伝統と革新の間で奏でる
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箏奏者、作曲家 / Yumi Kurosawa ニューヨークで、世界中から集まるミュージシャンとともに日本の伝統楽器である箏(そう)♪を演奏している日本人女性がいる。「箏の可能性をもっと広げたい」。箏奏者、黒澤有美がその思いを胸にニューヨークにやってきて12年。彼女は、オーケストラをバックに箏協奏曲をパフォームするまでにいたった。黒澤が初めて作曲した曲『Inner Space(内なる宇宙)』にならい、彼女の“内なる宇宙”に耳をすませてみる。

♪日本の伝統楽器の絃楽器に分類される。一般に「こと」と呼ばれ、「琴」の字をよく当てられがちだが、現在の形となった「こと」は正しくは「箏(そう)」。古代には原型とされるものがあり、神々のために捧げる祭りごとの場で演奏されていた。現在の形となった「箏」は、1300年前に雅楽の楽器の一つとして中国から伝来し、その後日本のスタイルに改良されて「箏」となる。平安時代は貴族の教養、たしなみとして演奏されるなど、時代と共に伝えられてきた。戦後は絃が21本ある20絃箏(0から数えるため、21が20になる)なども誕生。音域を広げ、「現代邦楽/音楽」として洋楽のジャンルにも新鮮な驚きをもって受け入れられるようになり、国外に紹介される機会も増えた。

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箏を弾くためのサラブレッド 練習ぎらいの負けずぎらい  身長159センチの黒澤は華奢だが、箏を弾くためのサラブレッドといっていいほどの身体能力の持ち主だ。箏の演奏は、その繊細なイメージとはうらはらに、アスリートのようにしなやかな筋力を要する。特に黒澤が奏でる20絃箏は、音域を広げるために、本来あった13絃箏に低い音を八つ加えた新しい楽器で、その歴史はまだ45年ほど。低音ということは、絃がどんどん太くなっていくため、その分、弾くのに力が要る。演奏の様子を見れば一目瞭然。左手で絃を押さえるため、実質、右手一つで両手分の音を奏でているようなものだ。音の波が増えれば増えるほど、速ければ速いほど、体に酷使を強いる楽器だ。箏を横目に、「この方、本っ当に手強いんですよ」と話す黒澤から感じる彼女の箏への思いは、「くされ縁の相棒」といったところか。

 
 5月17日、ハワイ交響楽団とともに、大友直人氏(群馬交響楽団音楽監督、東京交響楽団名誉客演指揮者、京都市交響楽団桂冠指揮者、琉球交響楽団ミュージックアドバイザー)の指揮のもと、箏協奏曲『源氏(Genji)』を終え、満場の拍手を浴びた。総勢83人のオーケストラの中心で、Koto Concerto(ことコンチェルト)の“主役”を務めた黒澤の表情は晴れやかだった。華やかな舞台の裏には、必ず並ならぬ努力がある。黒澤の場合も然り。彼女はこれまで、数多くの困難を乗り越えてきた。「とにかく腕も指も強くて、それだけは自信があったんですが、『源氏』は本当にチャレンジングで、生まれて初めて腱鞘炎になってしまい、精神的にも鍛えられた曲です」
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Photo by Kazuo Kurosawa

アメリカ人オペラ作曲家の楽曲 「限界があっても生まれた曲そのものを尊重したい」 
 作曲はアメリカ人のオペラ作曲家、ダーロン・ハーゲン氏。箏の魅力に取り憑かれ、紫式部の『源氏物語』の世界観に感銘を受けたハーゲン氏が、自ら箏の特性を学び作曲した協奏曲だ。曲との出会いは2010年。
「譜面を読んだとき、驚愕しました。弾く技術があったとしても、フィジカルに(絃に)届かない音の組み合わせがあったり、単純に、この音の後にその音にその早さでは運べないというのがあったり」と当時を振り返る。箏を知り尽くした者による曲とそうでない者による曲では、弾き手に求められる技術と挑戦が大きく異なるものだ。しかし黒澤は、楽器の特性上の理由で明らかに無理というカ所以外、譜面に口出しせず、ハーゲン氏の世界観と意向を尊重した。全30分の協奏曲。明らかにフィジカルで負担になるだろう早弾きや音の高低幅は、自身の技巧でカバーすると決めた。「何よりも単純に、箏をソロにした協奏曲を生んでくれたことがうれしかったんです」と微笑む。

 和太鼓や三味線をはじめ、活躍の舞台を世界に広げる和楽器と奏者たちは年々増えている。しかし、伝統や流派、ヒエラルキー(階級意識)が枷となり、個人の感性を吹き込んだ、独自の発展が困難な状況は、いまなおある。そういった“内部事情”はお構いなしでハーゲン氏は、箏という楽器の音色や表現力に対する感動を原動力に、自由な発想と感性で日本文学の『源氏物語』を解釈し表現した。「ダーロンのそんな真っ直ぐな気持ちがありがたく、これに応えない弾き手になるもんかって(笑)」。黒澤の「やってやろうじゃないか」マインドに火がついた理由はもう一つある。それは、彼女自身が作曲家でもあるからだ。

「作曲家の世界を弾き手として表現できるなら、なるべく生まれたままに近い状態で伝えたい。尊重したいんです」。身体能力の限界に挑んででも、作曲家の描いた世界観に応える、さらに昇華させるという黒澤の信念は、彼女自身がずっと、「自分の中に鳴り続ける音楽をどう表現するか」を命題にしてきたからでもある。
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王道は進めない 率直であまのじゃくな後継者  黒澤が箏を始めたのは、3歳。父は箏の弾き手であり作り手、母も弾き手と、筋金入りの箏一家の生まれと育ちだ。幼いころは「きらいでした」。両親は演奏旅行で世界中を駆け回っており、幼い黒澤はさみしい思いをした。練習嫌いの「不良児」だったが、才能とは本人の意志などお構いなしで開花し、見つけられてしまうもの。その足跡をざっとたどると、全国小中学生箏曲コンクール、全国高校生邦楽コンクールにて優勝。サントリーホールでプラハチェロ合奏団日本公演に出演、1998年には文化庁芸術
インターンシップ研修員を修了。さらにはアメリカ、カナダ、マレーシア、ロシア、ドイツコンサートツアーに参加と、着々と奏者としてのキャリアを積んでいったように見える。

 しかし黒澤は、「当然」とされる音大への道を歩まず、慶応義塾大学SFCに入学。総合政策学部の国際関係学を選んだのは、「世界中の文化に興味があったから」。10代のころ、両親の演奏旅行に付き添って世界各国で触れた異文化は、箏という伝統に生きる黒澤のマインドとクリエイティビティを刺激した。一方、大学では伝統とはかけ離れた「コンピューターサウンド」に没頭。「昼夜問わずジャージ着て、イヤホンして黙々と音づくり。ただのおたくですよね」と苦笑い。

 伝統は自分の心身に染み付いている。それに安心を覚える自分もいる。「だから道からそれることに関しては本当に臆病者なんです」と自身を分析するが、黒澤は、“王道”を歩まなかった。「変な人って思われるかも知れないけれど…」と前置いて、「頭の中でずっと音が鳴っていて、それを外に出す(表現する)にはどうすればいいかってずっと考えていたんです」と静かに告白した。黒澤は、箏をはじめとする邦楽には特定の愛好家や聴衆がいるが、「一般の聴衆がいない」という厳しい現状を人一倍意識していた。「一般の人にも聴いてもらいたい。そのためにはどうしたらいいのか」。彼女の危機意識は、弾き手としてのプライドはもちろん、純粋に箏への愛情からくるものだった。
「西洋楽器に負けない音域を」と三木稔氏と野坂恵子氏が1969年に20絃箏を誕生させて45年。音色も表現力も世界に通じるはずの箏が、国内の限られた場所でしか演奏されず、このまま静かに朽ち果ててしまうのではないかと、黒澤ははがゆかった。だからこそ、新しいブレークスルーを求め、活動拠点をニューヨークに移した。奏者としても、師範として指導者としても、順風満帆な道は日本にあった。結婚を考える相手もいた。しかし、黒澤の中でパフォーマーの、箏の未来を担う後継者としての血が騒いでしまった。
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「珍しい」からこそ困難続き 先駆者であるがゆえの葛藤と絶望  反対意見を押しのけて、箏ひとつ抱えてやって来てしまったニューヨーク。しかし、「いろいろなものと交ざりたくてきたのに、交ざれない」現実にぶち当たる。珍しい楽器だからこそ、入っていくのは難しい。同じ絃楽器でも、バイオリンやギターが選ばれる。「そりゃそうですよね。だって箏なんてみんな知らないし、どう一緒にやっていいか分からない」。演奏機会が減るのに比例して、作曲に専念するも「スランプ。もう、何がなんだか分からない」。そんなときに限って、プライベートでもどん底に。挑戦を応援してくれていたはずの恋人とは破局。両親からは半ば勘当状態だったので弱音も吐けない。そうして沈んでいくように暗黒期に入っていった。

「一体なんのために来たのか」。先の見えない不安とストレスから、体中にしっしんが出て治まらない。「箏をやめれば楽になれる」。そう思い、決別した。生活するためにアルバイトをし、真剣に新しい人生を考えた。しかしいざ、会社員として働く人生を目の前にした途端、「いきなり怖くなってしまったんです。その世界だけにどっぷり生きていく道が。おかしいですよね。アーティストとして生きる方が『その世界だけ』って思うでしょう?でも、違うんです。演奏したり作曲することは、常に違う世界と向き合っていけるから」。

 そうして結局、“手強い相手”である箏と1年も経たないうちに“元サヤ”に。腹をくくった。再び箏と向き合い、黒澤は演奏だけではなく、作曲にのめり込む。そうして生まれたのが、ファーストアルバム『Beginning of a Journey(旅のはじまり)』だ。箏を知ってもらおうと、ワークショップも兼ねたコンサートを精力的に行った。「日本地図を広げて、『こんな小さい国から私とこの箏は来たんだよ』ってキッズに教えることもあるんですよ」。沈むところまで沈んだからこそ上がるしかない。そうしてパォーマンスの依頼も増える。

ニューヨークで可能性を開拓 日本で守るべき伝統を継承  パフォーマンスでスポットライトを浴びることはあっても、基本は地道にコツコツ。スケジュール管理や契約交渉など、すべて一人でやっているため、事務作業も仕事のうち。黒澤の最大のアキレスは、彼女がニューヨークを拠点にしていても、箏の未来のためにも日本での活動をおろそかにできないところにある。箏は絶対的に伝統音楽で黒澤はその世界から離れて生きることはできない。現代音楽、革新的な表現ができる20絃箏は音域が広い分、身体的な負担が大きいため、一生弾き続けることができるものではない。アスリートに寿命があるように、20絃箏の弾き手にも寿命がある。黒澤はそれを、誰よりも強く感じている。

 ニューヨークを中心に箏の可能性を開拓しつつ、守るべき伝統を日本で継承することは、黒澤にとっての「使命」だ。月に3度演奏旅行に出ることもあり、パフォーマンスできることは「最高で演奏家として冥利」だが、アドレナリン過多の後は、どっと疲れに襲われる。「帰ってきてぼへーっとしている状態の顔を見た友人には、『お前、大丈夫か。終わってるな』って心配されます。箏って平安時代はお姫さまが演奏していた楽器なわけだし、お姫さまみたいに甘えたい…」と笑いながら話す。紆余曲折を経てなお、演奏家・作曲家として走り続け、2枚目のアルバムは年内にリリースする予定だ。

「伝統は常に新しい」  岩手県盛岡市出身の黒澤。東日本大震災では、釜石市で開業医をしていたおじとおばを津波で亡くした。いてもたってもいられずに、彼女はニューヨークからがれきの山となった釜石を訪ねた。悲しみも心に刻み、それを音に託す。自然への畏怖とやるせない悲しみから生まれた曲『ひと雫のうた』には、どこか清々しい調べもある。「人は悲しいって気持ちだけで生きていくものじゃないから」。そう話す黒澤は、「やっと(自分の中で鳴っていた音を)形にできる土台ができてきた気がするんです」とも。

 箏だけではなく、彼女自身が作ったコンピューターサウンドとともに奏でられる黒澤の箏のパフォーマンスは、観客に古くて新しい気持ちを喚起させる。「早過ぎても理解してもらえなかった。いまからだからできること」と考えつつも、「いや。それでもやっぱり常に迷ってるから、こんなに時間をかけちゃうんだよなぁ」と困ったように笑う。

「伝統は常に新しいもの」と語る黒澤。伝統は、異端や変化にオープンであり続けてきたからこそ、融合し洗練されながら、伝統で在り続けてきた。伝統と革新の間に起こる嵐の中を生きてきた黒澤だが、雲の割れ間から光が差し込むことを知っている。そんな思いを曲にしたのが『仰ぐ』。

 嵐が終わった後の空を仰ぎ、黒澤は次にどんな“内なる宇宙”に耳をすますのだろうか。ところで、良いものや素晴らしいものに触れて感銘を受けることを表す言葉に、「琴線(きんせん)に触れる」がある。黒澤の箏を聴いてほしい。なぜ、「琴」の文字が使われるのか、理解できるはずだ。
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http://www.yumikuro.com/

Photographer: Omi Tanaka
Writer: Kei Itaya

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351 Responses

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