「むやみに急成長はさせない」 本当の“クラフト”のみが生き残る

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「俺のビール」を飲んでくれ!

自分で考えたレシピでビールを醸造して、食の都ニューヨークで販売する。

ビール造りの虜になった人間なら誰もが一度は思い描く夢だ。しかし、ビジネスとしてクラフトビールの醸造所を立ち上げるのは、相当の自信と経験と勇気が必要だ。人もうらやむ広告代理店の管理職を投げ打って、クラフトビール業界に身を投じた男、リチャード・ビュセタ(Richard Buceta)。何がきっかけでビールに取り憑かれ、起業することになったのか?

競争が激化するのクラフトビール市場で、後発の起業家に勝ち目はあるのか?ニューヨークで注目の醸造所「SingleCut Beersmiths(シングルカット・ビアースミスズ)」を訪ねた。

Interview with Richard Buceta, SingleCut Beersmiths

“地元のために”だからこそ、「クラフト」と呼べる

2012年にクイーンズに誕生したクラフトビールの醸造所の中でも、シングルカットはひときわ注目を集めている。最新式大型醸造用タンク6基をフル回転させて、年間約6,000バレル(約700キロリットル)を生産するその施設は、正真正銘のビール工場。しかも隣接するバーエリアでは、毎日できたてビールが飲めるというから、舌の肥えたニューヨーカーたちが黙っているわけがない。オープニングの日から早くも、100人収容のバーに1,200人もの地元のビール愛飲家が詰めかけた。

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「クイーンズに今まで醸造所がなかったのが不思議だったんだ。ニューヨークのクラフトビールといえば、マンハッタンやブルックリンばかり。ところが、実際、どこでも家賃が高いので少量だけ街で造って大部分は地方の大工場で醸造しているのが現実なんだ」とリチャードは話す。「僕らは、クイーンズのアストリアのこの醸造所でしか造らない。販路もニューヨーク市内と一部の近郊に限定している。常にフレッシュなビールだけを提供するのが身上さ。さもないと『クラフト』とは呼べないからね」。市場を敢えて限定することで品質を高く維持しようという心意気だ。

 大人気のラガー「19-33」をはじめとするレギュラー5種と季節限定を合わせて10種以上の銘柄を常に用意する。1パイント(約500ミリリットル)のグラスが一杯4ドルから、と値段も手頃だ。また、小グラスで5種類を飲み比べる「FLIGHT(フライト)/10ドル」がありがたい。一般客も無料で見学できる工場には、ドイツ産の大麦やカナダやアメリカ、日本など世界各地から取り寄せたホップが高く積まれ、オーナーのこだわりが一目瞭然。「僕は若いときからアメリカのビールは一切飲まなかった。クラフトビールひと筋さ。とはいえ、一昔前はヨーロッパ産しかなかったので、ベルギーやドイツのクラフトビールを飲みまくったね。そのころ鍛えた舌と喉が、シングルカットを創業する際に非常に役立ったんだ」

趣味をビジネスに展開

前身は広告代理店の営業マンだったリチャード。20代は仕立ての良いスーツに身を包み、高級レストランに顧客を接待しては案件を成立させる毎日。まさしく、ニューヨークの広告業界を描いたドラマ『Mad Men』を地で行くライフスタイルを謳歌していた。しかし、年を重ねて管理職に昇格すると社内外での政治的な駆け引きが煩わしくなり、仕事の魅力が急激に減退した。「もう、仕事が嫌で嫌で、最後は逃げるように辞めました」とリチャード。2009年のことだった。退職したはいいが、そう簡単には次の人生は見つからない。しばらく悶々とするうちに、昔からビールを飲むのは好きだったし…と、趣味でやっていた「ホーム・ブリューイング(自家醸造)」をビジネスに展開したらどうだろうか?と思いついた。

 しかし、プロのビール醸造については何も知らない。ある日、思い切って自作ビールのサンプルを持ってニューヨークのとあるビール醸造所の扉を叩いた。意外にもすんなり採用が決まった。下っ端の洗浄係の仕事だが、ビール造りの手順を覚えるには格好のポジション。「工程的には家庭用ビールの醸造と全く同じだけど、プロの設備を使えるのが嬉しくてね。勉強になったし、仕事は楽しかった。広告代理店の高給取り、なんてステータスにはこれっぽっちも未練は感じなかったよ」。働き始めて8ヶ月後、醸造師の仕事までまかされるようになった。ビール醸造者としての自信もつき、ちょうど「修業」が3年目を迎えたところで、いよいよ本格的に自分のクラフトビールをニューヨークで立ち上げることを決意した。

 カナダ製の醸造用タンクを導入するなど初期の設備投資は約150万ドル(約1億5,000万円)。醸造のスタッフは、リチャードを入れてわずか3人。他には女性マネージャーと営業担当が二人、キッチンとバーエリアのスタッフに約10人。人件費的には実にコンパクトだ。「自分で醸造所を始めてみて、一番苦労したのは工場内の衛生管理」と語る。バクテリアや酵母が重要な役割を果たすビール造りでは、余計な細菌が入らないよう徹底した抗菌体制を整える必要がある。しかも、工場直送、工場見学可を謳い文句にしているため、ひっきりなしに外部の人間が施設内に出入りする。この“矛盾”をどう解消するかが今の大きな課題だ。「それと、頭が痛いのが機械の故障。毎日必ず、機械のどこかが壊れる。これはビール造りの宿命だよ。忍耐力がなかったらこの仕事はできないね」

どこが生き残る? クラフトビールを知るからこそ見える将来

 オープンからわずか1年で、街の新名所となった成功ぶりをリチャードはこう振り返る。「急成長の理由?それは僕がおっさんだからだよ。亀の甲より年の功。昔からビールが好きで、世界中のクラフトビールに飲み慣れている。だから、客が何を欲しているかも手にとるようにわかる。広告代理店勤務の経験も多少は役に立ってるね。ブランディングとか、イメージ戦略とか昔つちかった技を使わせてもらっているよ。でも、これは本当に楽しい仕事。今後も、あまり急に大きくするつもりはない。全米展開なんてもってのほか。流通は基本的に市内のみ。ウチのビールはこの醸造所か、ニューヨークのレストラン、バーに飲みにきてください。来年あたりは、缶ビールを出す計画があるけど、それもニューヨークでしか売らないよ」と将来を見すえる目に揺らぎはない。

 当世の異常ともいえるアメリカのクラフトビール人気についても、冷静に分析する。「玉石混淆だからね。クラフトビールという名前に惑わされてはいけない。中には、たいして美味しくないビールも沢山ある。ホーム・ブリューワリーのブームで、誰もが比較的簡単にビールを醸造できるようになった。ビールの種類も格段に増えた。でも、僕は、地元の人が大勢飲みにくるビールでなければ、クラフトビールとは呼べないと思う。今後は、銘柄の淘汰が始まり、ちゃんと地元のために造っているところだけが生き残るんじゃないかな?」

   初夏の昼下がり、まだ日は高いというのに、ぞくぞくとシングルカットを目指して、客がやってくる。「ここのビールが前から飲みたかった」「みんなが噂しているからきてみた」「3度目だけどいつ飲んでもうまい」など賞讃は絶えない。女性客も多い。「男性はビール、女性はワイン、ビールは庶民的でワインは高尚、というのは古い偏見だよ。ビールにもワインに負けない洗練さがある。ワインがクラシック音楽なら、ビールはロックだけど、僕の造るクラフトビールは良質なロック」と笑ってリチャードは、自慢のビールのグラスを掲げた。

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Photographer: Omi Tanaka 
Writer: Hideo Nakamura

掲載 Issue16

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