスターと称えるのをしばしば目にするのは、彼が“ただ美しい装丁”という枠を超えた「物語へ導くブックデザイン」を開拓してきたからというのもある。が、とにかく魅力的なのだ。カメラに向けられる陽気な表情、機知の効いた喋り。ただ“Funny”というのではなく、徹底された知性に遊び心が見え隠れする感じ。
 ニューヨーク紀伊国屋書店にて取材をしたのだが、話の途中で「AKIRAだ!」と書棚にたたた、と駆け寄る。大好きな日本の漫画なんだ!という。鬼才、子ども心を忘れず、か。

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 22歳で幕をあけた彼の「装丁人生」、そもそも予定外からはじまったらしい。チップはそれを、“ちょっとしたミステイク”といった。ペニシリンのような、と口端しを片方あげて笑む。
 大学卒業後にニューヨークへ。大きなデザイン会社でのグラフィックデザイナー職を志望していたがとことんフラれ続け、受かったのが現在も勤めるカノフ出版社でのグラフィックデザインのアシスタント業務だけだった。「それで、とりあえずやってみようと思ってね。好きになれるか確かめようって」
 結果は、“I was very lucky(最高にラッキーだった)”。「イカした本の裏表紙には必ずChip Kiddの名前がある」。そう世間に認識されるのにあまり時間はかからなかった。予定外が起こした正しい反応。年間、100冊近くデザインするという。

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チップがデザインした、村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

策士、溺れず

 すべてのストーリーは、一目で“何か”に見える必要があり、それが物語へのイントロダクションになる、と彼はいう。だからブックカバーで物語の要をビジュアルに変換して見せる。つまり装丁家は翻訳者であり、解説者である、と。ごたくじゃない。チップのデザインは、本を見る者を“読む者”に変える。本の背を一目見れば、思わず棚から引き抜いてしまう。そのデザインが派手で目立つからかではなくて、端的にいえば策略的なのだ。

 上手に餌を置き、おびきよせる。本を棚から引き抜く。まんまと表紙をみて、今度は開く。ここで捕虜かごは完全に覆い被さる。そうした仕掛けが、デザインにはり巡らされている。イメージとタイポグラフィを操る策士といったところか。本のソデまで使い「予想外」と「発見」、「好奇心」をちりばめる。彼の手にかかれば、ただの長形紙が“full of wonder”のブックカバーとなる。

 ところで、チップに限っては策士策に溺れる、ということはない。人の意見に耳を傾ける柔軟なスタンスが、トレードマークの丸めがね同様にひしと身についているからだ。最初のデザインで決まることはあまりなく、著者や編集者と何度も話して調整と修正、ときに大胆な変更を経て完成させていく。


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鬼才、昭和の“あの”漫画を自らアメリカで復刻

 さて、この鬼才、昭和アニメに造詣が深い。とあるYoutube動画で「これが私の美学」と、チップが指差した先にいたのは、大量のバットマンコレクション。棚の他の段には、日本版バットマンやエイトマン、鉄腕アトムのブリキの人形。昭和の大衆文化の代表たちが顔を並べていた。いつから好きなのか尋ねると、「チャンネル17を子どものころ見ていたんだよ。日本の輸入物のアニメがやっていた。大好きだったんだ」と熱っぽく話す。

「よりデザインに頼っている、というのかな。昭和のアニメは予算がかなり限られていて、その中でいかに“魅せる”か。構成など特に工夫していて、デザインがとても優れていたんだ」

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 振り返れば「間違いなくあのアニメたちは、最初のクリエイティブなインスピレーションだ」といい切った。2001年、ずっと念願だった日本に初めて訪れた。チップが首ったけになったのは、神保町の古書街。昔小さなテレビの中でみた昭和のアニメの原作のコミックが、小さな店内にぎゅうと詰まっていた。埃と、古い紙の匂い(チップは、紙の本をこよなく愛している)。その他にもポスターやスタンプ、少年誌の付録など、あらゆる昭和のものに“やられた”。特有のタイポグラフィや色使い、そして構図から、アメリカにはない独特のインスピレーションを再び受けとったという。

 さらに、『少年キング』で1966年から67年にだけ連載されていた『日本版バットマン』が、幼少期に夢中になってみていたあの『エイトマン』の作者、桑田二郎が手掛けたことを知った。「他の国でのバットマンはアメリカの“翻訳”なんだけれど、ジロウ・クワタのはオリジナルのストーリーなんだ。だからこそ最高に面白い。本家を凌ぐストーリーもある。でも日本ですら復刻版がなかったんだ、だから」と、2006年に自らアメリカでその復刻版『BAT-MANGA!』を出版したいきさつを話す。桑田氏に日本人女性を介してのインタビューも行った。自宅のコレクションには桑田氏の原画も多くある。昭和の少年誌の付録や玩具も。「付録に関してはどう使うかまったくの謎だけど、美しいんだ」と目を細めた。昭和独特の素朴さ、過日だけがもつどこか物悲しい美しさとが入り交じった混沌の渦中に、その時代のヒーローたちと、チップはどっぷりと浸かっている。

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 そこまで人生を費やしている日本のバットマンやエイトマンが具体的にどうデザインに影響したのかに対しての答えはなかった。「言葉では表現しづらいな…“tell”じゃなくて“show”が私の仕事だから。でも、影響を受けていることは間違いないと思う。つねに囲まれているものだから」

 村上春樹のThe Stranger Library(『図書館奇譚』)のデザインでは、表紙上部に描かれた目が、まさに昭和アニメのキャラクターを思わせる。さらに、余白を大胆に余らせてタイトルをあえて小さく置くというのも、低予算だった昭和のアニメ特有、背景ががらんとした構図に似ている。チップが具体的に自身の作品を語らないからこそ、“じっくり見て「昭和」を探す旅”が面白い。どこまでも、見る側の想像力を許してくれる。

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 最後に「神保町だけは、世界でどこを探しても似たような場所はないんだ」といった。小さな専門店がひしめき合った、過日の匂いをいまでも放つあの通りたち。一言で表すと、神保町はチップ・キッドの人生でどんなものかと問えば、「難しいけど…アパートかな」と答えた。いくらでも過ごしたい場所だという。ならば、東京で暮らしてみては、と提案すると眉をよせて少々考え、「クノフ社のブランチがあれば行きたいね。確固たる目的がなければ、私は住めない」。  
 世界で最も有名な装丁家は、“予定外”から30年近くたっても仕事熱心。いつかそれもいいかもしれない、と、しかし心のどこかで思っていそうな表情がかすかに覗いていた。

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Chip Kidd
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Photographer: Kohei Kawashima
Writer: Sako Hirano

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